映画祭情報&レポート
第10回東京フィルメックス(11/21~29)
2つの世界の間で/第10回東京フィルメックスレポート1

夏目 深雪

開会式にて:ジャン=フランソワ・ロジェ氏、ジョアヴァンナ・フルヴィさん、崔洋一監督、チェン・シャンチーさん、ロウ・イエ監督
開会式にて:審査員左からシネマテーク・フランセーズのジャン=フランソワ・ロジェ氏、トロント映画祭プログラマーのジョアヴァンナ・フルヴィさん、審査員長の崔洋一監督、女優のチェン・シャンチーさん、ロウ・イエ監督
前、第22回東京国際映画祭(以下TIFF)のコンペティション部門について書いた時に、「映画にとっての「物語」という概念を覆すような衝撃作こそなかったものの…」というようなことを書いたが、その衝撃作を毎年のように届けてくれたのは、そう、東京フィルメックスである。今年の映画祭のテーマは「映画の未来へ」であり、市山プログラミング・ディレクター(以下PD)は出品作を「テーマ性よりも映像表現の面白さ重視で選んだ」という。ジャンルも国もバラバラなのに、確かに映画祭を通して観ると一貫した映画への、文字通り未来への前向きな視点が感じられるのがこの映画祭の一番の特徴である。
『2つの世界の間で』というのは今年のコンペティション部門への出品作、スリランカの新鋭、ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督の作品である。しかし映画を観る前からそのタイトルだけで過去のフィルメックスの記憶が蘇り、例えば第5回フィルメックスで上映され最優秀作品賞を受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンの『トロピカル・マラディ』を観た時の衝撃を想起してしまったのは、私だけであろうか。

映画では前提として物語が語られる。虚構の物語を語る方法について、アリストテレスが分類した2つの方法、ミメーシス(模倣して見せるもの)とディジェシス(言葉で語るもの)、演劇の分野のものと小説の分野のもの、両方の手法を組み合わせて行う映画はもともと複雑な伝達媒体である。映画での物語は因果性、時間、空間に多くを依存するが、平行性を使う時がある。例えば、違う場所で生活する2人を交互に追うような場合である。観客はその2人の状況を比較し対比する。2つの世界を行き交う観客の自由さによって、映画は一人の主人公に焦点を合わせたものよりも、豊かで複雑なものとなる。しかしその平行性にも結論が与えられることが多い。例えば、2人が最終的に出逢うといったような。或いは、片方は成功し片方は失敗するといったような。或いはまた、共通点やテーマが隠されていて、それを見つけることによって観客に喜びがもたらされるような。
『トロピカル・マラディ』前半はゲイのカップルをゆったりとしたリズムで描き、後半は“呪いにより、人間が虎に変身する”というタイの民間伝承に基づいた夜の森の中の虎を巡る話を怪奇色たっぷりに描く『トロピカル・マラディ』では、結論めいたものは全く与えられない。そもそもが前半の話と後半の話に、関連めいたものすら見つけるのは困難である。全く違う映画をただ並べたようなこの2つの話は、むしろ昼/夜、都会/森、人間/自然といったニ項対立の方が目立ち、観客は2つの世界を結びつけるはずの、いつもならば与えられるはずの「ヒント」を見つけようとすると、戸惑うことになる。平行性というよりは対照性と呼びたいようなこの手法に筆者が驚いたのは、戸惑いやすっきりしない不快感よりもむしろ映画が世界に向かって「開かれていく」ような新鮮な感覚を覚えたからであるのだ。結論があるからこそそこで終わってしまう普通の映画と違って、結論がないからこそ前半の話と後半の話の呼応性はいつもでも観客に体感として残り、観客自らがその2つの世界を合わせ鏡のように影響させ合うこと、イメージを自由に自分で操作することが可能になる。

今年も多種多様、斬新な映像表現が駆使された作品が集められた東京フィルメックスであるが、今回は「2つの世界を描いた」映画にこだわって論じてみたいと思う。グローバリゼーションにより世界的・文化的には均質化が進められたと言われる反面、極端な市場原理によって格差は広がる一方だと言われている。さきほどの『トロピカル・マラディ』ではないが、二項対立を掲げても決して安易な単純さに陥ることなく、概念ではなくそのイメージの豊穣さによって、違う世代、違う人種、違う世界の手触りを、その間の落差を、にも関わらず差し伸べられた手の温もりを伝えることが映画は可能であるからだ。映画が娯楽や癒しであって悪いことはないのだが、先行きの見えない時代だからこそ、映画が世界に対して何ができるのか、そのアクチュアリティにこだわってみたいと思う。

