特集

 

■■■■ INTRODUCTION ■■■■

 琲時光』―― "珈琲を味わうひと時"を意味するその言葉は、この秋、108分間の至福となってスクリーンに涼風を吹かせる。

 とえそれがプロジェクトを起動させた直接の理由だとしても、 「小津安二郎生誕100年記念作品」という仰々しい字句はこの映画に似合わない。確かに、ここでは端正な構図の画面の中、 日本の普遍的な家族の光景が描かれはする。小津がしばしば映画の主舞台に据えた「東京」が舞台になってもいる。 日常の小景が正確かつ慎重な手つきで淡々と積み重ねられてもいる。しかし、小津映画の登場人物は決して「自然体の演技」 など披露しなかったし、わずかワンショットでワンシーンを描ききってしまうことなど滅多になかった。これは侯孝賢(ホウ・ シャオシェン)という、現代を代表する優れた映画作家が、彼自身のビジョンに忠実に従って撮りあげた、みずみずしい青春/ 恋愛映画なのである。

 湾人男性の子を身ごもったフリーライターの陽子(一青窈) は、若き古書店店主・肇(浅野忠信)と親しい間柄。しばしば珈琲店に足を運んでは、他愛のないおしゃべりに花を咲かせる。 そんな陽子に、育ての両親(余貴美子、小林稔侍)も心配顔。しかし彼女は肇の慎ましくも温かなまなざしの中、町から町、 電車から電車へと浮遊し、日々をのどかに過してゆく――。

 手なストーリー展開はない代わりに、 神保町の古本屋や、昼になるとサラリーマンが行列を作る人気の天麩羅屋・「いも屋」、御茶ノ水の高架、 鬼子母神界隈を走る路面電車といった東京の風物が、胸に沁みるようなみずみずしい映像で切り取られている。 その風景の中を、ヒロインが身重とは思えない身軽さで歩き回る。演じるのは、「もらい泣き」「ハナミズキ」 といったヒット曲でおなじみの歌手、一青窈だ。

「この映画を通して、自分が亡くした家族を感じることができました」

というコメントを寄せているが、"二つの祖国"という複雑な背景を持ちながらも、 あくまでマイペースでのびのびと生きるヒロインの姿は、容易に一青窈自身を想起させる。その細身の体が、 しなやかでしたたかな女性像を体現して大変に魅力的だ。

 女にほのかな思いを寄せる古書店店主・肇を演じるのは、 もはや説明の必要もない大スター、浅野忠信。もともと自然体の演技を得意とする彼だが、 芝居っぽい芝居を排する侯孝賢監督との相性はピッタリだ。これほどシャイで、平凡で、 心優しい男性像を見せたのは久しぶりではなかろうか。肇もまた、浅野忠信自身を思わせてたまらなく魅力的である。他にも、 不器用で寡黙な父親を演じる小林稔侍と、平凡な母親を演じて巧みな余貴美子、出番は少ないが、「いもや」 の若い料理人として登場する萩原聖人が絶妙のコラボレーションを生み出している。

 督の侯孝賢は、 "台湾ニューウェーブ"の代表的存在。1980年に『ステキな彼女』で監督デビュー後、『風櫃の少年』 『冬冬の夏休み』『童年往時~時の流れ』『悲情城市』『『ミレニアム・マンボ』 といった優れた作品をコンスタントに発表しつづけている。近年は最盛期の輝きを失った、 という声もわずかに聞かれていたが、本作で見事に復活を遂げたと言っていい。映画を見終わってから数日後、 いつのまにか作品の細部を反芻してしまう温かな感覚は、侯孝賢映画ならではのものだろう。脚本は『風櫃の少年』 以降のすべての候孝賢監督作品に参加している朱天文。即興によってすべてが生み出されたかに見える脚本だが、 さりげなくも強靭で象徴的な物語構造を構築している。キャメラは『童年往時~時の流れ』『恋恋風塵』『戯夢人生』 『ミレニアム・マンボ』といった侯孝賢監督作品や、ウォン・カーワイ監督の『花様年華』 といった名作で美しい映像を披露してきた李屏賓。今作でも、静謐な自然光を漲らせた画面で、 映画を忘れ難いものに仕上げている。

 品の上映中、 あまりの心地よさにうたた寝をするかもしれない。始終、別のことを考えてしまうかもしれない。けれども、 そんな粗相を大らかに許してくれる映画。それが『珈琲時光』だ。人恋しい気分だったり、疲れていると感じているのなら、 是非とも劇場へ足を運んでみてください。映画を見た後の数日間、不思議と優しい気持ちになりました。 

文責・膳場岳人

■■■■ STAFF / CREDIT ■■■■

監督:侯孝賢
脚本:侯孝賢、朱天文
撮影:李屏賓
録音:杜篤之
編集:廖慶松
プロデューサー:宮島秀司、廖慶松、山本一郎、小坂史子

■■■■ CAST ■■■■

一青窈
浅野忠信
小林稔侍
余貴美子
萩原聖人

主題歌:一青窈「一思案」
作詞:一青窈
作曲:井上陽水
(コロムビアミュージックエンタテイメント)

配給:松竹
宣伝:ビターズ・エンド
公式サイト

※なお本作は、9/1~9/11に開催される、 第61回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に正式出品されている。

 

2005/04/30/05:25 | トラックバック (1)
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