『光の雨』で気を吐いた高橋伴明監督の最新作である。滋賀県信楽町で、古代穴窯を使った信楽自然釉を手がける女性信楽陶芸家、
神山清子の半生を描いている。前半は、苛烈な情熱を作陶に注ぐ「芸術家」としての彼女を追いかけ、後半は一転、
白血病に倒れた息子を懸命に支える「母」としての苦闘を描く。こう書き出してみるとまるで「カネボウヒューマンスペシャル」みたいだが、
50歳を目前にしてようやくその器に見合うだけの活躍を見せ始めた田中裕子による地に足のついた演技と、今作で「クボヅカ君の弟」
という呪縛から完全に解き放たれるであろう窪塚俊介の熱演で、確かな手ごたえを感じさせる感動作に仕上がっている。
娘が大学に行きたいといえば、学費を工面できぬことから「落ちろ」と願い、
陶芸に興味を示した息子が懸命に成形した作品を一瞥で握り潰すなど、
バカ正直で妥協のない生き方を誰に対しても貫く神山清子のキャラクターは、一歩間違えば「鬼母」との謗りを免れない。しかし、
彼女が作陶にかける只ならぬ意気込みを随所で念入りに描写しているため、そこに嫌悪感は生じない。むしろ、
母でありながら芸術家である女性の、火のような激しさと混じりけのない魂に始終魅了されながら接することになる。それを可能にしたのが、
ろくろに向き合っては端然と、子供に向き合っては率直に振舞う、田中裕子による役柄の完璧な理解だろう。
凛々しさのなかに飄逸な仕草を取り入れ、厳しい態度をとっても、酷い言葉を口にしても、どこか愛らしく映る。
そんな彼女が直面する息子の突然の病。後半はひたすらに息子の闘病シーンが続くが、必要以上に陰々滅々とはならず、
患者やその周辺の人間が、どのようにして「死」や「難病」に立ち向かうべきかという真摯な問いを浮き彫りにしていく。
白血病へ対する無理解と、不備の多い医療機関の現状を乗り越えるために、骨髄バンクの設立が要請される。なかには、
適合する骨髄が見つからないことに絶望して心中する親子も出てくる。仲間たちは駅前で募金を呼びかける。息子はプライドをかなぐり捨て、
病んだ体をマスコミに晒して骨髄の必要性を訴える。こうした一連のエピソードが、胸に迫るような生真面目なタッチで綴られていく。
息子を演じた窪塚俊介の長い手足が、偉大な母親の下で青春をもてあます青年像を体現していて説得力がある。
その顔立ちは兄が見せるピュアな輝きであるとか、荒々しい破壊衝動を秘めてはいないが、痛みに顔を歪ませ、死の恐怖に怯える表情の数々は、
脳裏に焼きついて離れないほどの実感を伝えてくる。なかでも、完璧に適合するわけではない骨髄を移植してしまった彼が、
無菌室で孤独な戦いを強いられる場面は痛々しい。ガラス窓を通して、その地獄の沙汰をただ見守ることしかできない母の無力がやるせない。
彼女に弟子入りしている黒沢あすかが、放射能治療で頭髪の抜け落ちた窪塚俊介に対して、自分も剃髪して笑いをとるというエピソードは、
すでに同様の美談を映画化した前例があるにもかかわらず、無償の行為の尊さを訴えて涙を誘った。
ヒャクニチソウの咲く小道のショットが反復されるたびに、息子の哀れが浮き彫りになる映像的な工夫や、「母はいつ涙を見せるか」
といったエピソードの的確な配置に、ベテランらしい熟達した演出が見受けられる。ラストシーンには、「これしかない」
という確信が漲っている。息子に骨髄を提供する叔母役の石田えりは、親戚のなかに必ず一人はいる、明朗快活な苦労人を演じて好感度が高い。
神山を陰で支える岸部一徳の寡黙な佇まいもいい。陶芸、親子愛、若者の恋と、幅広い世代に訴求する要素を適宜取り入れながら、
すべてをスタンダードなヒューマンドラマの枠組みに収めきる監督の職人芸は、決してそれを全肯定するべきだとは思わないにせよ、
やはり入場料に見合うだけの仕事ぶりを示していると思う。
(2005.1.31)
主なキャスト / スタッフ
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