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映画『アルビノの木』凱旋上映 @池袋シネマ・ロサ
宮台真司(社会学者・映画批評家) × 金子雅和監督
トークイベントレポート【2/3】

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5月4日(金・祝)20:00~で池袋シネマ・ロサ=都内での上映終了
6月10日(日)、長野/木曽ペインティングスにて凱旋上映

金子雅和監督金子雅和監督

金子 『アルビノの木』の主人公は「ユク」という日本人としては変わった名前なのですが、これはアイヌ語で鹿の意味。殺す側と殺される側の間に境界線がなく、どちらも交換可能なものであるという意味を込めて、そういう名前をシナリオの段階からつけていたんです。今のお話を聞いてつながるなと思いました。

宮台 いわゆる動物愛護っていう発想がある。そういう観点から絶滅危惧種を保護しましょうと。同じように先住民保護という発想がある。ヒューマニスティックというか、誰にも等しく命あるものとしての尊厳があると。こういう発想ってダメなんですね。なぜダメなのかというと、保護する動物の外側に保護しなくてもいい動物が出てきちゃう。イルカや鯨は大切だけど、豚や牛はまあいいとかって適当なことを言い出し始める。少数民族も注目されているようなものを保護しろと言って、自分たちの社会では、例えばLGBTとか貧困者とかを平気で差別しているやつが、少数者は大切だと言うという現状がある。動物愛護、少数者保護っていう発想があるからそうなるのだけど、法以前、言葉以前の僕たちの感覚の中ではそういう概念はなかった。それでも捕り過ぎなかったし、やり過ぎなかった。別に「調和やバランスが大事」なんていう発想もまったくなかったけど、持続可能な暮らし方をしていた。それは感受性の働き方が今とは違ったというか、今はすでにねじ曲がった状態であるからで、そのねじ曲がりを元に戻すことを意識しないといけない。僕は本を読んで勉強するのが仕事だけど、本を読んで「なるほど」と思って映画を観ると、映画は10年くらい先駆けてそういう表現をしていると気がついて、映画や音楽の表現者はすごいなと思う。ものを考えるというのは最後に蹴りをつけるためにするのであって、それを離れてはいけないという何か言葉ではない感覚があるからなのかなと。

金子 この映画はちょうど10年前の2008年ぐらいに企画が始まって、撮影は2014年に行ったというなかなか構想期間が長かったというか苦労した作品なんですが、最初に『アルビノの木』というタイトルでやり始めたときはヒューマニズムに対しての疑問があって、それがスタートになっています。でもそれを完全に否定して社会的なドキュメンタリーのように表現するのは面白くないと思い、民話や神話の中にはヒューマニズムではない世界の捉え方があるなとすごく感じていたので、現代の物語ではあるけれど民話や神話のような映画を作りたいということで作っていたんですね。

宮台 なるほどね。それと似た話だけど、学生たちに言葉で「ヒューマニズムや少数者保護、環境保護という発想は、近代社会では仕方ない部分はあるけど、しかしどこかおかしい」ということを言葉で言っても通じないんですよ。それで、映画や芝居を観るという経験をみんなでシェアすることをある程度積み重ねると、突然ドッと、まあ知的な理解ではないんですけど、言っていることがわかったっていうふうになるんですね。あるいは僕らは言葉で仕事をする人間なので「言葉の奴隷をやめろ」とか言うのは歯がゆいし、それを文字通り受け取って「言葉の奴隷はクズだ!」とか言うのもまた言葉の奴隷なので、それをどう越えるかというのは言葉ではなかなか難しい。映画批評の仕事をしている側からすると、20数年前から言っていることだけど、感受性がどんどん劣化してきていると。学生に映画を見せる前に「プレトーク」というのをやると突然理解力が高まるんだけど、何も言わないで見せるとほとんど学生たちは理解できない。映画を理解する力が落ちていて、それは、今日の主題ではないけど恋愛からの退却、踊れないこと、祝祭からの退却……、僕の世代は77年のディスコブームを通過しているんだけど、それに比べると踊れない人って本当に増えている。そういうことがあって映画の発している周波数とシンクロできない人が増えているんですね。

