インタビュー
篠崎誠監督

篠崎 誠(映画監督)

映画「怪談新耳袋 怪奇」について

公式

2010年9月4日(土)より、
シアターN渋谷他全国順次公開!

日常との地続きでフィクションを立ち上げる

日本中から本当にあった実話怪談を収集し、現代怪談ブームを巻き起こした「新耳袋」。同著はBS-TBSでショート・オムニバス『怪談新耳袋』として映像化され、その新感覚の恐怖演出は瞬く間に熱狂的ファンを生んだ。続いて製作された劇場版シリーズ3作品もヒットを記録。世界を席巻したJホラーに大きなインスピレーションを与えたことは、今や伝説として語り継がれている。
このロングシリーズ、実に4年ぶりとなる待望の新作でメガホンをとるのが、Jホラー界“恐怖の最終兵器”と謳われる篠崎誠監督である。黒沢清監督との共著『恐怖の映画史』でも知られる、古今東西のホラー映画に広く精通した篠崎監督ならではの恐怖領域とは?
念願の初劇場用長編ホラーを完成させた監督にお話を伺った。(取材:鎌田 絢也

篠崎誠
映画監督、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。『おかえり』(95)で商業映画監督デビュー。同作でベルリン映画祭新人監督賞、モントリオール世界映画祭新人監督グランプリなど、海外で11冠を受賞。主な作品として『忘れられぬ人々』(00/ナント三大陸映画祭主演男優賞、主演女優賞W受賞)、『犬と歩けば チロリとタムラ』(03/上海国際映画祭ニュー・タレント部門グランプリ)、北野武の青春を描いた自伝小説のドラマ化『浅草キッドの「浅草キッド」』(02)、短編『殺しのはらわた』(06)、『0093女王陛下の草刈正雄』(07)、『天国のスープ』(08/芸術祭参加作品)など。また黒沢清監督とホラー映画について語った共著「黒沢清の恐怖の映画史」(03/青土社刊)がある。新作として桐野夏生原作の『東京島』(10)が公開中。

――『ツキモノ』と『ノゾミ』。本編は2部構成ということで、どちらもアプローチが違っていてとても見応えがありました。まずは『ツキモノ』について、一番工夫されたポイントをお聞かせください。

篠崎誠監督2篠崎 もともと『ツキモノ』は、『怪談新耳袋』の原作者の一人である木原さんの『隣之怪 病の間』の「肝試し」というエピソードを元にしています。墓場へ肝試しに行ったひとが何かにとり憑かれて、墓石の上をピョンピョン飛び跳ねる話で、「これで、やれないか?」とプロデューサーから提案があって。それをどう膨らませるか脚本の三宅隆太君といろいろ考えました。じゃあ、具体的にどこで肝試しをさせればいいか。すでに「新耳袋」で廃墟や廃病院という設定は出尽くしていますし…。あれこれ二人で悩んでいるうち、三宅君が「いっそ大学を舞台にするのはどうか」と言いだしたんです。僕は立教大学の映像身体学科で、三宅君も東京工芸大学で映画のワークショップや講義をやっているので、それならどちらかの大学を使って撮影しようじゃないかと。エキストラで学生も出てくれそうだし(笑)。そこから「大学という限られた空間に外部から侵入者がやってきてある惨劇が起こる」という設定が生まれて、あとはもう一気に三宅君が書き上げてくれました。

――「ある限られた空間に迫りくる侵入者」という、一見ゾンビ映画のようなジワジワくる怖さを感じました。『ツキモノ』では、アメリカンテイストを狙ったともインタビューでお答えになっておりましたけども?

篠崎 たしかにアメリカン・ホラー的なテイストを狙ったのですが、あくまでも『新耳袋』なんで、そこは悩みました。つまり悪霊にとり憑かれた人間が、最近のゾンビ物みたいに病原菌に侵されて凶暴化しているように見えたら困るわけです。そこでとり憑かれた人間が怪物化する直前から“しゃっくり”を止まらなくさせるとか、歯が抜け落ちる描写をしたのですが、まだ充分じゃない。それなら怪物が出る予兆として、照明が明滅するのはどうかと。さすがに病原菌の仕業には見えないし、電気だったらその場でスイッチをパチパチやればいいだけなんで、予算がかからないで済みますしね(笑)。夜の校舎って不気味じゃないですか。ひとつずつ校舎の灯が消えていって、最後は闇の中でヒロインと怪物化した女性が対峙する。これでいきましょうと。

――その怪物が学生たちを襲って、親指を目にあてて目を焼き焦がすというシーンがありますけど、あれは何か元ネタがあるんですか?

