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レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏

( 2009 / ベルギー / イヴ・イノン、エリック・カルド、デルフィーヌ・ルエリシー )
目立つことのない仕事に責任感と誇りを持つ男たちの美学、そして絆

富田 優子

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』1いよいよサッカーW杯南アフリカ大会が開幕する。悲観論漂う日本代表の健闘を何とか願いたいのと同時に、世界の強豪国がしのぎを削る熱い戦いが、ワールドクラスの選手同士の技と技のぶつかり合いがもうすぐ見られることを想像すると、おのずと心ざわめき、大会本番がもう待ち遠しくてたまらない。サッカーをこよなく愛する筆者にとっては、夢のような1ヶ月が間もなく始まるのだ。今から心躍ってしかたがない。
そんなW杯直前のこの時期、今だからこそ観るのにふさわしい映画がある。現在公開中の『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』というドキュメンタリー映画だ。これは2008年に開催された欧州サッカー連盟(UEFA)主催の欧州選手権(EURO)を舞台としているものだが、興味深いのが、大会の主役である選手ではなく、彼らの試合をジャッジするレフェリーの姿を追った作品ということだ。
もちろん、プレイ中のスター選手の姿もちらほら見ることもできる。優勝したスペインチームの面々がトロフィーを掲げる瞬間や、準々決勝のスペイン対イタリアは延長戦でも決着がつかずPKまでもつれ込み、カシージャス(スペイン)とブッフォン(イタリア)という、世界屈指のGK同士の対決のシーンなども収められており、2年前に感じた、鳥肌が立つくらいの興奮を呼び起こしてくれる。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』2だが、あくまでも本作の主役は選手ではなく、レフェリーだ。試合中の観客の大声援のボリュームを絞って、主審と副審、第4審判のワイヤレスイヤフォンを通しての会話を浮き彫りにしている。その会話は副審が主審に「(主審の背後で)選手同士が小競り合いをしている」とか「○○(選手の名前もしくは背番号)の動きが怪しいからよく見ておけ」などと伝えたり、主審が副審にファールがあったかどうかを確認したり、残り時間を尋ねたり、セットプレイの前には「ここは集中していこう」と互いに励まし合ったりしている。これらを瞬時に判断して対応しているのだから驚きだ。
また、判定を不服として詰め寄る選手へ「これ以上抗議するとイエローカードを出す」と注意するといったやりとりなど、スタジアムやテレビでの観戦では分からない、まさに「裏側」から見た試合の様子を、試合中のピーンと張り詰めた空気とともに克明に記録している。なかには「隣町の天気」を伝えている、ちょっとお気楽な(?)会話もあったりして、それぞれのレフェリーの個性や試合の状況に合わせて対応している様子がよく分かる。

とは言え、レフェリーの存在とは、黒子そのものである。決して目立つことはない。試合に特段の問題がなければ、彼らの地道な仕事がスポットライトを浴びることはほとんどない。彼らが試合をコントロールしているのにも関わらず、だ。反対に、これはちょっとおかしいのでは・・・と疑問を持たれるような判定を下し、それが勝敗に直結した場合には厳しいバッシングに晒される。そう考えれば、レフェリーとは極めて損な役回りである。特にサッカーが生活に深く根付いている欧州では、時に政治家までもがレフェリーの判定について言及することも少なくない。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』3本作にもそんな場面が登場する。ドイツのレーヴ監督は1次リーグで退場処分を受けるのだが、試合を観戦中のメルケル首相に憤懣やるかたない形相でレフェリーへの不満をぶちまけている(ように見える)シーンがある。日本の場合、代表監督がジャッジを不服として首相のもとに駆けつけて泣きつくというのは、まず考えられないことで、欧州でのサッカーに対する熱さを改めて感じてしまう。
イングランドより選ばれた主審のハワード・ウェブ(余談だが5月22日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦でも主審を務めたので、試合を観た方はおおっ!と驚かれるかもしれない)は、1次リーグでのポーランドへのジャッジを巡って、批判の矢面に立たされる。ポーランドの首相が「誰かを殺したい」と発言をしたこともあり、ウェブ自身はもちろんのこと、英国に住む彼の家族にも厳重な警護がつく。おまけに英国在住の同姓同名の「ハワード・ウェブ」さんのメールアドレスに批判や脅迫のメールが殺到し、無関係のウェブさんのアドレスが炎上したという、笑いたくても笑えないようなオチまでついたほど。
確かにウェブと副審の試合中の会話を聞く限り、そのジャッジが正しかったのかどうかは微妙なところだろう。副審自身も「あれはオフサイドだった・・・」と控え室でミスを認めて落ち込んでいる。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』4だが、ウェブは副審を責めることはなく、自分が最終的には判断したという責任を背負い込み、世間の批判に対して見苦しい弁解はしない。その姿にはレフェリーという仕事に対する並々ならぬ覚悟が窺える。サッカーはビデオ判定もなく、結局のところ主審の判断で試合が裁かれるのだから、どうしても人為的なミスは生じてしまうのはやむを得ない競技とも言えるだろう。
でも彼らレフェリーは、ミスを限りなくゼロに近づけ、選手に気持ち良くプレイしてもらいたいという思いから、試合前は控え室でレフェリー同士で円陣を組んで集中力を高め、ハーフタイムでもただ休んでいるだけではなく、バナナや栄養ドリンクを口にしながら、後半戦のコントロールの仕方を確認し合う。試合後は第三者を交えて試合のビデオを観て反省会をし、体力作りや体のケアにも余念がない。レフェリーたちの目立つことはない地道な努力を観ていると、尊敬の念を抱かずにはいられない。

