ATG映画大特集
( 2007年11月3日(土)よりシネマート六本木にて開催 )
ATG映画を彩る“いけない”エロス

膳場 岳人

逆噴射家族『逆噴射家族』(C)1984 ATG 率直にいこう。ATG映画を“ATG映画を見よう”と意識して接したことは一度もない。たまたま見た映画がATGの製作あるいは配給だった、それだけである。そしてその多くをレンタルビデオで見ている。だからATGと聞いてまず思い浮かべるのは、レンタルビデオ店の邦画コーナーで散見される、TOHOビデオ発売のカビ臭そうなビデオパッケージなのである。筆者は74年生まれ。80年代末期から90年代の初頭、「日本映画は暗くて長くて退屈」という先入観が確かにあった。自分の中にあったし、世の中の若い人にも共通認識としてあったと思う。誤解を恐れずに言ってしまうと、自分にとってATG映画とは、「暗くて長くて退屈」という固定観念に覆われた「日本映画」の真髄である。

 しかし、暗くて長くて退屈ながらも……面白いのだ、圧倒的に。洋の東西を問わず、それまで見てきたどんな映画よりもはるかにヘビーな余韻を残す。下手をすると一生引きずるたぐいの重さである。だから、あの沈んだ水色のパッケージのビデオを手に取るのは、今でもやや気おくれがする。だが「むかしの日本映画も見なきゃ」という義務感以上に引きつける要素がそこにはある。エロである。ATG映画には裸が付き物なのだ、少なくとも筆者が知る限りでは。

 もっとも、劣情を刺激し、欲望を満たすためだけのポルノグラフィは一つもない。たとえば『青春の殺人者』(76)の原田美枝子や、『遠雷』(81)の石田えりのおっぱいは、たいそうな生命力で見る者を圧する。それらのおっぱいはしかし、つねに「いやなかんじ」を伴っているのである。

 『青春の殺人者』で真っ先に思い出すのは、原田美枝子の生気漲る若々しい乳房ではなく、夫を殺した実の息子(水谷豊……『相棒』の右京さんですよ!)に色仕掛けでにじり寄る、強烈なおかあちゃん(市原悦子)なのだ。『遠雷』の石田えりにしても、今村昌平映画に出てきそうな庶民の生活感が先に立つ。エロはその遠景に透かし見えるにすぎない。『TATOO<刺青>あり』(82)のビデオを手に取るとき、実在した強盗犯が銀行内で女子行員に強制したという“ソドムの市”を期待し、パンツをおろした状態で接するのが男というもの。ところがそんな場面は一切なく、「大藪春彦はいいけど西村寿行はエロすぎる」などというどうでもいい情報を仕入れる羽目になる。しまいには当初の目標を忘れて、その骨太な人間ドラマにすっかり魅了されてしまうのだからATG映画はやめられない。

家族ゲーム『家族ゲーム』(C)1983 ATG 若松孝二監督の『天使の恍惚 』(72)などもここで取り上げるべきだろうが、テロ映画の傑作ではあっても、エロ映画の傑作とはいいにくい。寺山修司の映画にもきっとエロはあるだろうと想像するが、恥ずかしながら筆者は『書を捨てよ 町へ出よう』(71)しか見ていない。見て、ほかの作品はもう見たくないと思ってそのまま生きてきてしまった。反省はしない。今回のプログラムの他の作品についても触れるべき個所は多いと思われるが、あくまで私的な印象に則って話を先に進める。

 『家族ゲーム』(83)にそのものズバリのエロは皆無だが、妙ないやらしさが全編に立ちこめている。家庭教師として雇われた松田優作が、宮川一朗太の頬に「チュッ」とキスする。宮川は「気持ち悪いですよ」と照れ笑いを浮かべる。それに対して優作は「俺だって気持悪いよ」と返す。別に同性愛をほのめかすシーンでもなんでもないのだが、恥ずかしそうな宮川一朗太の笑顔が少年愛への扉を開いてくれそうで、ちょっとしたいけない名場面である。朝のがらんとした教室で、主人公の宮川一朗太に同級生の中学生少女が「沼田君、好きよ」とささやくシーンの張りつめた緊張感。最上のシチュエーションが初々しいエロスを醸し出す。また、母親の由紀さおりに向って、「ねえ生理って痛いの?」などと主人公の兄がしつこく聞くあたりも家庭内の“エロの刻”を不必要に描いており素晴らしい。この不必要な描写の連なりこそが『家族ゲーム』を後世に残す大傑作に仕立てている。

