インタビュー
「夜が終わる場所」/宮崎大祐監督

宮崎 大祐 (映画監督)
映画「夜が終わる場所」について

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2012年9月22日(土)より三週間限定で渋谷ユーロスペースにてレイトショー公開!

宮崎大祐監督の初長編作品『夜が終わる場所』が、連日絢爛たる顔ぶれのゲストを迎えてレイトショー公開される。この、突如として現代日本映画の最前線に現出した宮崎大祐という聞き慣れない固有名に、未だ戸惑う向きも多いかもしれない。だが、世田谷一家殺害事件をモチーフとし、現代日本の闇の奥に生きる殺し屋親子を描く本作は、トロント新世代映画祭での特別賞受賞をはじめ、サンパウロ国際映画祭、トランシルヴァニア国際映画祭などに相次いで正式出品され、新人の作品らしからぬ風格を湛えた傑作として、既に数多の海外映画祭で話題を攫い、高い評価を得ている。待望の一般公開を控え、いま国内外から熱い視線を集める宮崎監督に、自身の来歴と作品について語って頂いた。 (聞き手:後河大貴)

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――もう少し作品の内容に踏み込んだ質問をさせて頂きたいと思います。主人公・アキラは、擬制としての父である殺し屋・為五郎のもと、自らもまた殺し屋稼業に手を染めています。でも一方で、『夜が終わる場所』は母性のあり方を巡る物語でもあると思います。

『夜が終わる場所』場面5宮崎 父性を云々するのは、日本社会及び文化において90年代後半の重要なモチーフとしてあって、実際に89年から95年までの流れはそこに規定されていたと思います。アメリカ映画は映画史誕生以来、ひたすら擬制としての父の問題をやっていて、もうずっと父親探しを続けているし、スピルバーグが最近になって父という権威の失墜をいくら描いたところで、相変わらず主たるテーマは父なんですよ。で、日本でも今主題は父なのか?アクチュアルなのは父なのか?いや、どうも違うと直感が教えている。では、論理的に考える場合は思い切って逆を取ってみるというのがありますけど、じゃあシンプルに母なんだろうか、でもそれってどうなんだろうという葛藤があって。青山真治監督の『サッドヴァケイション』は、すべてを内面化してしまう自然=血としての母性の呪縛を一度拒絶したあとに、他者性を留保したまま単独的な個が集う場所として家を描くことで、母性の再定義を行う映画だったのだと見ましたが、さすがに同じことは出来ない以上、それをどう処理したら先に進めるんだろうということをまたも鬱々と考えて、もはや単純な父殺しでは現代日本に於けるアクチュアリティが保持出来ないという結論に至りました。撮影中も、寝ないでそれをずーっと考えていました。で、最終的に「父」を父親のふりをした単なる「男」たちでしかない、というところまで引き下げるところから始めて、父モドキたちがそんなことをやっていたところで、それを支配しているのは結局母であって、それは永久的なことであり、刻印であるというのをどう視覚的に見せるか、というところで「死なない実体」としての母、というのを思いついたんですよ。人神としてあの家を支配している、と。で、早速美術の保泉さんに「人神作ってくれや」と言ったら10万くらいかかると言われて「ええっ」って一気に萎えて……(笑)。わずか数秒しか写らない「死なない実体」が、誰のギャラよりもどんな機材よりも高いってどないやねんと(笑)、スタッフ皆に批判されましたが、どうしてもやりたい、これをやらないとこの物語の新味どころか、究極的には意味がないんだ、と。なので、それを背景に、父権の格下げと、日本的男性の幼児性を描写として視覚化するというのは、狙いとしてきっちりありました。父権の格下げってなんかムーディーズみたいですね(笑)。

――そうですね(笑)。ところで、おそらくご覧になった方が先行作品としてすぐさま想起し得る対象として『ラルジャン』やドストエフスキーの『罪と罰』、あるいはトルストイの『復活』などが挙げられると思いますが、共通点として基本的に「贖い」と「赦し」を巡っていると思うんです。もっと言ってしまうと、個人的に本作の骨子は、上述の資本主義が強制する暴力に対し、対抗暴力としてキリスト教的な道徳律を導入することにあると思うのですが、その辺りは如何でしょうか。

