連載第1回 放送第1話『ウルトラ作戦第一号』
〈ウルトラ1800〉と冠された廉価版DVD『ウルトラマン 1』(第1~4話収録)を購入して、いよいよイデ隊員の魅力について検証・顕彰する試みのスタートです。
この連載のマイルールとして、毎回3,000文字前後を目安にします。自主規制しないと必ず長くなりますから。それに、1話見るごとに書く/それまでは次の回を絶対に見ない、と決めたので(バイクで出発する前に腕時計を捨て、あての見えない旅だと覚悟を決める『イージー・ライダー』方式じゃ)、第1話を見た段階でまず言います。
……面白いね、『ウルトラマン』って! 20数分のあいだにハヤタ隊員とウルトラマンの接近遭遇と密約(不慮の空中激突によって出会った2人は、これから一心同体となって地球の平和を守る)。科学特捜隊の役割分担。そしてウルトラマンと怪獣の戦いのパターン(胸のカラータイマーが光ると巨大な姿でいられる時間切れの合図なので、スペシウム光線で決着をつける)。こうした設定のほとんどがスピーディに語られ、出来上がっている。序盤は前作『ウルトラQ』からの怪奇色を引き継ぎつつ(実際の制作順は放送回数と異なるようですが、あくまで第1話として)、これからは巨人ウルトラマンの活躍を軸にした未来派スペクタクルになりますよ、と独自のカラーがはっきり打ち出されている。見事なものです。
ところがイデ隊員、科学特捜隊のメンバーとともに早いうちから顔は出すのですが、5人のなかで一番セリフの出る順番が遅く、立ちあがりの存在感は薄いのでした。
初めて口を開くのは、謎の青い球体と赤い球体が飛来してきた現場(設定上は「竜ヶ森湖」)に向かってから。赤い球体(なかでウルトラマンがハヤタ隊員とコンタクトしているのは外からは見えない)が爆発し、爆風のショックで倒れていた目撃者たちを「大丈夫ですか? どうしたんですか」と助け起こす時でした。以下、DVDで見ていることを利用して、全セリフを起こしてみます。
- 「大丈夫ですか……あァ?」(助け起こしている間にハヤタ隊員の乗っていたビートル-科学特捜隊の専用機-が墜落、炎上しているのを見つける)
- 「やっぱりハヤタのビートルだ。キャップ!(隊長のムラマツを呼んで)キャップ……あれじゃあ助からねえなあ」
- (しかしハヤタの死体が無いのは変だ、とアラシ隊員が不審がるのに)「うん」
- (僕たちは見た、と目撃者が言うのに)「ええッ?」
- 「そんなバカな」(ハヤタ隊員の身体が赤い球体に運び込まれた、と証言する警官に)
- 「そんなバカな」(再度、否定。やや冷笑的に)
翌朝、青い球体が沈んだ山間の湖中からベムラーが出現、すぐに姿を隠す。 - 「寝ちまったんじゃねえかな」(攻撃待機しながら焦れて)
一方、アキコ隊員は、行方不明状態だったハヤタ隊員からの連絡を受ける。 - 「アキコ隊員、幽霊だよそれは」(アキコ隊員からハヤタ無事の連絡無線を受けて)
- (アキコ隊員が別のビートルで到着、特殊潜航艇S16号を湖上に運ぶのに無線で)「そんなところにS16号を置いてどうするんだ」
- 「キャップ。彼女、ショックのあまりここ(頭)がおかしくなったんじゃないんですか」(アキコ隊員があくまでハヤタ隊員の要請を受けて来たと言うのに)
- (まさか、とアラシ隊員が受けるのに被せて)「いや、ひょっとしたらひょっとするぞ。特捜隊の一員とはいえ、所詮は女の子ですからね」
- (アキコ隊員に無線越しに、女の子とはなによ、と怒られ)「あ、いけねえ」
しかし、ハヤタ隊員は本当に生きていた。さっそく、ハヤタ隊員が操縦する湖中のS16号と上空のピートルで挟撃作戦を遂行することに。 - (S16号のハヤタ隊員にビートルの機中から)「まだベムラーを発見できないのか。こちら準備完了」
- 「ベムラーだ!」(ベムラーが湖上に顔を出して)
- 「ああ~!」(S16号がベムラーに咥えられてしまうのを見て)
ハヤタ隊員、赤い球体のなかで宇宙人に渡されていたベーターカプセルを掲げ、初めて変身→巨大な宇宙人の姿になり、ベムラーと戦い始める。 - 「さあそこだ、そこんところ! バッバッバ!」(ボクシングの観客のようにエキサイトしながら宇宙人のほうを応援)
- 「キャップ! キャップ、キャップ」(宇宙人の劣勢にハラハラしながら)
- 「危険信号でしょう。赤ランプは万国共通ですからね」(宇宙人の胸のカラータイマーが光るのにしたり顔で)
- (そんなこと分かるもんか、とキャップにたしなめられて)「でもだいぶ慌ててるようですよ?……あ! だんだんチカチカが早くなってきた」
- 「やったァ! やっはっは……」(ベムラーが退治されて快哉、搭乗口へ向かう)
