北半球全体が三日坊主の氷河期に突入する、という天変地異によって、人類(というかアメリカ人)は絶滅の危機に瀕する。
ワシントンにいた気候学者のデニス・クエイドは、滞在先のニューヨークで消息を絶った息子、ジェイク・ギレンホールを救出すべく、
氷河に覆われた州を徒歩で横断する、危険な旅に挑むのであった――。
とまあ、気宇壮大なホラ話の中心に、「父と子の絆」というハリウッドのお家芸的モチーフを据え、あとは、大都市が洪水に飲まれ、
トルネードが街を破壊し尽くし、ニューヨークが一瞬のうちにフリーズする「驚異のVFX映像」の連続によって客を楽しませようと目論んだ、
平均的な仕上がりの超大作ディザスター映画である。
メインキャラクターの父と子以外にも、スコットランドの観測所で死を待つ気象学者とその一味、無能な大統領と無能な取り巻き、
病気の息子を守り通す看護婦の母親、千代田区で酔っ払うサラリーマン、という具合に、エメリッヒ監督は登場人物をバランスよく分散させ、
群像劇のフォーマットを踏襲することを忘れない。しかし、コンピューターウィルスに感染させたら尻尾を巻いて逃げ出した、
『インディペンデンス・デイ』の腑抜けた宇宙人とはちがい、今度の敵はまごうかたなき天災である。
まさか雪雲に核爆弾を撃ち込むことも出来ず、人類は万策尽きて死を待つばかり。そんな絶望的な群像が描かれる中、
息子を救出するために白銀の荒野に踏み出すデニス・クエイドと、図書館という密室でのサバイバルを開始するジェイク・
ギレンホールのヒロイズムが、見る者の関心の的となるのは必然である。
そんなわけで、一番面白いのは、ジェイク・ギレンホールが担うニューヨーク公立図書館のパートである。運良く図書館に逃げ込んだ人々は、
ニーチェの著作や税法関係の本や稀覯本をかき集めて暖炉に放り込む。世界の終わりを前にすると、
本など火にくべてやるしか役に立たないというわけだ。惜しまれるのは、「氷に閉ざされた図書館」という特権的な空間が、
それほど魅力的に描出されてはいないこと。『シャイニング』のリゾートホテルのように、雪によって日常から隔絶された非日常的な空間は、
映画の中で意外な表情や佇まいを見せて、見る者のイマジネーションを刺激するものだ。三輪車でホテルの長い廊下を進む映像が印象的なのは、
それが通常あまり目にしない光景であり、その組み合わせの妙をキューブリックが丁寧に視覚化していたからだ。
図書館に閉じ込められたから本を燃やす、というのは誰でも考えつく。もっと図書館という建築物の懐の深さ、冷厳さ、闇の深さ、
といったものを見せて欲しいという不満は残った。
全滅するのは北半球の人々で、南半球の人たちはトルネードや雹に見舞われつつも、なんとか生き残る。
そこで彼らは比較的温暖な地域への脱出を図る。ではどこへ逃げるか? さしあたって人々が向かう先はメキシコである。
それじゃあカリフォルニア州の人(しかもごく一部)しか助からないんじゃないかと思うが、とにかくメキシコなのだ。全米の全人口中、
12%を超えるというヒスパニック系の気分を取り成す必要が、制作者サイドの誰かにあったのだろうか。あるいは、
アメリカ人がメキシコへ大挙して避難するという「逆移民」の映像が愉快だと思えたのだろうか。終盤、アメリカと「途上国」
にまつわる意味深なスピーチが出てくるので、要チェックだ。
氷河期の到来を予知し、大統領に避難勧告の発令を進言し、息子を助けるためにワシントンからニューヨークへ歩行するという、
八面六臂の活躍を見せるデニス・クエイドは、寡黙さの中に強い意志を秘めた演技でこの馬鹿馬鹿しい物語に真実味を与えている。
つくづくといい役者である。息子役のジェイク・ギレンホールは、優れた頭脳を持ちながらも、
内気な性格から冴えない青春を余儀なくされる高校生(ちょっと無理はあるが)を演じて印象的。『ドニー・ダーコ』
の狂気をいまだ残した彼の目つきは、不穏な時代の病んだ魂を反映しているかのようだ。
軸となる人間ドラマを「父と子」に絞り込むという控えめな態度が、明らかに作品から快活なテンポを奪っている。しかし、
荒唐無稽な設定に人間ドラマとしての生真面目なトーンを加味し、「明日世界が滅びるとしたら、最期の時を誰と過ごしますか?」という、
寒ボロの出そうな問いを投げかけるにあたって、この仕組みはまずまず奏効していると言えそうだ。親子ならずとも、
アツアツのカップルが見に行って、悲劇的な想像に酔い痴れるにはうってつけの映画ということである。
まだ氷河期が訪れていないカップルは、どうぞ有効活用してください。
(2004.5.23)
主なキャスト / スタッフ
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