そんな彼らの「地道な努力」を支えているものは何なのか?それは、自分たちレフェリーが、試合をコントロールしているという誇りだ。前述のとおり、レフェリーの仕事ぶりは決して目立つことはないのだが、試合には不可欠な存在である。多くの人々を熱狂させる試合を裁いていることの責任の重さを自覚し、それを誇りとしているからこそ、人には見えないところで、たゆまぬ努力を重ねているのだ。そんな誇りを胸に、ピッチに立つ彼らの姿は、まさに「ザ・仕事人」。その姿はサッカーにあまり詳しくない人でも共感できる要素となっており、見習いたいと思わせてくれる。彼らのそんな努力を知ったうえで、映画の展開を追っていくと、選手よりもレフェリーのほうがカッコよく見えてきて、ホレてしまいそうだった。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』5誇り高きレフェリーたちが目標としているのは、決勝戦の笛を吹くこと。1次リーグでの審判の内容で決勝トーナメントを担当できるのかどうか決められる。前出のウェブは選ばれることなく英国へ戻る。悔しい気持ちもあるだろうが、それを押さえて、決勝トーナメントを担当するレフェリーたちに祝福の言葉をかけるのだ。
もちろん、どんなに素晴らしい試合運びを見せても、それだけで決勝を担当できるわけではない。それはルール上、レフェリーはその試合をする国以外の国の出身者を選ばなくてはいけないからだ。つまり、ドイツとスペインの対戦となったEURO2008決勝戦では、必然的に決勝の笛を吹くのはドイツとスペイン以外の国の出身者から選ばれることになる。
スペイン出身のマヌエル・メフト・ゴンザレスは、決勝で笛を吹くことを希望していたが、母国スペインが勝ち上がってしまったので、帰国することになる。彼自身はもちろんだが、彼の家族も複雑な思いだ。彼が決勝のレフェリーを務めるためには、スペインが敗退しなくてはならない。家族の間でも「やっぱり決勝のピッチに立っている姿が見たいわ」という意見と「そんなのどうでもいいの。アタシはスペインが優勝するシーンを見たいのよ!」という意見に分かれていて、当の本人は黙って苦笑するしかない。どこのチームが勝ち進むかは、レフェリーにはどうすることもできず、運命に委ねるしかないのだから。
反対にそのチャンスを得たのが、スペインに準々決勝で敗れたイタリアから選ばれた主審ロベルト・ロセッティだ。ゴンザレスはロセッティを祝福し、帰国する。レフェリー同士を勝者と敗者とに分けるのは抵抗があるのだけれど、決勝のピッチに立てるのは1人の主審のみ。彼を勝者と定義するのなら、他のレフェリーたちは敗者ということになるのかもしれない。だが、粛々と運命を受け入れるその姿はレフェリーとしての美学を貫いているようで清々しく、感慨深い。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』6そして決勝戦。このシーンは、主審と副審の試合中の会話を浮き彫りにする方法をとらず、ウェブら既に帰国したレフェリーが、家族や仲間とテレビで試合を観戦しつつ、ロセッティのジャッジングを講評する姿を映し出している。映画として、これは非常に良い演出だと思った。
試合中、ロセッティがドイツのバラック、スペインのカシージャスの両主将を呼びつけ、何やら注意を与えているのだが、映画の観客には詳細は分からない。試合を実況しているアナウンサーや解説者だったら、その直前のプレイなどで推測するしかないだろう。でも、ウェブはロセッティが2人に何を注意したのか、彼の意図を読み取り、「正しいジャッジだ」とロセッティを称える。 ロセッティが何を注意したかという種明かしをするのなら、映画の前半と同じ手法で無線機での会話を流せば良いことだ。だが、ここはあえてそれをせず、ウェブたちの講釈に任せている。そのことで、レフェリーたちは決勝のピッチを争うライバルでもあるが、同時に深い同士愛のようなもので結ばれていることが強く伝わり、爽やかな感動を呼ぶ。試合の瞬間、それぞれが身を置く場所は離れている。1人は栄えある決勝戦のピッチ上で、その他のレフェリーは自宅やバーでその試合、というよりロセッティを見守っている。ロセッティは先に帰国したレフェリーたちの思いを背負って決勝のピッチに立っていることが感じられ、胸が熱くなる。

