レビュー

博士と彼女のセオリー

( 2014 / イギリス / ジェームズ・マーシュ )
2015年3月13日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
美しき恋愛映画。

岸 豊

ネ タ バ レ あり 『博士と彼女のセオリー』 人類史上最高の叡智の一人としてだけでなく「車椅子の理論物理学者」として広く知られるスティーヴン・ホーキング博士の生涯を描いた伝記作品『博士と彼女のセオリー』が、来る3月に公開される。『マン・オン・ワイヤー』(08)や『プロジェクト・ニム』(11)などのドキュメンタリー作品を中心にキャリアを積んできたジェームズ・マーシュが監督した本作は、主演のエディ・レッドメインの徹底した役作り、フェリシティ・ジョーンズの心揺さぶる名演によって、切なく美しい「恋愛映画」に仕上がった。
ケンブリッジ大学の学生で宇宙研究論を専攻するスティーヴン(エディ・レッドメイン)は、友人のブライアン(ハリー・ロイド)と共に訪れたパーティで、中世のスペイン詩を専攻するジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)と出会う。わずかな時間で距離を縮めた二人は、デートを重ねて恋人のような関係になっていく。そんなある日、論文のテーマに迷っていたスティーヴンは、担当教授のシアマ(デヴィッド・シューリス)の薦めで、ペンローズ教授(クリスチャン・マッケイ)の講義を聞きに行く。講義で語られた「特異点理論」に強く惹かれたスティーブンは、「時空の特異点」を論文のテーマに決める。そんな折、ジェーンとの交際も順調に進みながら、「時空の特異点」に対する閃きを得た直後、スティーヴンは突然倒れてしまう。精密検査の結果、彼は治療法のない難病である「運動ニューロン疾患」を発症したことを知る……。
本作におけるスティーヴン役のエディ・レッドメインの演技は、称賛し尽くせないほどに素晴らしい。病が判明するまでは、くしゃくしゃの笑顔、スポーツをしたり、楽しそうに話す姿といったマクロな身体表現を通じて、一風変わった雰囲気と誠実な人柄で観る者を惹き付ける。そして彼は病が進行していくにつれ、手足の稼働範囲や表情、声質を巧みにコントロールして病状の悪化を表現していく。特筆すべきは、物語の終盤でオペラを鑑賞中に倒れたスティーヴンに気管支切開が為された結果、声を失ってしまった後の演技だ。これ以降、彼の演技は表情でのみ行われる。瞬き、頬、口の動き、息遣いというミクロな身体表現を状況に応じて巧みに使い分け、喜怒哀楽を見事に表現している。エディ・レッドメインは、劇中においてアインシュタインやスティーヴン自身を悩ませた、量子力学(ミクロな発想)と相対性理論(マクロな発想)のように、全く正反対の身体表現を物語の中で見事に使い分け、調和させている。
そんなスティーヴンを献身的に支えるジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズも、複雑な心境を抱えながら生きる妻の姿を見事に演じている。詩を愛し、敬虔なキリスト教徒として生きる姿は、イギリス人女性の理想的な姿そのもので、スティーヴンとの恋で見せる清廉な姿にはこっちの心がときめいてしまう。60年代から80年代にかけて、『博士と彼女のセオリー』場面1時代に合わせてスタイルを変えていくジェーンの装いにも注目だ。そんな彼女は、運動ニューロン疾患が判明した後、自分を傷つけないように敢えて離れようとするスティーヴンを真っ直ぐ見据えて「あなたを愛しているの」と告白する。この場面でのジェーンの姿は、光に照らされて聖母のように神々しく、美しい。そしてこのシーンは、ジェーンのスティーヴンに対する「恋」が「愛」に変わる瞬間でもある。

