今週の一本
(2005 / アメリカ / カーティス・ハンソン)
和解するシスターズ

針部 ろっく

 この映画に描かれる、姉妹を中心とした家族は、どれだけ相手を傷付けたり、すれ違ったまま疎遠になっていたりしても、 根本のところで相手への思いやりを失っていない。そのことが映画全体に暖かな眼差しを行き渡らせている。
 もっとも鼻持ちならないキャラクターとして描かれる継母でさえ、ラストの結婚式のシーンで、ユダヤの結婚式料理? にどう手を付けていいか分からないでいる彼女の皿に、父が一掬い盛ってやるという行為によって、 彼にとってはそれだけの親しみを持って接せられるべき相手であるらしいことが忍ばれる。
 姉妹の葛藤を中心にした家庭劇ということで、筆者は頭の片隅にベルイマンを意識しながらこの映画を見ていたのだが、 もし同じ設定でベルイマンがやったとしたら、こうはなるまい。ベルイマンだったなら、登場人物たちは、もっとささくれ立った性格で、 いつまでも過去への異様なまでのこだわりから抜け出せないまま、何度もその記憶に立ち返って、相手を追いつめんばかりに(自滅を顧みず)、 憎しみを言葉に忍ばせ、チクチクとぶつけていく。ベルイマンの場合、 近しい者は自らの孤独の深さや人間同士の断絶の程度を図るための存在であるかのような側面があって、和解は、 映画を終わらせる手段として取ってつけたように用いられる。それはむしろ上映時間へのおもねりというもので、心のわだかまりは、 決して解消されていないように思える。
 しかし、この映画はそうではない(そりゃ、もちろんそうなんだけど)。彼女たちも相手を傷付けるのだが、それは不本意ながらのことなので、 いくらかの時間を要しようとも、本心からの謝罪があれば、許されてしまう。家族には和解が約束されている。ひとたび傷つけあったものは、 実は皆、和解へのきっかけを探していて、疎遠になるのは、それをすぐにはうまく見つけられないからだ。ここでは、和解を経て、 お互いを思い合っていることを確認すれば、それぞれが自立へと旅立っていける。 それが観客が映画に身を委ねて見ていられる理由でもあるのだが、そこにはきっと「それが家族というものだから」 という理由が動かしがたくあるのではないか。その信条を裏打ちしているのは、なんだろうか。

 序盤において、妹マギーは、ハニー・バンという「一日だけ飼った犬」の話をする。そのハニー・ バンが家に来た日は最良の日であった、とマギーは懐かしそうに思い出す。終盤になって、このハニー・ バンが一日だけ家に来た成り行きが明らかになるが、そこには妹マギーと姉ローズの間で、記憶に誤差があった。
 当時、精神面での問題を抱えていた今は亡き二人の母親が、唐突にデパートで自作のチョコファッジを売るのだと、 姉妹を連れてNYのデパートに売り込みに行ったことがあったという。当然(それはほとんど奇行であっただろうので)、 ことはうまくいくはずもなく、母は代わりに二人にプレゼントを買ってあげると言い、その時マギーが買ってもらったのが、ハニー・バンなのだ、 と。
 マギーが覚えているのはそこまでで、ローズはそのあと家に戻ってから、死ぬほど心配していた父と母が大喧嘩をしたことを覚えていた。 マギーがそれを覚えていないのは、ローズが妹を不安にさせまいと部屋で音楽をかけて、 両親の怒鳴り声が聞こえないようにしていたからだという。そこには妹を思うローズの優しさがあった。父はこの時、 母を精神病院に入院させようかとまで考えていたのだ。
 さらにマギーが驚いたことに、それは母が交通事故で亡くなるほんの二日前のことだったという。マギーは、 二つの出来事には数ヶ月もの開きがあると記憶していたのだが、ローズによれば、ケンカが火曜日、事故が木曜日、ということだった。 彼女は日付まで正確に記憶していた。それだけではない。マギーが母の死を交通事故と考えているのは、 実はローズが幼い娘に気を使って事実を隠したからで、本当は、母が自発的に事故を起こした、自殺だったのだ。祖母のもとには、 「娘たちをよろしく」と、たった一行だけ記された遺書が、事故の後に届いたのだという。
 マギーが記憶していた最良の日とは、ローズの気遣いの結果でいくらか美化されたものであり、その日はむしろローズにしてみれば、 母の自殺の引き金となった日として、いつまでも彼女にまとわりついていた重い記憶だったでのある。
 この事実を知ったあと、マギーはこのことを誰かに言ったのかと問う。ローズは「誰にも」と答える。そして、 ローズが一人で母の死を抱えてきた辛さを分かち合うように、姉妹は抱き合う。実に美しいシーンで、 劇中で何度かホロッと来る場面の一つである。

