連載第3回 第2話『侵略者を撃て』(後)
未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)、いわゆるUFOの目撃情報が世界に報じられるようになったのは1940年代後半。正式にこの呼称に該当するのは、自然/超常現象、国籍認識不明の飛行機などですが、この時に生まれた、UFOには異星人の宇宙船の可能性もあったりして……という仮説が、SFジャンルと滅多やたらに上手くハマりました。その結果としての、1950年代のSF映画ブームです。
『ウルトラマン』、また前作の『ウルトラQ』が製作された時点で、宇宙人襲来タイプのSF映画は世界各国で数多く作られています。どんな荒唐無稽な設定でも見る人がすぐに呑み込め、付き合える状況は出来ていたわけです。ここんところ、前提として押さえておきましょう。北島明弘の大著「世界SF映画全史」をめくってみれば、すでにアイデアとしては散々っぱらやり尽くされ、もはや飽和状態でさえあったことが分かります。第2話に突如出てくる「宇宙語」なる設定も、当時はそれほど突飛には感じられなかったはずです。
僕が今パッと思い付く範囲ですと、バルタン星人のように初めは慇懃な形で地球人と交渉を望むタイプの戦後の早い例として、アメリカの『地球が静止する日』(51-52公開)があります。こちらの宇宙人は人間の核開発競争を警告に来たのですが、『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を攻撃す』(56-56公開)になると、もうキッパリと人類に降伏を要求。こうした作品の評判を踏まえて、日本でも本格的に宇宙人襲来タイプの製作がスタート。大映『宇宙人東京に現わる』(56)のパイラ星人は、原水爆使用への警告にやってきましたが、東宝『地球防衛軍』(57)の宇宙人・ミステリアンの場合は、かなり強引な地球定住要求でした。
ポイントは、いずれも宇宙人の要求を聞く役目を担うのは、冷静で勇敢な主人公か立派な研究者かいずれかであった点です。だから、「本当の宇宙人と話した経験はないからねェ……」とボヤいてみせるようなイデ隊員がバルタン星人との交渉役になることに、ジャンル先行例のパロディ的な意図を僕は感じたのです。SF映画お約束のパターンも、イデ隊員がやればズッコケ風味が出て面白くなる。いや、狙いとしては逆に、宇宙人襲来タイプのSF映画の妙にシリアスになりがちな展開と、子どもに向けた科学冒険物の楽しさを融合させるには、イデ隊員のようにエリートだけど三枚目なキャラクターが適任だったということでしょう。やはり、イデ隊員にしか出来ない大任です。
「宇宙語」について、もうちょいと粘ります。この1点で、『ウルトラマン』の世界ではすでに宇宙人と地球人とのコンタクトは複数回あり、コミュニケーション成立のための共通言語の存在が確認され、「宇宙語」という新研究分野となっている。イデ隊員は数少ない先行の研究者の1人だが、肝心の実践、フィールドワークの機会はあいにくゼロ。以上のことが分かります。そうなると、科学特捜隊のような組織がある必然は出てきますし、第1話で僕が問題にした、ウルトラマンが出現した時点でイデ隊員がすぐに地球の味方だと認識してみせた行為も、それなりの学習があった上でのことと、クリアすることができます。アキコ隊員に「自信あるの?」とまた(しかも可愛く)冷やかされるとはいえ、バルタン星人にアラシ隊員の肉体と脳を通じて「君ノ宇宙語ハ分カリニクイ」と一蹴されるとはいえ、一応通じることは通じたのですからネ。大したものです。
なので、イデ隊員の出番の前にムラマツキャップが「防衛会議」に出席し、「彼らと話し合ってみたらどうかと考えています」と発言し、タカ派の出席者を説得する場面もまた重要です。
パリに本部を置く組織・科学特捜隊には、宇宙人飛来の目的は侵略オンリーとは限らない、何事かの警告、或いは宇宙飛行中の必要物資の援助要請の場合もあり得るという認識が、世界各地の実例を踏まえての要綱となっている。しかし、日本においては未だ実際の体験は希少で、そのため「防衛会議」に出席した国内の各組織との齟齬が生まれる。以上の推測を並べることが出来ます。科学特捜隊は、基本理念として宇宙人とのコミュニケートを第一とし、排除、排斥を目的化した組織ではない。こういう良心的な設定であること、僕はとてもホッとします。関係ないけど、子どもの頃からどうしても「仮面ライダー」が「ウルトラ」シリーズほどには好きになれないのには、こうした設定の違いにあるんじゃないかな。