 『逆噴射家族』(84)は、『狂い咲きサンダーロード』の石井聰亙監督の下、一部の若者の右傾化に少なからず貢献した小林よしのりの第一稿を、『狂った果実』の神波史男がリライトする、という成り立ちも凄いが、「ベストヒットUSA」のパーソナリティーを務める小林克也のやけっぱちな暴走ぶりが圧巻。故・植木等の軍服姿もいい。だが暴走するのはおっさんたちばかりではない。当時中学生だった工藤夕貴がスクール水着を着てプロレスに挑戦するのだ! それだけではない、今では車上荒らしに悩む国際派女優の彼女、なぜか水着の上から亀甲縛りにされるのだ! ご丁寧に股の間にもしっかり縄を通されているッ。そんな妹の姿を目の当たりにしたお兄ちゃんは……以下自粛。美少女+スクール水着+緊縛(股縄あり)というゴージャスな組み合わせに、これまたいけない興奮を誘われること必須の倫理感逆噴射ムービーだ。

サード『サード』(C)1977 ATG きわめつけは『サード』(78)である。森下愛子といえば今ではクドカン脚本、堤幸彦演出のドラマなどでのかっ飛んだ明るい熟女像が広く流布されているが、十代当時は、その絶句するような美少女ぶりと、絶句するような脱ぎっぷりの良さが好印象の最高のロリータだった。

 『サード』は、少女売春、今で言うエンコーの走りみたいな風俗現象(と、その報いとしての少年院暮らし)を描いている。この中に、東陽一監督という、日本映画界で女優を魅力的に撮る屈指の達人が捕捉した衝撃のショットがある。地方都市の暮らしから脱却するために、同級生の森下愛子を使って美人局を始めた高校生のサード(永島敏行)は、森下がなかなか部屋から出てこないのを気にして、客をとっている部屋に足を踏み入れる。すると、一仕事終えた風情のやくざの傍らで、森下は茫然として、汗でぬらぬらとひかる裸身を投げだし、虚空を見つめているのである。華奢で、折れそうな四肢。白く透き通るような肌。そのからだが苛烈な蹂躙のなごりで紅く火照っている。森下の表情は、すでに少女のそれではない。サードは見る。少女の幼い乳房から滴る、ひとしずくの汗の軌跡を。彼女はまがまがしいやくざの手によって性的に開花させられてしまったのである。その絶対的な光景を目の当たりにしたサードが、敗北感に打ちひしがれて凶行に走るのも無理はない。

 わざわざカットを割ったこの鮮烈な“乳房を滴り落ちるひとしずくの汗”ショットは、初見から十七、八年は経った今でも、思い出すたびに「ウッ」とこみ上げるものがある。そしてクドカンのドラマでエロスのかけらもないコメディエンヌぶりを見せるトウのたった森下愛子を見つめながら、(やくざにめちゃくちゃに開発されちゃったんだよな、愛子は……)などと虚ろな気分で思うのである。そんなとき、自分はきっとサードと同じ目をしている。あの敗北感と怒りをいまだに引きずっている。……ねえ愛子、君の名を呼ぶとぼくは切ないよ。

  入口はエロでいい。しかし、ATG発の映画に触れたとき、確実に映画に対する感受性は広がりと奥行きを見せる。それはATGの映画が世間から爪弾きにされた者、被抑圧者たちの声を果敢に取り上げてきたからである。異形、夾雑物、邪魔者、ノイズ、悪、そうしたモチーフがゴロゴロと転がるさまは、実に「豊穣」である。それらに正面から向き合うには勇気と体力、気合が必要だ。だがこの壁を乗り越えたとき、きっとあなたは少しだけ大人になっている。少しだけ“いけない”ことに寛容になっている。急げ、六本木へ!

(2007.10.28)

2007/10/31/16:13 | BBS | トラックバック (0)
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