高樹のぶ子の小説を映画化した『透光の樹』。
主演は、秋吉久美子と永島敏行。
有り体に言えば、中年男女の不倫話でもあり、
永遠の愛(性愛?)がテーマであり、
そういった意味では、『失楽園』と同列に語られそうだが、
いやいや、全然違う。
こちらのほうが、よほど格調が高い。
…ような気がする。私は。
ソソるセリフが多いのも、その一因。
金沢の平泉寺で、
「このあたり寒いから、一気に来るんです、春が。だから、みんな狂っちゃう。」
最後の“だから、狂っちゃう”がなんともそそります。
植物の開花だけではなく、人間の営みにもさり気なくかかっているんですね。
遅い春がやってきて一気に開花する植物たち。
中年男女にも遅い春がやってきて、
狂っちゃう…。
情事の後で、秋吉久美子が漏らす言葉が、
「あたしだけ、素敵になっちゃって…」
イクことを、“素敵になる”って言葉、あんまり使わないですよね?(使ってたりして)
恥らいと悦びが交錯したニュアンスが出ていて、なんともソソります。
ちなみに、現代の女性が滅多に使わない言葉で、私が好きなセリフがもう一つある。
森田芳光監督の『それから』で、藤谷美和子が言う
「寂しくていけないから…」
“寂しくて仕方がない”とか“すっごい寂しくてぇ~”とは言うかもしれないが、
“いけないから”とはあまり言いませんよね?
寂しくていけないから…
ああ、ソソられる。(オレだけ?)
それと、もう一つ。
永島敏行が、秋吉久美子に言うセリフだが、
「この、右の耳は、僕の耳で、右の乳房は、僕の右胸で、この右目が見ているものは、実は僕の目が見ている…」
う~ん、これはちょっとクサイかな。
ま、ラストシーンにつながる布石ともいえるのだけれども…。
というわけで、
ね?
そそるでしょ?
(そそらなかったりして…)
もっとも、これらのセリフな原作の小説に出てくるセリフかもしれないが、私は原作を読んでないので分からない。でも、ソソられれば、
小説でも脚本でも現場での改変でも、役者のアドリブでも、なんでも構わないのだ。
セリフもそうだが、
この映画に凛とした気品と情感を与えているのは、日野皓正のトランペットだ。
彼の幽玄ですらある哀しいペットの音色の功績は、大きい。
まるで、日本版の『死刑台のエレベーター』ではないか。
もちろん、マイルスのサウンドトラックとは、内容も雰囲気も違うことは言うまでもないが、
この威厳と孤独をたたえたトランペットは、
マイルスが『死刑台のエレベーター』で放った一音一音の重たいトーンに通底するものがある。
表面は醒めた鉄のように冷ややかだが、じつは、高温で溶解した鉄のように熱い肌触りの音は、まるで、
金沢の遅い春の冷え冷えとした空気の中で営まれる男女の静かに燃える性の営みを象徴しているかのよう。
日野の放つ、重く捩じれたトーンは、この映画冒頭の日本刀を鍛える刀鍛冶のシーンに見事にマッチし、
はかない中年男女の愛と性の行く末を暗示すらさせる。
絶望の深淵へと誘う日野の“鉄の音”は、確実に、我々リスナーの五感の水面下を静かに侵食してゆくのだ。
日野皓正は、一時期フュージョンにも手を染めていたので、
軽やかなラッパを吹く、コマーシャリズム寄りの人と思われがちだが、
彼の表現スタイルには大きく分けて2つのパターンがある。
軽やかさ、キャッチーさも彼の持つスタイルの一つだが、
ひとたび彼が本気になると、人間の暗黒面を抉り出すような深いトランペットを吹くのだ。
それは、菊地雅章や富樫雅彦らとの共演でも顕著に現れている。
ご興味のある方は、『トリプル・へリックス』(東芝EMI)を聴いてみて欲しい。日本を代表するジャズマンによる、
魂の交感の記録と言っても過言ではない。一言、かなり深い。
しかし、今回はそれ以上に、トランペットとピアノのデュオというフォーマットも手伝ってか、より一層、“間”と“残音”
を大事にした演奏となっている。
ただし、自殺したくなるかもしれないから、
安易な気持ちで深夜に1人で聴いてはいけない音楽の一つだが…。
『透光の樹』は、人間の性愛の奥深さと儚さを、見事に描いた映画だが、日野のラッパが色を添えたことによって、
さらに奥行きのある作品へと深化している。
2004年10月30日よりシネカノン有楽町 11月より新館・アミューズCQN渋谷他 にて全国ロードショー 公式サイト |
主なキャスト / スタッフ
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