ATG映画大特集
( 2007年11月3日(土)よりシネマート六本木にて開催 )
地方出身者にとってのATG青春映画

河田 拓也

TATOO<刺青>あり『TATOO〈刺青〉あり』(C)1982 ATG ATG映画初体験は、地方の煮詰まり高校生だった80年代の末、夜中にダラダラ付けてたテレビで観た『TATTOO<刺青>あり』だった。立て篭もった銀行の女子行員を裸踊りさせた揚げ句に耳まで削いでしまった梅川の事件は、子供心に大層衝撃だったから、「ニューシネマ+ソドムの市」的なハチャメチャにぶっ飛んだノリを期待していたら、全然駄目だった。
 まず、サングラスはずした宇崎竜童のカッペ面がキビシイ。金には細かい、女には未練がましい、おまけにマザコンのDV野郎とくる。背中にまともな墨入れる根性も無いくせに、胸に入れたちっこいTATTOOを見せびらかして小市民を威圧する、人としての小ささに辟易した。
 現在では、最も嫌われるタイプの人間と言っていいだろう。
 俺自身、カッコ悪いけどカッコ良い、だらしないけど憎めないアンチヒーローに自分を重ねて、虫のいい夢に酔いしれたかっただけで、とてもじゃないがこんなヤツを友達だとは(まして自分自身とは)思いたくない。しかも、彼を追う画面はやたらと薄暗く、漬物やニンニクの匂いが漂ってきそうな程、湿気が多くてねばっこい(忍海よしこの乳首に蕎麦が引っかかって頼りなさそうに揺れてる画が忘れられない…)。イヤだイヤだ! 俺はキラキラした都会の喧騒の中で、孤独に夢を追いかけたいんだ!!
 ところが、後になって観返すと、イイんだよこれが。
遠雷『遠雷』(C)1981 ATG 頭も心も不自由な人間が、そういう人間ゆえに間違って、必然的に滅んでいく。言葉が無いから言い訳も無い。ただ事実があるだけ、そんな愛想のなさがいっそ清々しい。ある程度齢喰ってくると、カシコイ登場人物が、正しいことを饒舌に語るようなオタメゴカシ映画は、鬱陶しくて観てられないのだ。
 こんな男を、ダチのように優しい視線で、でも帳尻合わせの美化に逃げることなく、厄介で哀しい人間一般の原型のように描き出した、当時の若き製作者たち(脚本の西岡琢也は弱冠25歳!)のクールな成熟ぶりに、今更のように圧倒される。

 『遠雷』も昔は苦手だった、というよりほとんど食わず嫌いしていた。自分は田舎に馴染めない田舎モノだったから、野暮ったい高校球児みたいな永島敏行が主役の百姓映画なんか観たくもない。とにかく、そういうものと一刻も早く縁を切りたかった。
しかし、これも今観返すとすごくいい。
 現状に不満が無いわけじゃないが、さりとて逃げ出すほどの動機があるわけでなく、日々適当に発散したり、発散できなかったりしながらも、元気に淡々と頑張っている。粗野で優しくて、それなりに現代的だけど、根は受け身で逞しい典型的な日本人をやってる、彼と石田えりがとにかく可愛い。身持ちの悪い団地妻にはまって破滅する友人のジョニー大倉(芯の弱い人間を演じると迫真!)を横に置くことで、彼らの足もとの閉塞と危うさを一方でしっかり押さえているから、それが嘘くさくもならず、むしろ愛おしさが増す。この映画にもやたら成熟した複眼的な視点を感じる。

祭りの準備『祭りの準備』(C)1975 ATG 田舎の映画と言えば、『祭りの準備』の、エロとバイタリティが誇張される反面、力関係の機微の見えない日常の描写は、世代の違いもあってか俺にはあまりリアリティが感じられなかったけど、この映画の原田芳雄は良かった。
 中学の時の同級にやたら手癖の悪い奴がいて、派手な喧嘩とか大きな悪さはできないけど、せこいイジメや万引きを飽きもせずに繰り返し、車上荒らしで工業高校を退学になった。俺も当時は万引きに誘われたり、断ると上履きを隠されたり給食にチョークの粉を入れられたりして困ったが、たまたま帰省した時に、平日昼間のバス停で、くたびれた車に乗った彼にばったり会ったことがある。地元の連中とほとんど連絡とってなかったから、彼とも中学卒業以来だったし、顔色が悪く、変な咳をしていて、どう挨拶していいか困ったが、彼は中学の頃と変わらない調子で「よお」と声をかけてきて、そのまま最寄り駅まで送ってくれた。懐かしかったけど、元気のない人懐っこさが少し寂しかった。『祭りの準備』を観ると、時々ふと彼を思い出す。

青春の殺人者『青春の殺人者』(C)1976 ATG 『青春の殺人者』も、演劇風でわざとらしいセリフと、暗くて貧乏臭い画面にうんざりして、初見の時はなかなか見通せず、途中で何度もビデオを止めた。進路や女にしつこく口を出してくる過干渉な両親を、ふとしたハズミでぶち殺してしまうナイーブ少年の後悔と迷走は、やはり当時の自分には格好悪く、生々しすぎた。けれど今では、自分自身のモラトリアムな揺れを、正面から引き受けて主人公に重ね、こんなしょっぱさの極致のような話を、あの切ないゴダイゴの劇伴がピタリとはまるイメージにまで追い詰めた、長谷川和彦の底抜けの素直さとそれを支える体力、繊細でかつ骨太な粘りを凄いと思う。
 ATGの青春映画は、体面上都合が悪い感情や、地味すぎて見過ごされているような人間といった、表立っては存在が認められにくいものを自ら引き受けて描いてきた。中には奇抜さを狙ったスタンドプレイが鼻に付くものもあるけれど、上で挙げたような一部の映画たちは、通常誰もが認めにくいものを確かな体感で伝えるために、格好悪さも野暮も恐れず、ナマの日常と人の機微を、かつて無いくらい丁寧に描いた。
 だからそれらは、しばしば親や故郷のように、そして頼りなく迷い大袈裟に煩悶する青春そのもののように、生々し過ぎて恥ずかしい。でも、年を経て観た時には、恥ずかしくなくなっているものが意外に多い。

  恥ずかしくなることを避けた帳尻あわせばかりで、空気の中に埋没したような作品と逆に、青春から逃げず、馴れ合わず、見つめ抜いた映画は、一瞬の恥ずかしさの後に時間を越える。それは常にヒリヒリと新しく、昔の友人のように懐かしい。

(2007.10.27)

2007/10/31/16:11 | BBS | トラックバック (0)
河田拓也 ,ATG特集
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