レビュー

なみのおと

( 2011 / 日本 / 濱口竜介、酒井耕 )
100年と人間

鈴木 並木

『なみのおと』1 『なみのおと』2 東北地方の太平洋岸沿いをめぐって東日本大震災の経験者を取材した作品、と聞いて、まったく身構えずにいられるひとは、そう多くないだろう。重いかたまりを肩に載せられるような映画なのではないか、と。あるいは逆に、勉強や反省の材料、もしくはなにか役に立つ情報を求めて、積極的に足を運ぶひともいるかもしれない。居住まいを正して、背筋をのばして、滝に打たれにでも行くような気持ちで。

いずれにしても、題材が題材なだけに、いわゆる娯楽として消費される(べき)ものではない、との先入観は避けられないだろう。しかし、動機がどんなものであれ、見進めるうちに少しずつ緊張はほぐれ、肩の荷は降り、誰もが軽やかな気持ちで家路につく。濱口竜介と酒井耕による『なみのおと』は、そういう映画である。と書いてみて、そんなものが本当に存在しうるのか、と驚いてしまうのだけれども。

とりあえずはいわゆるドキュメンタリーに分類され、また、“口承映画”とも呼ばれる本作は、全体が6つのパートに分かれている。登場するのは、お年を重ねた姉妹であり、消防団の3人の男性であり、友人を亡くした悲しみに沈む女性であり、堂々たる押し出しの石巻市議の男性であり、この上なく陽気な夫婦であり、仲の良い若い姉妹である。このひとたちが、地震と、それに続く津波のときの様子を思い出して、語る。それだけの、と言えばただそれだけの、ささやかな映画。

ここに出てくる全員にとって、地震と津波が、それまでの暮らしの連続性を瞬時に分断し、一変させた大事件だったのは言うまでもない。しかし『なみのおと』で語られているのは、瞬間の衝撃とその後の事後処理だけではなく、このひとたちがいままでどのように生きてきて、これからどちらに向かっていくのか、だ。人間がいて、ひととひととのつながりがあって、それを支える長いスパンの時間が存在している。そして、人間がある単一の感情に支配されたまま長期間を過ごすことはできないという、厳粛で忘れられがちな事実が体にしみこんでくる。

個々の語りの内容はあえて省くけれど、ここには、人間と人間が対話するときのごく当たり前の要素としての、脱線と寄り道がある。話者たちはふとした拍子に立ち止まり、振り返り、不意に思い出し笑いをしたかと思うと、悲しみのフラッシュバックに襲われもする。ジャッキー・チェンばりのアクションがあり、カーブを曲がった瞬間に一面に海が広がり、語り継がれてきた過去の津波が見え、未来に向けての新たな都市計画が展開する。交わされることばのなかに、すべてが目に見える形で、立体的に立ち上がってくる。

『なみのおと』3 『なみのおと』4そう、目に見える形で。語られている内容のあまりの面白さ(と言ってしまっても失礼にはならないと思うが)にどうしてものめりこんでしまいそうになるけれども、濱口監督がインタビューで語っているとおり、『なみのおと』はまずなによりも映画であり、フィクションを作ることをなりわいとする監督たちによる、精緻なたくらみの産物である。たくらみとはつまり、カメラポジションと編集――と言ってしまうとあまりに事態を単純化しすぎることになるので、フィクションを撮るのに極めて似た態度で(とは言っても、いわゆるヤラセとはまったく違った次元で)演出されたドキュメンタリー、とだけ形容しておこう。

一方的な情報の受け渡し、体験談の収奪になることを避けるためか、すべてのことばは空中に放たれるのではなく、対話として、たしかに目の前にいる相手に向けて発せられる。話し手がひとりのときは濱口や酒井が聞き手を務めるのだし、そうした場所では、カメラは単なる傍観者や記録者でいることはできない。レンズを通して、見ているわたしたちも、聞き手へと変容させられていく。

3がつ11にちをわすれないためにセンター」の公式アーカイブとして、2011年3月11日を100年後にまで語り継ぐための映像素材としての性格をも持つ本作、2011年の夏には撮影され、同年10月、山形でお披露目されている。震災からわずか半年の段階で、怒りに声を荒げるでも悲しみに沈みこんでしまうでもなく、日々の暮らしからにじみだすユーモアと前向きの達観とが届けられたことには、驚きと敬意を示すほかない。

100年後を想像するのは難しい。しかし、震災と津波を生き延びた話者のみなさん同様、監督ふたりも、まさに津波のように押し寄せてきた一次映像のインパクトをどうやったら乗り越えられるか、試行錯誤したのに違いない。濱口と酒井の試みは、映画がこれまでの100余年、人間の会話をどのようにとらえてきたかを踏まえた、その延長線上のものだといえるだろう。アスリート同様、映画も、遠くまで飛ぶためにはそれ相応の長い助走を必要とする。映画を過信せず、見くびりもしない謙虚さと、人間に対する礼節の賜物が『なみのおと』である。

最後に。どんな映画も、ただそれだけが独立してぽつんと存在しているわけではなく、むろん、本作にしても例外ではない。現在、オーディトリウム渋谷で開催されている濱口竜介レトロスペクティヴで、『なみのおと』と濱口のほかの作品とをあわせて見てみるならば、互いに通じ合い、響き合う要素がそこかしこに見出せるだろう。そのとき、フィクションとドキュメンタリーのあいだの距離は縮まり、あるかなしかの境界線は限りなく消滅に近づく。それは、『なみのおと』に出てくるひとたちを、わたしたちの隣人として見、聞き、触れ、感じることでもあるはずだ。

(2012.7.30)

なみのおと 2011年/142分/HD(Blu-ray上映)/カラー
製作:東京藝術大学大学院映像研究科 / 監督:濱口竜介、酒井耕 / 撮影:北川喜雄 / 整音:黄永昌

映画作家・濱口竜介レトロスペクティヴ『ハマグチ、ハマグチ、ハマグチ!』にて上映
■料金(レイトショー)当日券 一般=1500円/大学・専門学校生・シニア=1200円
※回数券(3回券)=3300円(会期中も販売/複数人数での使用可)
■『親密さ』オールナイト 料金当日券 一般=2000円/大学・専門学校生・シニア=1800円
※半券割引(オールナイトのみ)当日券 一般=2000円→1800円/大学・専門学校生・シニア=1800円→1500円

公式

2012年7月28日(土)~8月10日(金)まで、渋谷オーディトリウムにて開催!

2012/07/31/17:14 | トラックバック (0)
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