今月の注目作

ミスティック・リバー

(2003 / アメリカ / クリント・イーストウッド)
悲劇の彼岸へ

仙道 勇人

 人生に於いて悲劇はいかにして生成されるのか。 この問いに対する真摯な回答たり得ているものとしては、イーストウッドの「ミスティック・リバー」('03)に比肩する作品は、 近年見当たらない。本作は、過去に起こった悲劇が思いもよらぬ所で再び口を開き、それがまた新たな悲劇へと発展、 波及していくという重層化された「悲劇」なのである。

 作品を直接牽引していくのは、娘を惨殺されたジミーの悲劇だ。この娘を突然奪われた父親という直球の悲劇を、ショーン・ ペンは全身で表現する。ジミーは怒りや哀しみを時に過激に撒き散らすが、それは殺されたのがただの「娘」ではないからだ。 ジミーにとって殺された娘の存在は、その母が既に亡くなっているという点で、亡き妻への愛情を表現できる唯一の受け皿でもあっただろう。 ゆえに、彼は自身の思いを妻と共有することができない。そして愛情の対象を一人ならず同時に二人も奪われているがゆえに、 彼は義父とも思いを共有することができない。ジミーの置かれた状況を徹底的に積み上げていくことで、その孤独と哀しみ、 やり場のない怒りを鮮やかに照らし出すイーストウッドの手腕は圧倒的である。

 一方、25年前の傷を人知れず抱え続けるデイブの悲劇は、「トラウマ」という形で端的に提示されるが、「トラウマ」 という語が至る所で消費される昨今に於いて、トラウマに蝕まれた者の精神風景を、その表情の中に巧みに結晶化させたティム・ ロビンスの演技以上に、サバイバーが完全な意味で生還することはありえないということを直観的に理解させるものはないだろう。また、 トラウマのみならず、自身の潔白を誰からも信じてもらえないという「二重の孤独」という点では、 デイブとジミーは同じ位相にあったということができる。劇中で、 互いを思いやれる唯一の存在同士であるデイブとジミーが2人きりで映し出される場面が2度ほどあるが、一度目はデイブが近寄れず、 二度目ではジミーがデイブを寄せつけなくなっているという、距離感の微妙な推移を示す演出は見事と言うほかない。

 また、このデイブの悲劇はジミーの悲劇と並行的に描かれることで、作品にミステリアスな趣と持続感を与えてもいる。しかし、 「デイブが犯人か否か」というミステリーとしては、それほど巧みに展開しているとは言い難い。これはひとえに「デイブが犯人か否か」 という謎解きを基幹に物語を組み立てているのではなく、デイブの取り調べを通じて、ショーンやデイブの妻・ セレステの心象をかたどることを主眼に置いているからだ。そして、セレステが抱えるようになる不安と不信感の醸成が、 悲劇の決定的な引き金になっているという点で、この采配は十二分に奏功していると言えるだろう。

 全てが終わり、事実が明かされるのはあの路上に於いてである。既に全てを知る鑑賞者にとって、 ジミーが事実をどのように受け止めるのかが最大の関心事となるだけに、本作の悲劇性は、この路上を一人往くしかないショーン・ ペンの背中に於いて極まると言ってよい。と、同時にこの場面と以降の場面の間には、作品と観客を隔てる境界が存在するとも言えるだろう。 それは恰も作中でジミーとショーンの二人が、この路上でデイブと隔てられてしまったように、鑑賞者をも二つに隔ててしまうのだ。なぜなら、 本作の悲劇性を明瞭な形でカタルシスへと繋げる限界が、まさにこの場面だからである。この場面で幕が降ろされていたならば、 このやれきれない物語はその悲劇の純度を更に高め、万人の心に深く深く沁みたのではなかったろうか。しかし、イーストウッドは、 本作に於ける「悲劇」の限界領域を平然と踏み越えてゆく。そこではもはや悲劇のフォルムは失われ、物語としての全体性すらも放擲され、 ただ人間という存在のグロテスクな姿のみが照らし出される。決定的な「事件」が起こり、当事者達にとっての「悲劇」が生まれ、 それでも人生は続いてゆくのだ、という絶対的な真実が、この作品の幕切れには確かに露出されてはいる。しかし、否、だからこそ「悲劇」 としての切れ味が失われることとなってしまったことも否定できないだろう。

 通常「悲劇」では描かれるはずのない場面を当然のように提示してみせるこの幕切れに於いて、イーストウッドは「悲劇の彼岸」 へと到達してしまったと言えるのかもしれない。であれば、イーストウッド共にこの悲劇の彼岸へ渡ることができるか否か、 がこの作品を味わう為の厳然たる境界となるのは自明であろう。しかし、物語という枠組みに縛られた大部分の鑑賞者には、 この悲劇の彼岸へ到達することはできないのではないか。その意味で、本作ほど苛烈なまでに鑑賞者を選別する作品は無い。そして、 この作品を味わうことが出来る者は、自身がどれほど恵まれているかを認識し直すべきであろう。

(2004/02/26)

2005/05/01/11:47 | トラックバック (0) | ミスティックリバー ,仙道勇人 ,今月の注目作

ミスティック・リバー

(2003 / アメリカ / クリント・イーストウッド) 俺が映画 百恵 紳之助  ジミー、ショーン、デイブの三人は大の仲良し。 ある日いつものように三人で遊んでいると警官のフリをした男がやって来てデイブをさらってしまう。 さらわれていくデイブを見つめるだけしかできないジミーとショーン。デイブは数日間監禁陵辱されたあげく帰って来たが、 以後三人の友情関係は無くなった・・・。そんな三人がその出来事から25年後、ある事件をきっかけに、デイブが事件の容疑者、 ジミーが被害者の父、ショーンが事件を捜査する刑事として再会する。 こんな話の展開を聞けばまずは誰でもドキドキワクワクハラハラの映画が観れると思うはず。 筆者もそう思ってこの映画に臨んだところこれがとんでもない大間違いなのである。サマーキャンプだと思って参加したら座禅修行だった! それくらいの 続きを読む

2005/05/01/11:45 | トラックバック (0) | ミスティックリバー ,今月の注目作 ,百恵紳之助

ミスティック・リバー

(2003 / アメリカ / クリント・イーストウッド) 未曾有の傑作という以外に、この映画を形容するすべを知らない。 膳場 岳人  映画はこれまでたくさんの悲惨な朝を描いてきた。ヒッチコックの『鳥』(63)の暁闇のラストシーンでは、 夜通し死闘を繰り広げた人物たちが地表をびっしりと埋め尽くす鳥にうつろなまなざしを投げかけていたし、『フェイシズ』(68)では、 乱痴気騒ぎで一夜を明かした夫婦が、淫蕩の疲れをへばりつけた互いの顔を朝日に晒して、失望と諦観の中へと沈み込んでいった。他にも 『悪魔のいけにえ』(74)の命からがら殺人者の手を逃れたヒロインが迎える狂気と哄笑の朝焼け、『アメリカの友人』(77)における、 友情の終焉を包み込む雨の朝など、夜の終わりと一日の始まりを意味する朝は、映画においてしばしば人物たちの絶望をあからさまに照らし出し 続きを読む

2005/05/01/11:37 | トラックバック (0) | ミスティックリバー ,膳場岳人 ,今月の注目作

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