- 「あれ? ヘンだな」(扉を開けている間に宇宙人が飛び去り、姿が見えないので)
- 「あれ……あ! ハヤタが駆けてくる」(首を傾げている間にハヤタ隊員を見つけて)
- (ビートルを降り、喜んで駆け寄る)「ハヤタ!」
- 「ハヤタ……君は本当のハヤタなのかい?」(しかしまだハヤタ隊員の生存が信じられず)
- (ハヤタ隊員がムラマツキャップに、今ベムラーを退治した“彼”に助けてもらった、と報告するのを聞いて)「ちょ、ちょ、ちょい待ち。彼、彼って親しそうに言うけど、一体名前はなんて言うんだい?」
- (名前なんて無いよ、とハヤタ隊員が答えるのに)「よせやい、名無しの権兵衛なんてあるもんか」
- (では「ウルトラマン」はどうだと言われて)「そ、そりゃあ……う~ん……(笑顔で)ウルトラにいいでしょう」
どうでしょう。イデ隊員=〈男のなかの男〉説が、無謀に感じられるでしょうか。
序盤は何も喋らなかったくせに、同僚のハヤタ隊員が不慮の死を遂げたかもしれない現場では途端に、いらんことを連発。そのあとも大体のセリフは失言、軽口、知ったかぶりで占められており、さすがに僕もちょっとは、先行きの不安を感じました……。
それに行動上も、イデ隊員に見るべきところはありません。作戦の際のビートルの運転及び攻撃はムラマツキャップとアラシ隊員にお任せ。イデ隊員は賑やかしのコミック・リリーフ担当と、これまた第1話においてすでに明確になっているわけです。『ウルトラQ』で万城目淳青年の後輩であり、新聞記者の江戸川由利子からよくからかわれていた三枚目、一平クンこと戸川一平の役割が、そのままバトンタッチされたと見てよいでしょう。
しかし、よくよく見れば、一平クンとは内実が段違い。3度続けて見た後の今は、僕が予想・期待していた以上にイデ隊員は凄い男かもしれない! そんな思いで一杯です。
例えば、相当なツッコミどころであろうセリフ3以降のシークエンス。最近のドラマを見慣れている目には「仲間が死んだかもしれないのになんて冷淡な態度だ!」と不快につながりかねないものですが、これについてはもう、実はイデ隊員がそれだけの修羅場を積んだ強靭な精神を持っているのだという結論に尽きます。本連載においては、こういう点にこそ感嘆すべきなのです。
まず、科学特捜隊とはどんな組織か。冒頭のナレーションは、
「パリに本部を置く国際科学警察機構の日本支部に、科学特捜隊と呼ばれる5人の隊員たちがあった。彼らは怪事件や異変を専門に捜査し、宇宙からのあらゆる侵略から地球を防衛する重大な任務を持っていた」
こう説いています。……率直に言って、何回聞いても分かったような分からないようなヘンな気持ちにさせてくれる説明です。煙に巻くのが目的であれば、最強の部類ですね。でも、とにかく科学特捜隊は怪獣専門・少数精鋭のエリート部隊である、それだけは納得できます。そして、そこさえ呑み込んでくれればよいのだよ、と割り切っている説明でもあります。ついでに言うと、「初代ウルトラマン」の舞台設定は近未来というより、SFジャンルでいう多元宇宙・同時存在の考え方のほうが理に適っているのでは、と僕は予想しています。僕たちが住んでいる世界とほとんど変わらないように見えるのに、いつ怪獣や宇宙人が襲来してくるかもしれない、その危機感がコンセンサスになっている点だけは大きく違う別の世界がある……。これは、本連載のなかでしっかり検討されていくべきポイントのひとつでしょう。
で、そんな特殊なチームに配属されるからには、NASAの宇宙飛行士もかくや、というぐらいの訓練・能力・資質もろもろが要求されているはずです。怪獣なんていうワケのわからないものが出現した場合は、対策及び作戦の立案実行を全て任されている5人なのですよ。常人離れした精神力や実行力の持ち主であることは、大前提です。イデ隊員は隊員になるまでに、訓練中の仲間の事故死など、すでに幾例かの犠牲を目にし、その痛みを乗り越えて来たのではないか……。「あれじゃあ助からねえなあ」と冷徹に言ってのけることでイデ隊員は、行動中は仲間の死に動揺してはいけない、いちいちメソメソしては任務遂行に支障をきたす、と感傷を撥ねつけ、科学特捜隊の背後にある厳しさ、責任の重大さを僕たちに教えてくれます。
おそらく製作者・脚本家は、当時のアメリカの映画やドラマを、科学特捜隊を造型する際のヒントにしている気がします。例えば、ジョン・スタージェスやロバート・アルドリッチなどの西部劇・戦争映画に登場する、独立独歩型のチーム。各自勝手な愚連隊のようでいて、ミッション遂行の時には命令を忠実に守る質朴な部下より何倍も役に立つ男たち。そういうドライでカラッとしたチーム劇の魅力が、科学特捜隊にはあります。紅一点のアキコ隊員が男性隊員と対等な存在であると早くに打ち出すためにも、イデ隊員のセリフ12は〈誘導つっこみ〉として必要なものでした。