試合はスペインの優勝で幕を閉じ、歓喜に沸くスペインチームの様子、優勝セレモニーできらめく紙吹雪のなかを選手たちが誇らしげにフィールドを一周する様子がテレビに映し出される。そこにはロセッティの姿はない。試合はあくまでも選手が主役であるということをレフェリーたちは自覚し、さっと身を引いたようにも見えてしまう。
映画の「主役」であるレフェリーの姿が映らないことに、ちょっと寂しい気がするが、レフェリーとは所詮そういう役回りのもの。ゴンザレスが、母国スペインの優勝による周囲の大騒ぎから取り残されたように、1人、試合の余韻を噛みしめるようにたたずんでいる姿が印象的だ。母国の優勝を喜ぶ周囲の人たちとは違う思いを抱いているのは明らか。映画では彼がその思いを語ることはないが、すでにテレビの画面から姿を消した仲間を思っていることが伝わってきて、心に響く。

『レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏』7普段、サッカーファンの視線が追うのは、好きなチームや選手の動きや、試合展開だ。レフェリーがいなければ試合はできないのに、彼らの奮闘ぶりを称えようという意識はとても希薄だ。ちょうど2年前、筆者はテレビでEUROの試合を観て熱くなっていたが、レフェリーのことまで思いは至らなかった。だが、本作を観て、南アW杯では今までの見方を変えて、レフェリーのことももっと気を配って見てみようという、新たなサッカーの楽しみ方が増えたみたいで、お得な気分が味わえる。そういう意味でも、目立つことのないレフェリーの存在にスポットライトを当てたことの意義は大きいだろう。
サッカーが好きな人なら間違いなく楽しめる作品だ。でも、普段サッカーにあまり興味がない人でも、レフェリーたちの自分の仕事に対する責任感と誇り、そしてレフェリー仲間との絆――そこにはライバル心とか友情とか敬意などが含まれる――がひしひしと伝わってきて、そんな彼らの姿勢には学ぶべきところが多々あると感じ入ることだろう。4年に1度というW杯直前のこの時期だからこそ、サッカーファンの人はもちろんのこと、そうでない人にもぜひ観ていただきたい作品だ。

(2010.5.30)

レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏 2009 ベルギー
監督: イヴ・イノン、エリック・カルド、デルフィーヌ・ルエリシー
出演:ハワード・ウェブ、ロベルト・ロセッティ、ミシェル・プラティニ 他
原案:イバン・コルニュ 録音: イヴ・グッソン・バラ、ユッグ・ボロ、ジャン・リュック・ヴェルディエ
編集:フランソワーズ・トゥルメン 撮影: ディディエ・ヒル・ディライブ、アントニオ・カプルソ、ヴァンサン・ユフティ
オリジナル楽曲:アーリン・ヴェルバーグ エグゼクティブ・プロデューサー:ミシェル・ヴァリエ
2009年 / ベルギー / 77分 / カラー / 16:9 / 英語 他
原題:LES ARBITRES 配給・宣伝:アップリンク 提供:J SPORTS

5 月22 日(土)よりアップリンク・ファクトリーほか、全国順次公開

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2010/05/30/12:30 | トラックバック (1)
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