自殺した私のジャズの師匠は、ベニー・ゴルソンに惚れていたようだ。
師匠はジャズのトロンボーン奏者で、彼のプレイのスタイルは、ホットな肌触りとメカニカルでクールなテイストを完璧なまでにコントロールするセンスと技量を持ち合わせ、共演者のタイプもストレート・アヘッドなアプローチのジャズの演奏を生業とするジャズマンよりも、むしろ、少し前衛がかったスタイルや、新しいジャズの姿を模索しているようなトンガった演奏スタイルのジャズマンが多く、それも手伝ってか、ジャズにおいては「4ビート一辺倒」といったような保守的なファンの多い日本よりも、前衛的なスタイルや、フリージャズを理解し、かつ楽しめるだけの精神的余裕のある
「芸術的民度」の偏差値においてはわが国やアメリカなどと比較すると圧倒的に高いヨーロッパ諸国での評価が高かったわけだが、
このようなことからも分かるとおり、先進的なスタイルの師匠が、熱にうかされたようにウネウネと、
ときにクドイぐらいのフレーズを丸みを帯びた暖かい音色でふりまくベニー・ゴルソンのプレイスタイルを信奉しているとは、
どう考えても合点がいくものではなく、私も、最初はどうしてトロンボーン奏者の彼が、テナーサックス奏者でまったくスタイルの違うベニー・
ゴルソンのことを好きなのかの理解に苦しんだが、師匠がゴルソンを好きな点は、ゴルソンのテナーサックスのプレイ面においてではなく、
おそらくは作曲、アレンジといった楽器奏者としての資質以外のところにあるセンスなんだなということが、彼が作曲したベニー・
ゴルソンに捧げた曲を実際に練習し、演奏し、もっとこう演奏して欲しいと本人からアドバイスをうけ、
ライブで演奏しているうちに分かってきた。
ベニー・ゴルソンは、《アイ・リメンバー・クリフォード》や《ファイヴ・スポット・アフター・ダーク》といったジャズの名曲を、これを読んでいるおそらく多くの方は、タイトルは御存知ではないかもしれないが、
飲み屋や喫茶店などのBGMで耳にしている可能性の高い有名曲を次々に作曲した名作曲家なことと同時に、「ゴルソン・ハーモニー」なる言葉がジャズファンの間では頻繁に交わされるように、露骨ではないが、独特なぬくもりと、円やかさの感じられる管楽器が生み出す絶妙なハーモニーのアレンジを得意とした名アレンジャーでもあり、おそらく私の師匠は、トロンボーンという、トランペットやサックスなどの共演楽器が奏でるメロディに厚みをつける役割が多い楽器のプレイヤーという立場上、
彼のアレンジを参考にしたことは確実で、実際、ゴルソンのアレンジを研究しているうちに、
彼のハーモニーのセンスから大きな影響を受けたものと思われ、だからこそ、だいぶ前のことになるが、
彼作曲のゴルソンに捧げた曲をジャズ学校の発表会で私を含む生徒数人が今はなき六本木のピットインで演奏した際にも、
「ゴルソン独特のメランコリックな雰囲気を出すように」と演奏前にずいぶんと念を押されたものだし、
ギターやトランペットなどのメロディを担当する楽器奏者は、
かなり緻密にテーマのメロディのハモりかたなどの細かい指導を受けていた記憶がある。
前置きが長くなってしまって非常に申し訳ないが、要するにテナーサックス奏者・作曲者・アレンジャーという、3つの優れた資質を持つベニー・
ゴルソンというジャズマンのことを想うと、どうしても、
私にアンサンブルとジャズのなんたるかを演奏を通して教えてくださった亡き師匠のことを思い出してしまうので、
ご勘弁いただけないでしょうかと思うと同時に、ベニー・ゴルソンというジャズマンは、それだけ日本のスタイルの違うジャズマンからも、
尊敬の念を受けているミュージシャンズ・
ミュージシャン的な側面をも持つ素晴らしいジャズマンなのだということは是非頭の隅っこにでも入れておいていただけると嬉しいし、さらに、
ジャズがもっとも熱かった50年代のハードバップ期に活躍していたジャズマンの中では、数少ない生き証人になりつつあるので、
たとえばニューヨークに行かれた際などに、彼の名前を見かけたりしたら、是非ともライブに足を運んで、
生の演奏を間近にご覧になることをオススメしたいと思う。
さて、映画『ターミナル』においても、ベニー・ゴルソンは、劇中全編を通して重要なカギを握る人物、というよりも、この映画の
「原因そのもの」と言っても差し支えなく、彼の存在と、彼が今でも元気にニューヨークのどこかのジャズクラブで演奏をしているという「事実」
が、そもそもの物語の発端であり、結局のところ結論だったのだとも言ったとしても、仮に私の意図が「ターミナル」という映画を「テイク・ザ・