ラルジャン [DVD]罪と罰 ドストエフスキー原作 [DVD]復活 [DVD]宮崎 少し話が逸れるかもしれませんが、面白い話があって、ネットのニュースサイトで読んだんですけど、3年前ぐらいにアメリカで、コロラドだったかな、高校生の女の子が彼氏の子を妊娠して、それが親にバレるのが嫌でレイプされたって嘘をついたんですよね。そしたらどういう顔の男だっていう話になって、女の子は似顔絵を描かされるんですけど、適当に描いたわけです。そしたらホントに捕まったんですよね、なんとなく絵に似た顔の男が。その男は「絶対やってない」って言ったんですけど、抵抗も報われず、逮捕されて刑務所に入ったんです。で、何年かして、女の子が大学生になって、大学三年かな?の時に、罪の意識に耐えられなくなって、自分の嘘を告白したんですよ。当然男は釈放されたんです。で、その女の子はもじもじと謝罪しに行った。「どうしたら赦してくれますか?ホントにごめんなさい」って言ったら、「もう過ぎたことだし、いいんだよ」とそう言って彼は微笑み、去っていったと。それを読んだときに「なんだこれは?」と(笑)。男は4年か5年懲役してたらしいんですけど……。教訓としては何なのかよく分からないんだけど(笑)、なんだか凄く引っ掛かって、脳内シンクロを起こすために御指摘された『復活』とかを読み直したりしました。あとはやっぱり『罪と罰』でいうソーニャの問題ですよね。『夜が終わる場所』の雪音ってよく都合がいい存在だとかフェミニストの敵だとか言われますし、その在り方はファムファタールという記号と相容れないという指摘をされるんですが、雪音はやっぱりソーニャなんです。ローレン・バコールではない。ノワール的定型や普通の女性とはちょっと違う存在というか、もっと言うと人間ともちょっと違うということにしたかった。そこにこの映画の新しさもあると思ったんです。だから、劇の後半部に、とある告白の場面があるんですけど、そこでガーンと存在として位が上がる感じを出したくて、全てをそのシーンから逆算して演出も組み立てていきました。だからそこを読み解いて貰えなかったらもう僕の完敗なんですけど(笑)。まあ命懸けの飛躍ですよ。映画なんてものはあなたに届くか届かないかの賭けなんで。あとは……グリフィス映画のリリアン・ギッシュの影響なのかなあ。彼女がカメラを見て物語全体を赦す、みたいな作品があるんです。

――今仰られたようなキリスト教的なドラマツルギーによって構築された『夜が終わる場所』ですけど、トロント新世代映画祭での特別賞受賞をはじめとして、サンパウロ国際映画祭やトランシルヴァニア国際映画祭など、数多の海外映画祭に正式出品され、高い評価を得ています。これも個人が制作した自主映画としては異例の事態だと思うんですが。

宮崎 必死で問いかければわりと聞いてくれる人は世界のどこかにはいるもんです。使い古されて消えたかも知れない言い回しですが、世界は広いですから。当然いろいろな価値観があります。99人に目まで否定されて100人目にも否定されたら普通諦めますが、それでも涙目でじっとその辺に佇んでると、101人目が突然やってきて認めてくれることもあると思います(笑)。例えばこの映画は当初鳴かず飛ばずでしたが、最初に映画祭にひっかかって拡がりはじめたのがカナダのケベック、ブラジルなど、キリスト教圏の国からなんですね。内容的な狙いと特に合致したのか、キリスト教の中でもゴリゴリの正教を崇拝するルーマニアに行った際、子供時代にトルストイを読んだであろう熱烈なギリシャ正教徒のお婆ちゃんに、「この映画をこの国に届けてくれてありがとう」とか涙ながらに感激の意を表されまして、思わず彼女を抱きしめ、二人で泣きながらキリストに祈るということをしました。僕は完全に無神論者なんですけど(笑)。
あとは……ささやかなレベルでも海外戦略を施すことですかね。前述した台詞の省略も視覚的演出もそうですが、他にも例えばキャラの名前を海外向けにしたりしました。主人公の名前を「アキラ」にするとか。海外のアニメオタク向けに(笑)。しかしあまりにオリエンタリズムに陥って登場人物を丁髷にしたりサントラで三味線鳴らしちゃったりすると、国賊とか売国奴とか言われるんで、それは避けたいなあと思っていました。丁髷で思い出しましたが、衣装やメイクひとつとっても、日本の低予算映画ってどこかフランス風か、或いは安全な現代日本風かっていう選択肢しかないと思うんですけど、もっと遊べると思いますし、その方が外国人は喜びます。色んなものがブチ込める豊かな器なんじゃないか、映画はって思います。それをもっとフルに楽しまなきゃいけないんじゃないか、と。

――当然言葉の壁はありますが、今回『夜が終わる場所』で宮崎監督が切り拓いた道は、今後海外進出を目指す日本の若い映画作家の方々にとっての、ある種のモデルケースになるかもしれません。

