連載第9回 放送第7話『バラージの青い石』(中)
ウルトラマンの先祖は大昔、中近東の地に現れた。つまりM78星雲の宇宙人には初代ウルトラマン以前にも地球で活動した歴史があった、と重要な事実が開示される第7話。
ムラマツキャップが「我々人類にとって、ウルトラマンは平和のための大切な神なのかもしれん」と、ウルトラマンの存在の解釈についてひとつの美しい見解を示し、それをウルトラマンと「一心同体」状態のハヤタ隊員が黙って聞いている場面の続きです。
ムラマツキャップが思わず呟いた言葉は、ハヤタ隊員に与えられた、大きな規範です。
ウルトラマンと密約を交わしたハヤタ隊員ですが、完全に「一心同体」になったわけではありません。あくまで、キミが必要だと確信した時のみベーターカプセルをかざしてくれれば、キミはワタシに変身するよ、という約束です。第6話のときにも書きましたが(連載第7回)、いくら科学特捜隊のエリート隊員でも、ウルトラマンに変身できる巨大な能力のコントロールはそうとう難しいはず。ムラマツキャップのような知見の高い人物の下で働けているおかげでハヤタ隊員は安定し、科特隊の任務と変身能力の狭間で迷うことなく済んでいるようです。やはり、とても重要なエピソードです。7話目にして設定にしっかりと念が押され、ハヤタ隊員は自分の使命を改めて噛みしめるわけです。
ただ、そこまで考えると、今回の砂漠のアリ地獄怪獣アントラーのように、“設定地獄”にみるみるハマッてしまうのでした。
ウルトラマンは、地球上では本来の巨大な姿になれる時間は限られている。ということは、ふだんのウルトラマンは、ハヤタ隊員に託されたベーターカプセルのなかに封じ込まれているのか? だとすれば、ウルトラマンが現れたらその間、ハヤタ隊員の姿が消えるのはどうして……?
僕たち日本人は鬼や妖怪、あるいは霊なんかが人智を越えた力で封印される昔ばなしをよく見聞きして育つためか、そういう存在――実存とイメージの狭間にあり、現世と異界を往還するもの――をあっさり呑み込めます。それはもう、スムーズ過ぎてフシギなぐらい。理屈よりも先に、身体が納得します。
僕自身、この連載を始めるまで、ハヤタ隊員がふだんの姿でいる時にウルトラマンはどこにいるのか、なぜ変身の時だけハヤタ隊員→ウルトラマンとなるのか、ほとんど疑問に感じることはありませんでした。考え出すと、これは実に脳みそが痛くなるモンダイです。
ウルトラマンはハヤタ隊員がベーターカプセルをかざすのを合図に宇宙から飛んでくる。そんな、アラジンと魔法のランプ的契約関係ならば、エクスキューズが明確で話は早い。スーパーマンはあくまでクリプトン星で生まれた本人自身で、クラーク・ケントがあくまで仮の名前なのも同様。しかし、ウルトラマンの場合、ハヤタ隊員の日常の思考や行動までは束縛しないけれど、どうも彼の精神及び肉体と切り離しては考えにくい関係にある。う~む。
あれこれ考えた末の、第7話の時点での僕の仮説。ふだんのウルトラマンはベーターカプセルのなかで生きている、と考えるのがいちばん無理がないのではないかな。宇宙人といっても(SF映画の歴史に照らせば)アメーバ状や、大気中のガスに触れる作用で実体化するなど様々な形態の例があるので。ハヤタ隊員のかざすベーターカプセルが光る時、その光が何らかの作用でウルトラマンの実体化を促す。その際に、ハヤタ隊員の肉体を借りる。つまり、ハヤタ隊員は一種の〈依代(よりしろ)〉として利用される……。
しかし、これも即断はあぶない。『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』などにはこの〈依代〉説を裏付ける描写がある、と確かに記憶しています。セブンがいったん敗れたらモロボシダンも寝込んだり。郷秀樹が郷秀樹本人のときに特訓したキックで、新マンが怪獣を倒したり。でも、ここまでの『ウルトラマン』にはそんな描写はないのです。
結局、長々と書いておいてナンですが、ウルトラマンの初期設定は、製作・放送と同時進行で練られ、固まっていったのだと考えるのが正当みたい。でも、『ウルトラマン』のストーリーが、ハヤタ隊員に〈半神半人〉的能力を与えた地点から始まっている以上、そのアイデアのなかに含まれた要素が次第に膨らみ、また何らかのメタファーが引き出されていくのは必然だ。
ここまで僕は、ウルトラマン=神、と捉えることにずいぶん慎重です。なんというか、逆にそれは解釈としてはカンタン過ぎるというか。〈テレビのヒーロー=偶像のキャラクター化が進む現代ならでの新しい神々〉などとワケ知り顔でカテコライズすると、かえっていろんな要素をとりこぼしてしまうようで。〈東京ディズニーランド=現代のお伊勢詣り〉〈お台場のガンダム=現代の仁王像〉などと喝破するご意見が、とても腑に落ちるんだけど、落ち過ぎて物足りない気持ちに近いです。
なので、ウルトラマンはあくまでも宇宙人に過ぎない、慌てて大きな存在にすることなく冷静に考えてみよう、とつとめてきましたが。
今フト、非常にスタンダードなツッコミが自分に入りました。
(オマエ、宇宙人見たことあるんかい!)