篠崎 これというのはなかったですけど、きっと誰かがやっている気がします(笑)。もともとは呪文のような言葉をブツブツ呟きながら、憑き物に憑かれた女性が主人公に迫っていく発想があったんです。冒頭でヒロイン以外に誰もバスに乗って来た不審な女性に気づかないのか、知らんふりをしている状況が描かれますよね。あたかもそんな女性がいないかのように、見てないふりをする。三宅君と話していて、ここ数年授業などで付き合いのある学生たちをみてると、あまり議論しなくなった感じがすると。お互い作ったものを見せあっても、面と向かってケナさない。むしろ、そつなくフォローし合う。よくない部分は見て見ないふりをして、都合の悪いところは聞かないようにして、思ったこともちゃんと言わない。人間関係であまり気まずい思いをしたくない。そこから「見ざる、言わざる、聞かざる」っていうのはどうだろうかと。三宅君も乗ってくれて。最初は、見ざるで眼をつぶし、言わざるで舌を抜き、聞かざるで耳を引きちぎるって過激なことまで考えたのですが、『新耳袋』は、血しぶきや極端にグロテスクな描写はNGなので、シナリオでそう書いても、結局はシルエットで表現するとか、ロングショットにしたり、省略せざるをえなくなる。それなら眼だけにして、焦がすというのはどうかと僕から提案したんです。ちなみにあの煙はCGじゃないですからね。スタッフの吐きだしたタバコの煙なんです(笑)。

――すばらしい!アナログのテクニックが込められていたわけですね!

篠崎 少ない予算で最大の効果(笑)。ないからこそみんなで知恵を出し合ってというのが映画のいいところですからね。

――一方『ノゾミ』なんですが、この作品は『ツキモノ』のホラー路線とは違って、とても日本的な佇まいの中に浮かび上がる“心霊映画”というムードが印象的ですが?

『怪談新耳袋 怪奇/ツキモノ』篠崎 僕としては“心霊”というより“怪談”なんですね。子どもの頃の記憶で、学校帰りの昼下がりに、テレビで日本の怪談ドラマがよく再放送していたんですよ。「牡丹灯籠」とか「四谷怪談」とか「雪女」だとか。それがCMを抜くと50分という尺の中でよくまとめられていて、そういうテイストを新しい形でできないかというのがあったんですね。たまたまこの話をいただく前に、個人的に当時の怪談ドラマを見直す機会があって、改めて50分という尺の大胆な語り口の面白さを感じたんです。あと昼のワイドショーが夏になると怪談特集を組んで、その中で再現ドラマっていうのもありましたよね。必ず霊媒師が出てきちゃ盛り上がるわけですよ(笑)。

――ジャストでしたね(笑)。霊媒師役で登場された伊沢磨紀さんの存在感は素晴らしかった。

篠崎 この映画で伊沢さんに演じてもらった信子は、職業的な霊媒師ではなく、別に見たいわけでもないのに、本当に霊が見えてしまう人なわけです。つまりインチキ霊媒師のようないかがわしさを感じてさせてしまうと成立しなくなる役です。伊沢さんとはこれまでも何度かご一緒させてもらっていて、芝居がほんとうにリアルなんですよ。現場で見てるともう笑っちゃうくらい自然(笑)。決して気負って怖がらせようとしてないんですよね。その自然な佇まいが今回の役では重要だったので、引き受けていただいて嬉しかったですね。

――『ノゾミ』でとても印象的だったのは、水が出っぱなしになっているシャワーを主人公が止めに行くシーンでした。そこでは結局何も起こらないんですけど、一連の動作を追う画面に決定的な怖さが支配しているというスリルが尋常じゃないわけです。あの恐怖感こそがJホラーの怖さの“肝”だと思うのですが、そこには監督の恐怖の考え方が反映されているのでしょうか?

篠崎 何かがいそうな気配ですとか、何かが起こりそうな緊張感だけで画面を引っ張っていくのって難しいですね。でも、そういう時こそ、不穏な音楽で盛り上げたりせずに、台詞もできるだけそぎ落として、最小限の効果音と俳優の眼差しや動きだけで見せたいというところがありました。で、ホッとさせておいてからドンッと出す(笑)。ある種のお約束ではあるのですが、そこはこだわりました。

――ヒロインを務められた真野恵理菜さんですけど、意外と言っては失礼なんですが、とても深みのある演技で魅せられました。演出される上でどのようなご指導があったんでしょうか?

