今週の一本
(2006 / 日本 / 廣木隆一)
やわらかい生活のやるせない終わり

膳場 岳人

 躁鬱で仕事を辞めた三十路半ばの女、橘優子(寺島しのぶ)。男にも裏切られ傷心の彼女は、心機一転、大田区蒲田に引越しをする。 出会いサイトで知り合った痴漢のk(田口トモロヲ)や、優子のサイトを見て声をかけてきた鬱病のやくざ、安田昇(妻夫木聡) との刹那的な逢瀬に戯れる一方、偶然再会した大学の同窓生、本間(松岡俊介)や、両親の七回忌で再会した祥一(豊川悦司) と実存にかかわる濃密な関係を結ぶ。映画は、舞台となる蒲田をやんわり賛美しながら、 優子と彼らとのつかず離れずのふわふわした日々を丹念に描いている。

 思わず涙腺が緩んでしまったショットが一つある。鬱に陥った優子は祥一の献身的な支えの甲斐あってか快復し、 気分転換にと二人して夜の縁日に繰り出す。屋台を見てまわったり綿菓子を食べたりして平和なひと時を過ごすうち、 優子はふと花屋の前で立ち止まる。瞬間、彼女はふっと笑みを浮かべてほんの少し胸を張る。 何かいいものを見つけて心底嬉しくなったという清新なオーラ。それがささやかな身振りによってスクリーンに横溢する。 彼女はホオズキを見つけたのだ。その後、優子のバストショット(被写体の胸から上が映る)になって、もう一度その感動が強調されるのだが、 やはり先のショットの不意打ちのような煌きには勝らない。

 アパートの室内で展開するクライマックスも力強い。優子は周囲の人びとに「両親は阪神大震災で死に、 それを契機として躁鬱を発症した」と説明している。実際は火事で亡くなっているだけだが、そのほうが他人に説明しやすく、 悲しみを共有できるからだと祥一に語る。そうした嘘をばら撒くことが彼女のアイデンティティになっているのだが、 祥一は他人と肉親の死という悲しみは共有できないと生真面目に諭す。彼らは意見の相違から対立し、お互いの生活態度を責め合うが、 やがてそれぞれの主張を認め合い、和解に至る。その長いやり取りを、息を飲むような切迫感で描出する監督、役者、 スタッフ陣の力量に感服した。日本映画としては久々に見ごたえのある、すばらしいシーンだと思った。

 逆に、見ていてあまり乗れなかったシーンも多い。それは主にkこと田口トモロヲと優子が会っているシーンだ。 優子はkと合意の上で映画館での痴漢をされたり、食事をしながら彼の靴先をスカートの中に受け入れたり、 彼が運転する車の助手席でピンクローターを使って自慰行為に耽ったりするが、その悉くが、 キャラクターの輪郭を却って霞ませるもののように映った。むろんこうしたふしだらで自堕落な振る舞いが、 元々はちょっとした企業の総合職であったらしい彼女の人物造型にスパイシーな味付けをもたらしていることは承知だが、 本間をベッドに誘う際のやり取りや、その他の彼女の言動から性的な奔放さの片鱗は見てとれるのではないか。

 また、シナリオでは妻夫木聡演じる鬱病のやくざが、実はやくざでもなんでもなく、電車の車掌なのではないか、 ということが示唆される。それによってインターネットを媒介として出会うことの脆さが急速に浮き彫りにされる仕掛けで、 大変魅力的だったのだが、本編ではばっさり省かれている。行き過ぎる電車をじっと見送る優子の後姿から見て、 おそらくそのシーン自体は存在したのではないかと推察する。あのエピソードがあるのとないのとでは、 ネットが重要な役割を果たす本作の世界観が変わっていくと思うのだが。いささか腑に落ちない。

 物議をかもすのはエンディングだろう。シナリオを読んだ時は「これさえなければ……」と不満だったが、実際の映像を見ると、 何かを語り終えるにはその仕掛けが必要だったのかもしれないと思えた。不幸な彼女のつかの間の幸福は、十二分に描かれていたからである。 ドラマのバランスから言って、あのまま終わりを迎えることは幸福の垂れ流しのようでメリハリを欠くかもしれない。それでも、 その悲劇を電話一本で済ませてしまったことは残念だ。石井隆のような、メロドラマの極地をいく描き方が必要だとまでは思わないが、 愛別離苦に満ちる人生のやるせなさは、もっと別の描き方でも可能だったのではないかと歯痒い。

 等々、いくつかの不満もあるけれど、筆者はこういう映画の作り方が好きだし、 こんな風に人間描写を前面に押し出した映画がもっと増えて欲しいと思う。それにしても寺島しのぶは本当に貴重な女優だ。寺島しのぶではなく、 橘優子というキャラクターがきちんとそこに存在していた。彼女の地に足のついた演技を見ていると、「安心して見ていられる」 という幸せが稀有なものだと改めて気づかされる。男優陣も皆好演しているが、際立っているのはやはり豊川悦司だ。 関西弁と博多弁の入り混じった(すなわち関西出身の彼が博多弁を未消化のまま喋っている)、 なんとも居心地の悪いイントネーションを駆使するのだが、その奇妙な台詞まわしも含め、優しくて、好奇心旺盛で、 飄然とした彼のことを嫌いになるのはとても難しい。

 廣木隆一監督、荒井晴彦脚本、寺島しのぶ主演とくれば『ヴァイブレータ』トリオ。 ここにキャメラマンの鈴木一博を加えてカルテットとしたい(もちろん他のスタッフにも『ヴァイブレータ』との重複があることは重々承知だが) 。優子が住むアパートの屋上を捉えたショットのすがすがしさ。タイヤで出来た怪獣の聳える公園に、 優子と安田昇が入り込むシーンでのクレーン撮影の効果。白眉は先述したクライマックスで画面を眩しく彩る逆光だ。「ここぞ」 というときにしっかりカットを割り、光を慎重に配備し、細心の注意を払って場面を盛り上げてくれる。 このカルテットによる次回作を早くも見たくなってきた。

(2006.6.17)

2006/06/19/09:33 | トラックバック (15)
膳場岳人 ,今週の一本
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