 ここには、家族といういくらかの時間を家という現場で立ち合った者同士は、あのとき笑い合ったことや、 思いやり合ったことや、ぎゅっと手を握り合ったり、兄弟姉妹でしか出来ないふざけあいに興じたり、 兄弟姉妹でしか出来ない些細なケンカをしたりしたような、そうした親密さの記憶を共有していて (というか共有していること自体が親密さを産む)、たとえどれだけのすれ違いがあっても、そうした共有している出来事と思いを基盤にして、 支え合うことが出来るのだという、それこそが家族の在り方なのだという考えが下地にあるような気がする。家族が共有している出来事は、 和解へと収束されるために存在しているのではないか。

 これでは「それが家族というものだから」 という信条がもっともらしく存在している理由を何も説明できていないが、要するに、ここには、 産まれてこの方まったく愛を知らないできたような不幸なキャラクターも、どこまでも陰気に自らの不幸を喧伝し、彼(彼女) をそこに陥れた相手を決して許さず、非を認めさせようと迫る粘着的な気質を持ったキャラクターもいない。この映画に登場するのは、 たとえ一時家族の関係がうまくいかないことがあろうとも、自らの存在基盤はあらかじめ持っていたし、 それを家族間のトラブルによってことごとく粉砕されるようなことまでには至らなかった人々だ。彼らの関係は修復可能で、 それは実際修復されるベクトルを持って劇中を進み、それが済めば、彼らはまた一つ成長し、次のステップへ向かう。
 つまり、家という場所で親密さを共有したものにとっては、ただ「それが家族というものだから」 という風にしか言えないことなのかもしれない。そこでは、相克や疎遠が和解に収束していかなければ、もはや家族とは呼べないのかもしれない。
 とか、こう書いてくると、何か不信感を持って鑑賞したようですが、いくつものシーンでポロポロ泣きながら鑑賞したのでした。いや、 よかった。実によく出来た映画でございました。女性にはぜひとも見てもらいたいものです。

 閑話休題。で、そんなことはどうでもいいとして、筆者はキャメロン・ディアスのことに付いて言いたい。 筆者はキャメロン・ディアスが好きだ。大好きだ。好きで好きでたまらない。素行の悪さからか、 あまりファンだと公言する男性諸氏を見掛けたことがないが、筆者は大ファンだ。名前をアルファベットでどう綴るかも知らないが。それは、 ジム・キャリー主演の「マスク」で初めてスクリーンに登場したときから、一貫して変わらない。笑ったときに横にデヘヘと開く、 あのだらしない口が大好きだ。彼女が調子に乗る、その乗り方が大好きだ。カマトトぶった役でのカマトトぶり方も、 羞恥心のないねーちゃん役での惜しげもなくおっぴろげる下品な下着姿も、大好きだ。 ちょっと頼りなさそうなときに見せるその瞳の見開き方が大好きだ。何か吹っ切れてしまったような、弾けっ放しの 「クリスティーナの好きなこと」なんて大傑作だった。ポリス沙汰になってもいいから、一回おっぱいを揉んでみたいぐらいだ。キャメロン・ ディアスはお尻もプリプリだ。右も左もプリプリだ。

 キャメロン・ディアス演じるマギーはいくらか頭の弱い設定ではあるのだが、実は読書障害があって、 文字をうまく読むことが出来ない。盲目の老人で元大学教授の導きで、彼に詩集を読んで聞かせるマギー。一語一語ゆっくりと。そのあと、 詩の解釈を聞かれるマギーは、やはりたどたどしく、自信なさげに考えを表明するが、それは的確に詩の内容を捉えていた。マギーは老人に 「smartgirl」と言われ、自分を認めてもらえたかのような充実感を噛み締める。
 で、その次のシーンで見せるマギーの底抜けに嬉しそうな満面の笑みが格別で、この表情が見れただけで、筆者は大満足である。というか、 この表情が見られるのなら、何でもしちゃうという気分である。女慣れしていない筆者は、いつもこうしてコロッと騙されるのだった。

 あと、いつもどうでもいい蛇足ばかり書いてしまって申し訳ないのだが (申し訳ないなんてぜんぜん思ってないところが玉にキズであるのだが)、劇場では本編上映の前に「高校生友情プライス」 という映画鑑賞サービス料金のCMが流れる。これからもしばらく流れるだろう。謎の外人トリオが高校の制服を着てさっそうと劇場に現われ、 「いい仲間と見ると、いい映画になる。いい映画を見ると、いい仲間になる」とか言ってる例のやつだ。 高校生ではない筆者には何の関係もないCMだが、その中で「テュルテュルテューテュル、テュッテュ、テュール♪」と男性アカペラグループ? による軽快なBGMが流れる。その音楽が筆者にはやたらとツボにはまっていて、 あれを聞くと心地よさから身体の隅々まで弛緩していってしまい、それだけで充分で、 もう本編なんてつまらなくてもいいやと思ってしまうのだった。気持ちがすんさんでどうしようもないような時に、 劇場の暗がりの中であれが流れ始めると、実によく効く。今日など、特にそうだった。蛇足でした。

(2005.11.19)

2005/11/21/14:49 | BBS | トラックバック (4)
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