篠崎 いや、特別何もしてません。彼女が脚本に描かれていることを理解して、自分なりに準備し、現場に臨んだということに尽きます。いわゆる段取りっぽく形だけで表情を作るような演技ではなく、カメラ脇で見ていても、彼女の心が動いているのがしっかりと伝わってくるんですよね。真野さんには芯の部分で大人の部分があるんだと思います。自分のことだけじゃなく、共演者や周りのスタッフにも気を配っていました。あと意外とおしとやかで華奢に見えるんですけど、運動能力が抜群で、走る姿も弱々しく見えない。単に運動能力が優れているって意味だけでなく、的確にその場の空気を読み、相手の演技に反応して、ちゃんと役を生きる感覚が彼女にあるのでしょう。

――今回の作品のようにジャンル映画を手掛けながら、篠崎監督の第1作目は、これぞ日本映画という抒情を醸した『おかえり』という作品でした。またその一方で、ファンタスティックなC級?映画『刑事まつり』シリーズを手掛けるなど、振れ幅がひじょうに大きい作家性を見せています。そういう意味ではバランスを取りつつ作品を撮っているという印象を受けますが?

篠崎誠監督3篠崎 いや、バランス取れてないんじゃないですかね(笑)。『おかえり』も静かに始まって、後半、精神的に病んでしまった奥さんが車を盗んで逃げてそれを旦那が追いかけていくっていうところは急にアクション映画になっちゃいますし(笑)、その次に撮った『忘れられない人々』っていうのは、いきなり戦場シーンから始まって、老人の日常をずっと追っているとそこに謎の集団が回りこんできて、最後は、エッ!こんな終わり方なのって感じですので(笑)。僕自身、いわゆるジャンル映画をたくさん見て育ったんですけど、今考えれば単にジャンルのお約束にスッキリと収まっている映画よりも、アクションであると同時に恋愛映画でもあるとか、ホラーであると同時に友情物でもある、という風に、いくつもの感情やジャンルが混ざりあっているものに心惹かれるところがあって…。ですから今回の『怪談新耳袋 怪奇』でもジャンルものとしての怖さをおさえつつ、三宅君の脚本に書き込まれた、孤独を感じてる女の子の心の揺れを描きたいと思いました。一本の映画の中にいろんな感情が込められていて、ほんとうは一体何の映画なんだか分からないけど面白いっ(笑)ていうのが一番なんですよ。本来映画ってごった煮で何でもありだと思うんです。もっといえば監督なんてどうでもよくて、主役は映画そのものなんですよ。映画そのものがちゃんと受け入れられれば監督の味がどうこうっていうのはどうでもいいんです(笑)。僕は長らく映写技師をしていて、そのせいなのかもしれないんですけど、映写技師と映画監督ってよく似てる気がして仕方がないんです。つまり失敗したときにはじめてクローズアップされる存在にすぎない(笑)。映写がうまくいってる時って映写技師のことを誰も気にしないでしょ? それと同じ。ただ映画に集中して、面白かったね、で終わる。それが理想かも知れないですね…。ただ我ながら自分のフィルモグラフィを見ると、なんてめちゃくちゃなんだろうって思いますけどね(笑)。人間ドラマに、アクション物、動物映画に、コメディ。今回たまたまですが、『東京島』というこれ自体がジャンル分けしづらい映画があって(笑)。ほぼ同時に『怪談新耳袋 怪奇』というホラー映画が連続で公開されることになりまして。ますますフィルモグラフィーの混乱ぶりに拍車がかかりそうです(笑)。

――確かに、ファンタスティックな作品群に満ち満ちておりますよね(笑)。監督は映画というフィールドだけでなく、テレビというフィールドでもご活躍ですが、そのフットワークの軽さがフィルモグラフィに豊かさを生んでいるように思います。

篠崎 僕らの世代になると最初の映像体験はテレビなんですよ。面白いドラマがたくさんあったし、映画だって、今と違って、白黒映画とか、雑多なものがたくさん放映されていました。それとかつて大手映画会社華やかりし頃は、ごく一部の監督をのぞいて、監督は会社から与えられたものを次々撮っていたわけです。その後撮り続けているうちに、それぞれの監督の特徴が見えてきて、個性にあった企画を会社があてがうようになっていったんですね。今はそれがなかなか許されない状況があります。だからこそ、声がかかれば、映画でもテレビでもいろんなことをやってみたい。自分で自分の振れ幅を狭めたくはないんです。『おかえり』で東スポ映画大賞監督賞を頂いた後に、北野武さんに「篠崎さんさぁ、大切なことは自分でやりたいって言うことじゃなくって、人からやってくださいって頼まれることなんだよ。だから、これからいろいろオファーあるかもしれないけど、怖がっちゃダメだよ」って言われたんですよ。それが自分の中にずっと響いています。自分が選り好みしてるのはとんでもないなって気持ちがどこかにあります。与えられたチャンスはなんでもやりたいっていうのはありますね。

