今週の一本
(2005 / 日本 / 福岡芳穂)
「愛してよ」が「愛してる」に辿り着くまで

膳場 岳人

 昨年惜しまれつつ世を去った高名な精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは、 「人生の早い時期に無条件の愛情をあたえられれば、その後の人生でつらいことがあっても、なんとか対処していける」(「死ぬ瞬間と死後の生」 鈴木晶訳)と書いている。

 「早い時期」とは0歳から6歳あたりを指し、「無条件の愛」とは、赤ん坊を抱くときの大人の姿 (と気持ち)に端的に集約される。具体的にどうとは言えないけれど、筆者にはこの言葉の意味がよくわかるような気がする。 6歳頃までの家庭生活に、嫌な記憶がほとんどないのだ。その後はそうでもなかったりするが、 少なくとも疑念を差し挟む余地のない愛情をたっぷり浴びたという意識が、幼少時のベーシックな記憶としてある。 それはつくづく幸福なことだと思わなければなるまい。おかげさまで、 全体的にぱっとしない我が人生の艱難辛苦にも何とか対処できているようだから。

 さて、この映画の主人公は、誰からも「無条件の愛」を得られぬまま熾烈な競争社会を生きる10歳の少年、 ケンジ(塩顕治)である。彼の母(西田尚美)は極端なステージママ。息子を売り出すため、 強迫観念に憑かれたようにスケジュールをみっちり詰め込み、オーディションを受けさせ、恩着せがましく自分なりの「愛情」を押し付け続ける。 それは「条件つきの愛情」とも言うべきもので、彼女の言うことをきちんと聞くことが、愛を得るための必須条件となっている。 ケンジはそんな家庭生活に嫌気が差しているが、彼女のシングルマザーなりの苦労を見ているせいか、彼女を許し、愛してもいる。 そこに新しいパパ(野村祐人)が現れたことから、彼の心に変化が訪れる。

 この映画は、子どもが置かれた家庭・社会の両面における苛酷な状況と、現実から逃れるために刻々と「死」 にいざなわれてゆく子どもの心理状態を、的確かつ繊細に描出する。そこから浮き彫りにされるのは、 死と暴力が偏在する殺伐とした子ども社会だ。気位の高い売れっ子キッズモデル(アレク)は、 執拗な暴力を加えることでケンジを蹴落とそうとするし、小学校の同級生は「二千円よこすかパンチを食らうか」という無茶な取引を持ちかけて、 貧乏なケンジから金をせしめる。ケンジに「同盟を結ぼう」ともちかける少年も、理不尽な暴力衝動を抱え込んでおり、 信頼のおける好い友だちにはなれそうもない。ケンジがほのかな憧れを抱く少女モデルも、その美しい外見とは裏腹に「死」 への衝動の発露を肉体に刻みつけている。

 舞台は新潟だが、新潟を思わせる風景は遠くに連なる雪を冠した連山のみで、 主となるのは日本のどこにでもありそうな、冷ややかで無機質な都会の風景だ。そんな無機質な世界にも、子どもたちは居場所を作っていく。 万引きしたパンとコロッケを組み合わせてコロッケパンを作り、ヤクザの顔に水をぶっかけて逃げるといった冒険を楽しみ、 住宅地に穴を掘ってプールをこさえようとする。コンクリートに走るひび割れは、 長い潜伏期間を経たセミが外の世界に出ようともがこうとした跡だ、というケンジのイメージなど、実に映画的で強く印象に残った

 一方、投身自殺者の道案内を務める都市伝説の幽霊少女(牧野有沙) も都市風景の中に当たり前のように佇んでいる。近代化にともない、社会は人間の死を隠蔽してきたと指摘されて久しいが、 死はかたちを変えて子どもたちの世界に遍在する。映画はそのことを強調する。

 混乱し、疲弊したケンジが唯一心を許せる相手は、会社を潰して多額の負債を抱え込んだ生みの父親 (松岡俊介)だ。社会的にはまったくの無能に成り下がった父親だけが、彼にとって心から寛げる愉快なひとときを与えてくれる。 彼は彼の別れた女房のように愛を子どもとの駆け引きに使おうとはしない。何かを達観したようなまなざしでケンジを抱きしめるだけだ。 しかしそんな父親も、一緒に暮らしていた頃は怖くて無口な男だったようだ。厳しい競争社会から脱落した者だけが、 子どもにとってもっとも必要な「無条件の愛情」をあたえる存在となる――。やや図式的ではあるが、無条件の愛情を成立させる困難を描く上で、 この設定は強靭な説得力をもつ。

 愛を求めているのは子どもだけではない。ケンジの母親は「私のことは誰が愛してくれるの」とつぶやく。 生きるために汲々とし、虚心に戻るこのできないこの女性は、子どもが消えてしまうかもしれないと気づくその時になって初めて、 自分の中に無条件の愛情、全身全霊をかけて守りたい存在がこの世にあったことを知る。「愛してよ!」という悲痛な心の叫びが、「愛してる」 相手の存在に思い至る過程が、西田尚美によって見事に体現されている。

 顔を揃えたキャスト陣は皆印象的な演技を披露している。映画の公式サイトによると、松岡俊介はこの役を 「ある理由」から断ろうとしたという。しかし、彼でなければあの顛末が残す強烈な余韻はなかったのではないか。 あの優しげなまなざしが辿る命運を思うと切なくなる。寡黙な佇まいだけで関係の陰惨さを示唆する、筒井真理子とアレクの母子コンビもいい。 中でも新星・アレクのクールで殺伐とした存在感は特筆ものだ。ついでといっては失礼だが、全般的にシリアスな映画に、 生温かい風を吹き込む本田博太郎の演技が可笑しい。そのニヤニヤした笑顔にとてもほっとしました。

 これはお気楽な娯楽として消費されるたぐいの映画ではないし、 すべての観客にとって切実な主題を扱った映画ではないかもしれない。だけど、 「自分は自分の子どもをのっぴきならない場所に追い詰めていないだろうか」と親たちに自問する機会をあたえるという意味では、 これほどリアルで誠実に作られたテキストもない。また、 見る者に自分自身の子どもの頃を否が応でも思い起こさせる力をもっている映画でもある。 筆者は10歳の自分と母親との関係を思い起こしながら見た。当時、場末に小さなスナックを開店した母親が、 毎晩お化粧をして出勤する姿に嫌悪を感じていたことはよく覚えている。ケンジも劇中で母親が化粧することへの抵抗を繰り返し述べている。 子どもは大人に偽られることが嫌いだし、母親が外で誰かを偽っていると考えることも嫌いだ。それがいつしか、主に夜の巷において 「偽られる快楽」などを覚えてしまうのだから、大人になるとは愉快なものだ。

 大人の映画監督が大人の観客のために作った、見ごたえ充分の人間ドラマである。

(2005.12.5)

『愛してよ』 2005年 日本
監督:福岡芳穂
脚本:橋本裕志、李正姫
出演:西田尚美、塩顕治、松岡俊介、アレクほか
http://www.aishiteyo.com/
渋谷イメージフォーラムにて12/17よりロードショー

2005/12/06/08:28 | トラックバック (3)
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