とはいえ、バルタン星人攻撃を主張する組織の代表の、東京の真ん中に「核ミサイル“はげたか”を撃ち込む」云々というセリフは、オイオイ! です。科学的設定がアバウトなのは多少は構いませんが、ここまでノンキなのは、脚本のミスの部類に入るでしょう。
本連載ではなるたけ文献にはあたらず、本編の内容のみで設定を解釈、想像していくつもりですが、「防衛会議」に出席したお歴々が分からないと、どうにも落ち着かない……。手持ちの資料にあたってみます。まず、朝日ソノラマの「ファンタスティックコレクション/ウルトラマンアルバム」(竹内博編)のキャプションには、物騒な発言をした組織は「防衛隊」と書かれています。また「改訂増補版・全ウルトラマン特撮研究」(剄文社)によると、会議の場を取り仕切っていたかなりの地位らしき人は、「防衛軍幕僚長」とのこと(初期黒澤映画のスター・藤田進に瓜二つの重厚な貫録ですが、ここでは実際の俳優さんと分けて考えます)。
つまり第1話では登場しなかったものの、科学特捜隊は「防衛軍」の「防衛隊」との共同/連携して事に当たるのが基本。第2話までの段階では、そう捉えておいてよさそうです。……本棚の奥を漁ると、関連書籍が他にもぽろぽろと出てきました。本連載で「ウルトラ愛」を初めてカミングアウトするつもりだったのに、密かにけっこう買って読んでいたんだなあ。
また設定について長々と拘ってしまいました。しかし、科学特捜隊が日本の風土とは切れた組織であることが確認できて良かった。これは、イデ隊員が明朗なキャラクターを伸び伸びさせている点を考察する上での大前提として、極めて、極めて重要なポイントです。
基本的に有能な隊員だとムラマツキャップに認められているから、アラシ隊員をからかってじゃれつこうが、重要な任務のプレッシャーでハヤタ隊員に泣きを入れてみせようが、マイナス査定にはならない。端的に言えば、イデ隊員は自分のファニーな個性を没個性な上司や同僚からスポイルされずに済む職場にいるのです。自分を活かせる職場に身を置けるだけの努力と賢明な選択をちゃんとしてきたとも言える。イデ隊員のオトボケに隠された幅、厚みのある背景が早くも滲み出る点が嬉しい第2話であるわけです。
> そうそう、それにイデ隊員。ウルトラマンが(残念ながらやはりタイトル通りに地球侵略が目的だった)バルタン星人を倒したあと、「僕はてっきりハヤタさんがウルトラマンかと思いましたよ」と、ビーンボールすれすれの危険なセリフを、無自覚に言ってのけるのでした。
机上のスキルだった「宇宙語」がほとんど役に立たなかったイデ隊員ですが、ハヤタのなかにウルトラマンが憑依し一心同体である秘密には、早くも第六感で迫っていたのです。ハヤタ隊員が「そんなバカな」と笑っていなすと、すぐに「そうですよねえ」と笑ってみせる。疑い出すと大変な事態になることすら、勘で分かっていたのでは……と思えるほどです。(第1話では「ハヤタ、キミは」と呼び、第2話では「ハヤタさん」と後輩の口調。これも今後の検討ポイントですね)
結局、イデ隊員の左目のアザは、単に二段ベッドから落っこちて出来たもので、バルタン星人襲来とは全く関係が無かった。ユニークなオチなんだけど、エピソード全体の腰を折るようなところがあって、そんなに上手くいっているとは……。演出の飯島敏宏(脚本の千束北男はペンネーム)は、『ウルトラQ』の第10話「地底超特急西へ」でも、ストーリーそっちのけでリチャード・レスター的なナンセンス・ギャグを盛り込んでいました。時たま、そういう方向に無性に持っていきたくなる監督さんのようです。イデ隊員のキャラも、飯島演出によって方向性が決まったのかな。
ただ、このコメディ演出によるイデ隊員フィーチャーによって、ウルトラマンのバルタン星人退治の意味合いが柔らかく中和された、効果的な側面があります。
今回のウルトラマン、基本は深夜の空中戦。「我々ハ地球ヲ貰ウ」と宣言し、巨大化したバルタン星人の斬り込み役と戦ってくれるのは有難いですし、バクテリアほどの大きさの20億3千人ほどのバルタン星人が乗り込んだ宇宙船を成層圏外まで運び去る強制執行も助かりますが。おそらくスペシウム光線で宇宙船ごと破壊したろうことを予見させる場面を見ると、ウルトラマン、ちょっとやり過ぎでは……という思いが少し、生まれてしまうのです。
「生命? ワカラナイ。生命トハ何カ」と聞いてくるぐらいですから、バルタン星人は種族としての根本が地球人とは違います。おなじみの昆虫型フォルムからすれば、ロバート・A・ハインラインの59年発表の小説「宇宙の戦士」(『スターシップ・トゥルーパーズ』原作)で兵士達が「クモ」と呼ぶ無感情の宇宙生物のほうに近いと思われます。しかしねえ、常識が違うだけですから、ここは地球外にお引き取り願うのみに済ませても良かったのでは?