ジャズ・ムーヴィ」という企画趣旨に強引にフィットさせるように持って行こうという目論見がミエミエなコジツケ結論だとしても、
さほど違和感は感じられないと思う。
もちろん、劇中においてのベニー・ゴルソンの登場時間そのものは、それほど長いものではないが、なにせトム・ハンクス演ずる、
クラコウジアというロシア近隣にあるであろう国からニューヨークのJFK国際空港へ降り立ったビクター・ナボルスキーなる人物を長らくの間、
空港にとどまらせ、ターミナル(到着ロビー)で生活させた人物こそベニー・ゴルソンなので、登場回数や登場時間をの長短問わずに、
重要なカギを握る人物だという点においては、いささかも変わることはない。
ネタバレになるので、これから「ターミナル」を見ようと思っている人で、なおかつストーリーは知りたくないと思われている方は、
ここから先は読まないでいただきたいのだけれども、要するに、ビクターという人物が、ニューヨークにわざわざやってきたのは、ベニー・
ゴルソンからサインをもらうため、ただそれだけのためにやってきたわけで、これは一体どういうことなのかという理由を一応書いておくと、
彼の父は大のジャズファンで、大物ジャズマンが一同に会した集合写真を雑誌か新聞で見て以来、
写真に写っていたジャズマンの一人一人にこつこつと「あなたのサインを送ってください」といった内容のお願い手紙を書き、セロニアス・
モンクら大物ジャズマンからサインを送ってもらうことを生きがいにしていたのだが、
ほとんどのジャズマンのサインは集まった時点で父親は死亡、ただの1枚だけ、彼の在命中に収集できなかったサインがあったが、
そのサインを送ってこなかった人物こそがベニー・ゴルソンだったのだ。
だから、息子のビクターは、父親の遺志を継ぎ、ベニー・ゴルソンからサインをもらうためにニューヨークへ降り立ち、
降り立った途端に故国のクラコウジアが戦乱に巻き込まれ、入国にも本国への帰還も出来ないという宙ぶらりんの状態になり、
結局は数ヶ月の間空港住まいをするハメになり、結果、あるときは面白おかしく、あるときは心温まる人間ドラマが展開されたのだ。
物語の終盤、晴れて入国が許された彼。
空港から出たビクターは、タクシーで、一路ベニー・ゴルソンが出演予定のホテルのバーへ向かったが、
一直線にその場所に辿り着いたということは、あらかじめ空港内の書店か、コインで数分間接続できるインターネットのモニターでベニー・
ゴルソンのスケジュールと出演するジャズクラブの住所を下調べしておいたのだろう。
開演直前のベニー・ゴルソンと対面し、理由を話すが、ゴルソンは「演奏開始時間なので、サインは演奏が終わってから」と言い、
ピアノトリオをバックに演奏を始めるが、次のシーンでは、サインをもらったビクターが、「さ、帰ろう」
と一直線に帰路に向かうという性急な展開、しかも彼の背後からはベニー・ゴルソンのテナーサックスが朗々と流れているので、
おそらく1セット目が終わった後にゴルソンからサインをもらい、2セット目は聴かずに帰路についたのだろうことが推測出来る。
せっかく会えたゴルソンなのだから、もうちょっと演奏を聴いてから帰ってもいいのに、なんで帰ってしまうんだよ、勿体無い、なんて思うのはジャズファンの私だけなのか。
彼はゴルソンの演奏よりもサインをもらうほうが重要で(ま、そりゃそうだが)、サインをもらったあとは、
もうゴルソンの演奏を鑑賞する興味も、ニューヨークを観光しようという気もおきなかったのだろう。
ニューヨークの雑踏で故国に帰ろうとする彼の姿を捉えて、かくして「ターミナル」は終わる。
ジャズが物語の引き金となり、ジャズが主人公の行動の原動力となり、本物のジャズマンが登場するにもかかわらず、主人公をはじめ、ほとんどの人がジャズには何の関心も縁もないという珍しい「ジャズムーヴィ」ではあったが、最後の「ええ、もう終わりぃ?」
な拍子抜け感を抜かせば、まあまあ楽しく鑑賞できた映画だと個人的には思う。
なにせ、飄々としていながらも誠実、温厚、優しく誰からも愛される人柄で、一見トロそうなところもあるが、じつは意外と学習能力が高い上に、
きちんとした職人の技術も有しているロシア近隣国の異邦人という文字に書くと複雑に感じてしまう役柄を見事に演じきったトム・
ハンクスの役作りと演技の功績が大きいといえるだろう。
(2005.3.5)
主なキャスト / スタッフ
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