――振れ幅の大きい篠崎作品。そして今回の『新耳袋』を拝見して、日常を侵食する異物感というイメージが作家性としてあるような気がします。

篠崎 好きかもしれないですね。学生時代に自主制作を撮っている時に、だいたい周りのみんなが撮る映画って、不良を更生させるとか(笑)、そういう映画だったんですけど、僕はドッペルゲンガーとかゾンビとか(笑)、そういう非日常的なものを撮っていました。でもその後、90年代からVシネマが流行になって派手なアクションとかが出てきたんですけど、どこか乗り切れない自分がいて…。その時、自分の日常と地続きの部分でフィクションを立ち上げていかないと嘘っぽくなるような気がしたんですね。その当時の思いが『おかえり』という映画に結実したんです。なんでもないような日常を撮ることで、その日常の風景が違ったものに見えることがあって……。そう考えたのは僕だけではなくて、同時期に、橋口(亮輔)さんや是枝(裕和)さん、諏訪(敦彦)さんたちが商業映画を撮るようになって、90年代半ばから一気に日常的な空間を舞台にした映画がたくさん生まれてきたんです。そうなると今度は逆にもっと非日常的な要素を入れたくなってきたんですね。2作目の『忘れられぬ人々』では敢えて、戦場シーンを始め、アクション描写をやってみたり……。ここ数年は特に、単なる日常ではない、もう少し大きな出来事を扱いたいと思い続けていて、『東京島』のような作品に繋がっていった部分はあるのかも知れません。そう言う意味では、孤独を抱えた女の子の葛藤を描いた『怪談新耳袋』は『おかえり』の頃にやや戻った部分があるかも知れないです。素直に三宅君のシナリオに触れて、もう一回こうした世界に取り組もうって思えたんですよね……。今後も映画として見せ場となる大きな動きやうねりがありながら、そこに出てくる人間がしっかりと生きている映画を作っていければと思います。

篠崎監督の懐の深い映画愛を、時間を忘れて聞き入った濃密な1時間弱。
作家性よりも職人気質を伺わせる監督の映画観は、我らムービーブラッツの肝を鷲掴みするアッパーカットだ。プログラムピクチャ―万歳!(言い過ぎかもしれないが)
日常に混入する異物感というテーマを出自とした90年代を、自らの出発点と語った映画作家が、臆することなく次代へのステップを臨んで見せた。現代日本映画を支える屋台骨はまだまだ若い!

(取材:鎌田 絢也

怪談新耳袋 怪奇 2010年 日本
出演:真野恵里菜、坂田梨香子、鈴木かすみ、吉川友、北原沙弥香、秋本奈緒美
監督:篠崎誠(『東京島』『おかえり』) 原作:『ツキモノ』:木原浩勝(「隣之怪 病の間」メディアファクトリー刊)
『ノゾミ』:木原浩勝、中山市朗(「新耳袋」メディアファクトリー/角川文庫刊)
脚本:三宅隆太(『呪怨 白い老女』) 主題歌:真野恵里菜『ー 家へ帰ろう ー』
作詞:三浦徳子、英語詞:西田恵美 作曲:畠山俊昭(アップフロントワークス)
音楽:遠藤浩二 撮影:三栗屋博 照明:鵜飼隆一郎 録音・MA:岩丸恒 美術:桜井陽一
プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ/山口幸彦 アソシエイトプロデューサー:鈴木浩介 ラインプロデューサー:吉川厚志
2010年/日本/115分/ビスタサイズ/カラー/ステレオ
配給:キングレコード株式会社 (c)2010「怪談新耳袋 怪奇」製作委員会
公式

2010年9月4日(土)より、シアターN渋谷他全国順次公開!

隣之怪 病の間 (幽BOOKS) [単行本(ソフトカバー)]
隣之怪 病の間
新耳袋―現代百物語〈第1夜〉 (角川文庫) [文庫]
新耳袋―現代百物語〈第1夜〉 (角川文庫) [文庫]

2010/09/07/18:52 | トラックバック (0)
鎌田絢也 ,インタビュー
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