……ありませんよ~だ。
そう、ウルトラマンは単なる宇宙人だ、神などではない、という物言い自体が、冷静に考えればそうとうムチャクチャ、本末転倒なんですよねェ。なんとなれば1940年代にアメリカを中心にUFOブームが起き、SF映画の量産が始まった段階で、宇宙人というコンセプトは、戦後世界の新しいフォークロアとして独り歩きを始めているからです。
だからより正確に言えば、〈宇宙人=現代の新しい人造神〉。ウルトラマンと怪獣の戦いがどこか儀式的、宗教的色彩を帯びているのも、〈人造神VS自然神〉の構図で考えれば、たいへんによく分かってくる気がするのです。
いずれにしても、宇宙人であり神にも近いウルトラマンの存在のありよう、この連載を続けるにあたって、今後も並行して考えなくちゃいけないと思います。
ふう。やっとこ、第7話の中身の話へ。科学特捜隊が中近東へ向かう出張篇である今回、さらにミソなのは、怪獣が現れるのは日本だけではない、とハッキリ分かることです。
僕たちは、怪獣は日本にばかり現れる、となんとなく思いがちですが、よくよく押さえてみれば案外、そんなことないんですよね。舞台設定がつながっている『ウルトラQ』において、例えばペギラは南極の怪獣だったし、パゴスが最初に出現したと言われているのは北京郊外です。僕たちが見ているのはあくまで日本の科学特捜隊のケースのみなので、偏ったように感じられる。
実際には(といっても『Q』『マン』の世界内で、ですが)国際科学警察機構各支部の科学特捜隊が世界各地で怪獣退治に乗り出していて、科学や最新兵器で及ばない場合は、ウルトラマンに近い存在が登場、活躍しているのではないか。とりあえずは、そう想像しておくほうが楽しいです。
ヨーロッパには巨人ゴーレム、あるいは魔法使いが控えてるかもしれないし、アジア大陸には道士の仙術で召喚される巨竜がいる、かもしれない……。北米大陸なら、それこそスーパーマン。フライシャー兄弟による戦前の短編アニメ版には、北極の氷の下から運ばれた恐竜が、大都会で息を吹き返すエピソードがあります。恐竜といってもディフォルメされたデザインなので、怪獣と言って差し支えない。『Superman/The Arctic Giant』(42)という1篇です。『ロスト・ワールド』(25)や『キング・コング』(33)をヒントにしつつ、まさに東宝怪獣的な、爬虫類型巨大モンスターの都市破壊スペクタクルが、『ゴジラ』(54)の原典とよく紹介される『原子怪獣現わる』(53)の10年前に描かれている。しかも戦う相手はスーパーマンという珍しさ。これ、チェックしておくと面白いですよ。
そして今回、中近東の砂漠に生息するアントラー。国際科学警察機構/科学特捜隊のパリ本部、それにインド支部、トルコ支部が調査隊を派遣したがいずれも行方不明になった、手ごわい怪事件の主です。
我らが日本支部に出動要請が出たのは、おそらく、ベムラーからゲスラまでの一連の案件処理が高く評価されたからでしょう。実際はほぼウルトラマンの手を借りているのですが、そこも期待要素として加味されていたか……。となると、怪獣は世界各地に現れるとしても、やっぱり日本は怪獣出現の率が高いことになる。それはきっと神仏混合、八百万の神の国である風土、宗教文化と無関係ではないでしょう。イコール、日本は、ウルトラマンのようにエクスキューズのハッキリしない宇宙人の存在が理屈抜きで納得される国ということでもあります。
第1話のウルトラマンの飛来先がもし一神教の国だった場合を考えてみてください。どう考えても、ハヤタ隊員との交渉ほどスムーズにはいかないはず。長居は無理でしょう。日本はウルトラマンが最も滞在しやすい国であり、同時に、怪獣が出現しやすい国。両者にはおそらく、深い相関関係があります。
ああ、イデ隊員に全く触れることができないまんま、話が止まらない! もう1回ぶん、この第7話、延長します。
(つづく)
( 2010.10.1 更新 )
(注)本連載の内容は著者個人の見解に基づいたものであり、円谷プロダクションの公式見解とは異なる場合があります。
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