『フローズン・リバー』 特別招待作品

監督:コートニー・ハント サンダンス映画祭審査員大賞、ニューヨーク映画批評家協会賞新人監督賞ほか多数受賞 2010年シネマライズ正月第2弾ほか全国でロードショー

『フローズン・リバー』2つの世界は大抵、気が付いた時にはすでにそこにある。女性監督の初長編、ニューヨーク北部が舞台のこの映画では、それはトレーラーハウスに息子と住む白人女性、レイと米国とカナダの国境にまたがる先住民地域に住むモホーク族の若い女性、ライラに象徴される。しかし実はこの2人は共通点が多い。ギャンブル好きの夫が出て行ってしまい生活費にも事欠くレイと、夫を亡くしたあと定職がなく幼い子を夫の母に取られ、カナダから米国へアジア系移民を運ぶ密入国ビジネスに関わるライラ。2人とも経済的困窮と子供への愛情から、やむなく違法のビジネスに手を染めるところは同じだ。違いは白人と先住民というだけ。しかしそれでも先住民への差別は歴然と存在し、2人も最初から意気投合というわけではなく、出逢いは幾分暴力的なものになる。
民族や階級の違いを縦線とし、人間としての共感を横線とすると、最初は縦線を強調しながら横線で盛り上げ映画的クライマックスに持っていくのはほとんど常套手段である。この映画の優れている点は、そのような定型の中でも、緊張感を保ちつつ付き合うレイとライラの関係にリアリティがあることだ。そして一瞬のレイの差別意識が、幼い命を奪いそうになる危うさをきちんと描いていること。2人が車で移民を運ぶ凍りついたセントローレンス川は、暗く、いつ薄氷が割れるのかと観客もヒヤヒヤし、その時間も長く感じられるが、それは2人の間の溝の深さのメタファーでもある。2つの世界の境界線を、観客はいつ川底に吸い込まれるかわからない危険性と、その時間の長さとして体感することができる。そして、レイがライラに手を差し伸べる時、まさにレイはそのいつ割れるともしれない薄氷を踏みしめながら、その感動的な一歩を踏み出すのだ。
緻密な脚本と丁寧な演出によって、2つの世界の間の境界線とそれを越える勇気を圧倒的なリアリティの中で描いた傑作である。

『息もできない』 コンペティション部門 最優秀作品賞/観客賞受賞

監督:ヤン・イクチュン ロッテルダム映画祭タイガー・アワード、ドーヴィル・アジア映画祭最優秀作品賞ほか多数受賞 2010年春シネマライズにてロードショー

『息もできない』そして、俳優ヤン・イクチュンの初長編作品であるこの映画は、親子や、世代間の断絶を描いている。借金取りのサンフンは、妹を殺し、母親の死の原因を作った父親を激しく憎み、その苛立ちを借金を取り立てる相手や職場の後輩に暴力としてぶつけていた。女子高生ヨニも、母親を亡くし粗暴に振舞う父と弟を抱え、鬱屈として日々を過ごしていた。そんな2人がひょんな出来事から出逢い、それぞれの悩みから逃避するように、一緒に過ごすようになる。
とにかく事あるごとに文字通り「噴出する」ようなサンフンの暴力、負のパワーが印象的な映画であるが、その分サンフンとヨニが寄り添うシーンは明確な愛情表現があるわけではないのに詩情が漂い対照的である。サンフンは取り立ての際には非情で暴力的な男であるが、ヨニや甥には愛情深い面を見せ、人間の多面性を描くことに成功している。家族が、愛情があるだけにちょっとした躓きから憎しみ合うようになってしまい、そうすると距離が近いので「暴力」になってしまう、よくある話なのに何故かあまり映画では描かれることの少ない「ある雰囲気」もよく描かれている(映画で描かれることが少ないというのは、やはり観客が受け入れがたいのであろうか。筆者の周りでも、暴力シーンが誇張が過ぎて受け入れがたいという感想をちらほらと聞いた。筆者はむしろリアリティを感じたのが)。
この映画のもう一つの優れている点は「暴力の連鎖」を描いているところであろう。親子や世代間の断絶は徹底的に直裁な暴力として描かれる。父が母や妹に行った暴力による心の傷からサンフンは父や取り立てる相手、職場の後輩に暴力をふるう。父にしてみたら自分がふるった暴力が自分に跳ね返ってきたようなものだ。そしてサンフン自身も、自分がふるった暴力が思わぬところから返ってくることになる。
観ている時は圧倒されるばかりなのだが、観終わってみると多面的でありながら緻密、かつ凝った構成に驚かされる。綺麗ごとではすまない暴力の怖しさと、愛と憎しみが複雑に絡み合う人間の本質をパワフルに描いた力作といえよう。

左:林加奈子ディレクター 中央:ヤン・イクチュン監督 右:イ・ファン氏
左:林加奈子ディレクター 中央:ヤン・イクチュン監督 右:イ・ファン氏
Q&Aには監督で主演(サンフン)も務めたヤン・イクチュン氏と、女子高生ヨニの弟を演じたイ・ファン氏が登壇。監督は、日本語を披露するなどヤクザな役柄とはうってかわってお茶目な雰囲気。「監督が主演でやりにくくなかったか?」という観客からの質問に、イ・ファン氏は「監督は俳優のことをとても信頼してくれ、通常の映画のように読み合わせやリハーサルは一切しなかった。これまでの生き方や、家族のことを話し合うことが多かった」との答え。 監督は、現代の韓国人の、家族が抱えている問題を描きたかったとのこと。「この映画で描いたそれぞれのキャラクターが、自分を愛す過程を描いている。家族をテーマにしたのは、自分自身が両親のことが嫌いでそれについて悩んでいて、一生それについて悩むのは嫌だったので取り上げた。両親にしてみたら、社会が彼らに多くを望みすぎていて、自分の家族の幸せを考える余裕があまりない。社会のシステムが彼らをそうしてしまったのだ。が、自分はこの映画を撮ることによって健全になったと思うし、今では、両親との関係はとてもいいものだ。韓国人の変化を感じてもいるし、父も自分を愛することができるようになったようだ」と語った。

(2009.12.3)

レポート1レポート2フォーラムレポート

第10回東京フィルメックス (11/21~29) 公式
特別招待作品『フローズン・リバー』( 2008/アメリカ/監督:コートニー・ハント )
コンペティション部門『息もできない』( 2008年/韓国/監督:ヤン・イクチュン )

2009/12/06/11:37 | BBS | トラックバック (0)
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