そう、イデ隊員は第1話において、テンポよく基本設定を馴染ませなければならない、脚本家が最も苦労する場面になるほど、よく喋ります。
脚本は、関沢新一と金城哲夫の共同クレジット。関沢新一は、東宝の「ゴジラ」シリーズなど特撮映画の多くの脚本を担当し、あの小宇宙的ジャンルの豊穣を土台で支えた偉才ですが、「ウルトラ」シリーズを手掛けたのはこの第1話だけ。一方の金城哲夫は、当時は円谷プロ企画文芸部に所属する、実質的なメイン作家です。どんな分担で脚本を書いたのか今の僕には不明なのですが(おそらく関沢が初稿を書き、金城が完成させたのでは。文献を詳しく探せば分かるかもしれませんが、本連載はスミマセン、あえて予習せず手持ちの情報のみから始めてみるのが狙いなので)、イデ隊員のセリフに江戸っ子のべらんめえ調が混在している辺りには、関沢タッチらしさが濃厚に残っています。
それになにより、こういう部分で関沢のセンスが活かされているのでは、と思わされるのは、イデ隊員の“利用法”。セリフ17や26のように、あの銀色と赤の巨人の正体は何だ? と真面目に考え始めたらどうにもならなくなるところが、イデ隊員によってサッと省略されます。ベムラーと戦う巨人をイデ隊員が率先して応援するもんだから、巨人は、その時点で地球人の味方になる。名前はなんだろう、とハヤタ隊員に聞いてみせるもんだから、巨人は「ウルトラマン」となって、正体はともかくヒーローとして認知される。離れ業に近い芸当が成立しています。
毎回3,000文字が目安といっておいて、もうとっくにオーバーしていますけど、第1話は特別なので、このまま書きましょう。関沢の偉才(あるいは異才)振りで最も重要なのは、SFジャンルにおける日本独自の秘約を作った点です。例えばゴジラが登場した場合。「一体あれは何物だ? なぜあのような巨大生物が……」と登場人物が真剣に悩めば、リアリティはよく出ますが、そのぶん時間がかかりストーリー展開がもたれる。解決法は実は簡単。出て来た時点で目撃者に「あッ、ゴジラだ!」と叫ばせてしまえばよい。後はもう説明が不要になる。この驚嘆すべき“発明” によって日本の怪獣映画は、エクスキューズの納得が無ければ先に進めないアメリカやイギリスなどとは一線を画した、特殊な発展を遂げるに至ったわけです。
ウルトラマン=ハヤタはスーパーマン=クラーク・ケントのように、あるいは鞍馬天狗や多羅尾伴内などのように、正体不明である(観客や視聴者だけが知っている)ほうが望ましい活劇のセオリー自体も、いずれよく考えてみる必要があるものです。ここではとにかく、活劇のセオリーに則ってウルトラマンの基本設定を固める場合、イデ隊員みたいなキャラクターがいかに融通が効く、戦力になる奴だったか、それが良く分かった点が重要。
しかし、現在までの長寿と絶えぬ人気を誇る「ウルトラ」シリーズの、『ウルトラQ』からの路線変更と新カラー決定に、かくも大きな貢献を果たしたにも関わらず、イデ隊員は一見したところでは単なるオトボケキャラにしか見えないのでした。「あの巨人は何者なんだ?」と誰かが聞くのが当然だし、そうしなければならない非常に微妙な場面で、率先して発言するのはイデ隊員。しかも、口にするのは「一体名前はなんて言うんだい?」と、倒れそうになるほど思いっきりポイントのズレた疑問。スタッフの意をここまで汲み、うまいこと持っていけるなんて、なんと凄い男だろうと、改めて僕は思います。脇役、しかも三枚目に徹する男の栄光と孤独が、第1話においてすでに鮮明です。
毎回、最後は連載らしく、イデ隊員のセリフから〈男のなかの男〉度が高いものを選びたいと思います。今回はやはり、これでしょう。
イデ隊員のおとこ語録:第1話 「あれじゃあ助からねえなあ」
仲間が死んでも任務中は泣くな、ということです。ハヤタ隊員の死は、基地に戻ってからゆっくり悼めばいいのです。……いや、生きてたんだけど!
(つづく)
( 2010.8.6 更新 )
(注)本連載の内容は著者個人の見解に基づいたものであり、円谷プロダクションの公式見解とは異なる場合があります。
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- 監督:円谷 一;飯島敏宏;野長瀬三摩地
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