ドキュメンタリーでの経験が豊富なジェームズ・マーシュは、恋愛というジャンルに初挑戦したにも関わらず、本作を端正に、誠実に描いている。恋愛を描く作品の場合、一般的にはカップルがデートで見に行くようなジャンルであり、客も入りやすく興行的成功にも繋がりやすいので、製作者はハッピーエンドを用意する。つまり、「付き合う」や「結婚」がゴールとして終わる作品が多い。しかし、デートや結婚などは恋愛の一部分に過ぎない。それだけを切り取っても、一過性の娯楽を与えるに留まるのであり、長く人々の記憶に残ることは少なく、「恋愛の一部分」を描いているだけの映画として終わる。そういった作品は「恋愛映画」ではなく、「部分的恋愛映画」と呼ばれるべきだ。
「恋愛映画」と「部分的恋愛映画」の最大の違いは、後者が恋愛の過程で物語を完結させてしまい、その後に待ち構える厳しい現実を描くことを放棄してしまうことに対して、前者は、互いの関係性を通じて厳しい現実を突きつけ、観る者に恋愛の本質を問いかけ、深い余韻を残すという点だ。
スティーヴンの病状が悪化するにつれて、ジェーンにかかる負担は残酷なまでに増えていく。ましてやスティーヴンだけでなく子供の世話をする彼女には、博士号を目指す詩の勉強をする時間など到底なく、彼女は葛藤を募らせる。これ以降、ジェーンは「理想的なヒロイン」としての姿ではなく、突きつけられた現実に激しく葛藤する一人の女性としての姿を見せるようになる。そんな時、ジェーンの前に、男やもめの聖歌隊指揮者であるジョナサン(チャーリー・コックス)が現れる。ジェーンはスティーヴンへの愛は決して変わらない一方で、スティーヴンを助け、自分の良き理解者となってくれたジョナサンにも好意を抱いてしまう。スティーヴンとの間に次男が産まれたあと、親戚に噂を立てられ苦悩するジェーンの姿には、胸が締め付けられる。そして物語の終盤では、自分よりもスティーヴンを理解することができてしまう看護師のエレイン(マキシン・ピーク)が登場し、妻としての彼女の居場所も無くなっていく。
『博士と彼女のセオリー』エディ・レッドメイン as ホーキング博士『博士と彼女のセオリー』フェリシティ・ジョーンズ as ジェーン「愛」とはなんて残酷なものだろう。あれほど愛し合い、近くにいたはずのスティーヴンとジェーンには、愛は変わらずとも、いつのまにか距離ができてしまっていた。そして彼らは互いを愛するがゆえに、互いのより良き生活を目指すために、別れることを決断する。もはや言葉を交わすことなく、スティーヴンがジェーンへの愛と別れを瞬きで伝えるシーンでは涙が止まらなかった。ここで食い下がらなかったジェーンは、責められるべきだろうか?……いや、彼女が果たしてきた自己犠牲を考えれば誰も彼女を責めることはできないだろう。そして、互いが最も望まない選択肢を取ることで、彼らは互いを苦しめる現実から解放したのだ。「愛するがゆえの葛藤と辛い決断」、これこそ「恋愛映画」の醍醐味だ。

本作のラストシーンでは、「時を遡ることはできるのだろうか?」というスティーヴンの問いを象徴するように、時を遡りながらストーリーがフラッシュバックする。CGで描き出された銀河の景色に併行して、スティーヴンとジェーンの思い出の数々が出会いに至るまで巻き戻されていくシークエンスは、清らかなカタルシスを与えてくれる。
常に死と隣り合わせになりながらも、生きる希望を胸に燃やし続け、懸命に、そしてユーモアを忘れず生きていくスティーヴン、彼を支えるジェーンの姿には、人としての気高さが溢れている。そして本作は人々に、「どんなに困難な人生でも、命ある限り希望はある」というスティーヴンのセリフを通じて、未来に向かって歩んで行く勇気を与えながら幕を閉じる。
巧みな身体表現を駆使してスティーヴンを演じきったエディ・レッドメイン、そして物語の構造上憎まれ役になっていったジェーンを演じきったフェリシティ・ジョーンズ、美しき「恋愛映画」を見せてくれた、2人の若き才能に大きな拍手を送りたい。

(2015.1.14)

博士と彼女のセオリー 2014年/イギリス/カラー/124分
監督:ジェームズ・マーシュ『マン・オン・ワイヤー
主演:エディ・レッドメイン『レ・ミゼラブル』、フェリシティ・ジョーンズ『アメイジング・スパイダーマン2』、チャーリー・コックス、エミリー・ワトソン、サイモン・マクバーニー
原作:ジェーン・ホーキング著『Travelling to Infinity: My Life with Stephen』
配給:東宝東和 © UNIVERSAL PICTURES
公式サイト

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2015/01/18/20:38 | トラックバック (3)
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