宮崎 どうでしょうね。しがない個人が映画祭も企業も関係なくひたすら動きまわることで外に向けての扉を開けられるんだというオルタナティブを提示したという意味では、ある程度上手くいったのかなと思います。語学の壁なんて誤魔化して、自分で海外にどんどん作品を持ち出し、監督自ら営業して売り込んでいくという時代にこれからはなっていくと思います。そうすることで作品の可能性はより広がりますし、作品も育ちます。それに、端的に海外のほうが映画にお金とチャンスが回っているという実情もあります。かたや国内の低予算映画は現在内需だけで回っているとは到底言い難く、実質的には監督の自己資金・人間関係のみで回っているようなところがあるので、そのシステムをどこか外の流通と繋げられないかなあと思っています。もう兎に角日本ではいま中小規模の映画にお金が回ってこないんで。そういう超低予算だとやはりやれることにも限界がありますし、寧ろそれなりにやれていることを海外で不思議がられているのが現状です。日本の若手世代に興味のある人を海外で探そうとか、新たな配給システムを構築しようとか、もう思い切って海外で監督出来ないだろうかとか、まあ日々好き勝手に色んな可能性を模索しています。扉は見えたとは感じているんですけど、まだどれくらい重い扉なのかわかりません。ただ、自分ひとり、厳密にいうと今作を全面的に支えてくださっている横手プロデューサーと二人だけでは開けられない扉なのではないかという予感がしています。共闘できる人たちが早く見つかるといいんですが……。誰かいませんか(笑)。とにかく、ある種世界の映画市場、流れの中に、後ろめたさをもたず、普通に入っていく人材が出てくることが凄く大事だと思います。日本映画も世界映画の一部ですしね。立派な洋画ですよ(笑)。

――最後に、この作品はどういう観客を求めているのでしょうか?教えていただけますか。

宮崎 この作品を求めている観客を求めていると思います。

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( 聞き手:後河大貴

イベント情報 /初日舞台挨拶以外、本編上映終了後に開催予定

9月22日(土)舞台挨拶(上映前) 参加予定者:中村邦晃さん/小深山菜美さん/柴垣光希さん/渡辺恵伶奈さん/扇田拓也さん/塩野谷正幸さん/宮崎大祐監督
9月23日(日) 黒沢清監督(『贖罪』『トウキョウソナタ』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月24日(月) 山下敦弘監督(『苦役列車』『マイ・バック・ページ』)×中村邦晃さん×宮崎大祐監督 トークショー
9月25日(火) 入江悠監督(「SR サイタマノラッパー シリーズ」『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月27日(木) 鴨田潤 a.k.a. イルリメ(LIVE SET)
9月28日(金) 井土紀州監督(『百年の絶唱』『彼女について知ることのすべて』)×宮崎大祐監督 トークショー
9月30日(日) 早船聡さん(劇団サスペンデッズ主宰・劇作家)×扇田拓也さん×宮崎大祐監督 トークショー
10月2日(火) 三宅唱監督(『Playback』『やくたたず』)×宮崎大祐監督 トークショー
10月3日(水) 大和田俊之さん(「文化系のためのヒップホップ入門」 アメリカ文学者・ポピュラー音楽研究家)×宮崎大祐監督 トークショー
10月5日(金) 高橋世織さん(文芸評論家・日本映画大学映画学部長)×宮崎大祐監督 トークショー
10月9日(火) 樋口泰人さん(「boid」主宰)×宮崎大祐監督 トークショー
10月10日(水) 宇波拓バンド(LIVE SET)
10月11日(木) 下山(LIVE SET)
10月12日(金) 宇野常寛さん(「ゼロ年代の想像力」「リトル・ピープルの時代」評論家・「PLANETS」編集長)×宮崎大祐監督 トークショー
AND MUCH MORE!!!!!!!! ※イベントはやむを得ない事情により中止・変更になる場合がございます


夜が終わる場所 2011年/日本/79分
出演:中村邦晃,小深山菜美,塩野谷正幸,
谷中啓太,扇田拓也,礒部泰宏,吉岡睦雄,柴垣光希,大九明子,渡辺恵伶奈,佐野和宏
プロデューサー:横手三佐子 監督・脚本:宮崎大祐
撮影:芦澤明子 照明:御木茂則 録音:高田伸也 美術:保泉綾子 編集:平田竜馬 音楽:宇波拓 スタイリスト:碓井章訓
配給:ALVORADA FILMS © 2011 Gener80 Film Production
公式サイト 公式twitter

2012年9月22日(土)~10月12日(金)まで、
ユーロスペースにて連日21:10より上映

2012/09/17/19:53 | BBS | トラックバック (0)
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