いやいや、もともとウルトラマンは怪獣ベムラーを宇宙の墓場に運ぶ途中、ベムラーの逃走を追って地球にやって来た。言ってみれば宇宙のFBIのような存在であり、バルタン星人を滞在(駐在?)先の地球の外まで運び去れば済むという問題ではない。なぜならば、バルタン星人の宇宙船が自分たちの住める星を探し、そこに定住者がいようが知ったことではない姿勢を是としていると、やがて他の星でも同じ事態が起きるから。自分たちの常識を通そうとするバルタン星人の行為は、れっきとした宇宙平和のルールを乱す侵略・重犯罪行為として実力行使によって裁かれるべきなのだ。こういう反論も成り立ちます。
そう、第2話までの段階ではまだ、なぜウルトラマンが地球に留まることを望んだのか、ハッキリとはしていないのです。しかも今までの僕の認識の限りでは、明快なエクスキューズは最後まで無いと思う。ただ、地球の平和を守りたい、という目的と希望があることだけは確実なのですが。そこんところを考察することもまた、本連載の大いなる課題となりそうだなあ!
やたらと内容の濃い第2回でしたが、本連載的に肝心なのは、笑顔の素敵なイデ隊員がコミカル担当として活躍すればするほど、『ウルトラQ』とは違った活き活きとした明るさが生まれる点です。イデ隊員の存在価値が盤石なものとなったエピソードと、言い切ってよいでしょう。
今回のイデ隊員の〈男のなかの男〉度が高いセリフは、これ。
イデ隊員のおとこ語録:第2話 「あのう、話がこじれたら頼みますよ?」
これからいよいよバルタン星人との交渉に向かう際、すっかり緊張して腰が引けてしまい、ついハヤタ隊員に言うセリフです。一見、しょうがないなあイデ隊員は……と気軽に笑ってもらうための落語的場面でありセリフなのですが、僕は、つくづくこのセリフに打たれました。
社会に出て揉まれる経験を意識的に積んだ人にならよく分かってもらえるでしょうが、これ、かなりデキる人にしか許されないセリフです。デキない人が言っても全くシャレにならず、職場の空気を凍らせるだけですし、大体、デキない人は「話がこじれたら」大問題になるほど重要な交渉、商談の場に立てません。そういう役目に選ばれないからです。デキない人は気楽なのです。
それに加えて、現場において「頼みますよ?」と心から言える仲間や同僚を持っている、その無形の財産の価値を知っている点が、かなりデキる証拠です。責任の所在とチームプレーやワークシェアのバランスを、イデ隊員は若くして実によく呑み込んでいる。生真面目に1人で責任を背負い込んで、かえって業務やプロジェクトの進行に支障をもたらしてしまう、そういう実例を僕たちはどれほど目の当たりにし、また、やってきちまったことか。「話がこじれたら頼みますよ?」……イデ隊員のようにサラッと言えてこそ、本物の男なのです。
(つづく)
( 2010.8.20 更新 )
(注)本連載の内容は著者個人の見解に基づいたものであり、円谷プロダクションの公式見解とは異なる場合があります。
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- 監督:円谷 一;飯島敏宏;野長瀬三摩地
- 出演: 小林昭二, 黒部 進, 二瓶正也, 石井伊吉(現:毒蝮三太夫), 桜井浩子
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