金子 確かにこの映画もどうしても「結局どういう意味なの?」というふうになってしまうことがすごく多くて、逆に今回は海外のいろいろな映画祭で上映され、批評が出たりするのですが、正直日本の、全員ではないですが一般的なお客さんよりも、海外のお客さんの方がストーリーを正確に把握しているなと思って。逆に言語が違うことによって入りやすいところがあるのかな?と思っていたんですけど。

宮台真司宮台真司宮台 僕の世代からすると、そこが不思議だし歯がゆいんですよね。少なくとも90年代に入るまでは、日本人のほうがヨーロッパやアメリカの標準的な人たちよりも、こういう表現に対する感受性が開かれていたと思うんですね。例えば、やくざ映画でも日活ロマンポルノでもピンク映画でもいいんだけど、排除されたもの、あるいは社会の周辺に追いやられたものにこそ力があるとか、古く遡ると心中物の浄瑠璃もそう、心中を決意した瞬間に、まるでスポットライトが当たるかのようにすべてが輝き出すというね。あるいは僕が昔アメリカでレクチャーしていたときに「オフビートフィーリング」と言っていましたけど、いわゆる勧善懲悪ではなくて、怪獣もそうだし『ジャングル大帝』の獣もそうだけど、悪こそが善、善こそが悪、最悪は人間だと。怪獣は人間が生み出した悪だった、あるいは人間の横暴に対する自然からの警告だった、あるいは戦争の中でめちゃくちゃ一生懸命がんばったのに、すべて忘れてしまった人たちに対する兵隊からの復讐だとか、なんでもいいけどとにかく周辺的なものにこそ力が宿るし光が宿るんだって僕らはずっと描いていた。例えば手塚治虫や石ノ森章太郎はそういう感受性がすごく豊かだった。でも気がついてみたら、金子監督もおっしゃったように、オフビートフィーリングはむしろアメリカやヨーロッパが理解し得るもの。悪に見えて本当は悪じゃないぞ、善に見えて善じゃないぞと。日本は単純な勧善懲悪がやっぱり好きで、ちょっとでも捻りがあると「どういう意味なんですか?」と言い出す。非常に残念なことになっていますね。

金子 確かにかつてはアメリカ映画、ハリウッド映画は勧善懲悪の代表みたいに言われていたんですけど、9.11以降すごく変わったと言うか、単純に善悪ではなく複雑化してきたというのがあって。

宮台 そういう表現をする人たちは実は日本映画の影響を受けた人がすごく多くて、でも残念なことに日本映画のアーカイヴスって日本の大学にはほとんどなくて。ミシガン大学にはたくさんあるんですよね。だから本当は英語は不得意なのに、例えばマキノ正博を研究したいからという理由でわざわざアメリカの大学に行く日本人もいるぐらいで。溝口健二を研究しようとすると、やはりアメリカに行かないとアーカイヴがない。それぐらい日本はダメになっちゃってる。でも向こうは自分たちの限界を意識し、日本の古い映画にそうした限界を指し示してくれるものがあると感じている。そういう人たちが多いから、金子さんの作品に出てくるような、周辺的な面白いものがだんだん描かれるようになっている。周辺的なものに力が降りる、それが僕たちの、あるいは先住民たちの感受性で、日本からもっと出てくればいいなあと。

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アルビノの木
( 2016|JAPAN|COLOR|2.0ch & 5.1ch|shot by NIKON D7100|screened by DCP & Blu-Ray Disc|86minutes)
出演:松岡龍平,東加奈子,福地祐介,山田キヌヲ,長谷川初範,増田修一朗,尾崎愛,細井学,松蔭浩之,松永麻里,山口智恵
監督/編集/撮影:金子雅和
プロデューサー:金子雅和,金子美由紀 脚本:金子雅和,金子美由紀 撮影助手:東哲哉 照明:白石宏明
録音:間野翼 美術/衣装:金子美由紀 メイク:知野香那子,鈴木啓士朗 助監督:滝野弘仁,登り山智志
監督助手:福田佑一郎 制作:名倉愛,堀内蔵人 整音:黄永昌 特殊効果:高橋昂也,高橋絢 音楽:石橋英子
ロケーションコーディネイト:坂詰史博 協力:長野県須坂市 配給:マコトヤ 製作:kinone ©kinone
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5月4日(金・祝)20:00~で池袋シネマ・ロサ=都内での上映終了
6月10日(日)、長野/木曽ペインティングスにて凱旋上映

2018/05/04/14:52 | トラックバック (0)
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