試写会放浪記
(2003 / カナダ・日本 / クロード・ガニオン)
人生における、なんともいえない、沈うつで無常なブルー

高野 雲

 内藤剛志、奥田瑛二、桃井かおり。
 3人の"大人たち"が繰り広げる人生模様。

 映画の謳い文句には"中年期を迎えた男女の心の再生を描き…"とあるが、果たして本当に"再生"という言葉で括って良いものかどうか。

 走り続けて、で、走り疲れて、ちょこっと休憩。休憩の合間に、昔を振り返る。養老孟司と古館伊知郎の『記憶がウソをつく』じゃないが、 実際よりも輝いていたように感じる青春時代。
 よし、"あの頃"を取り戻そう。バンドを再結成しよう。
 言葉にこそ出さないが、チープな「あの頃は良かったね」、「あの頃は輝いていたよね、俺たち」なタグイの考えだ。

 だからといって、過ぎ去った過去を取り戻すことなんて不可能だ。
昔の友達を尋ね、昔組んでいたバンドを復活させ、中年が青年を再現しようとしたところで、昔は再現されないし、  "あの頃"の気分を味わうことも出来ない。
 だって、もう違う人間になっちゃっているんだから。

 内藤、奥田、桃井。
 若かりし日の3人は、ブルース・バンドを組んでいた。
 やがて、バンドは喧嘩別れという形で解散。

 内藤剛志はミッキー・カーチスと事業を興し、バリバリの企業戦士となって活躍。通常のサラリーマンよりは、少しランクが上程度の、まあまあアッパーな暮らしぶり。

 桃井かおりは、小さな飲み屋のママを営んでいる。

 奥田瑛二は沖縄に逃避し、6年前から若い女性と2人で飲み屋をやっている。

 別々の道を歩み始めて、26年後。
 中年になった彼ら。

 26年という歳月は大きい。
 10代後半、あるいは20代前半のときの1センチや2センチ程度のちょっとした価値観や生き方の微妙なズレも、26年もの歳月が流れれば、 その差は何百、何千メートルもの開きとなってしまう。

 この3人を見れば、そのことがよく分かる。
 特に内藤と奥田の2人。

 会社を興し精力的に仕事をこなし、小奇麗なマンションに美人な奥さんと住み、町で女を買い、管理職ゆえ時間の融通も比較的自由。 出張にかこつけて、沖縄へ行くことだって出来る。
 仕事と遊びと経済的な余裕のある内藤は、世間的な言葉で言えば、いわゆる「勝ち組」に属するタイプなのだろう。

 いっぽう、50になっても「負け犬」的なナイーブさを持ち続け、内藤に対して密かな嫉妬心や憎悪を抱き続けたまま、 結局は逃げるように沖縄に住み着いた奥田は、内藤とは対極の生き方をしているといえる。

 実際、内藤がバンドを再び組むために、出張を利用して沖縄の奥田の店を訪ねても、奥田は頑なに内藤のことを避け続け、 なかなか心を開こうとしない。

 さらには、奥田はガンに蝕まれてもいた…。

 ここからは、ほんと、人によって見解が極端に分かれるところだろうが、私は3人の登場人物の中では、内藤剛志に非常なるシンパシーを感じる。
 というより、私は、この映画、"中年男女3人の人生模様"というよりも、"内藤という1人の弱い男の生き様"として見ているくらいだ。
 残りの2人は、内藤という男の生き様や内面を照らし出す鏡のようなもの。
 極端なことを言ってしまえば、桃井も奥田も、内藤という人間を浮かびあがらせ、際立たせるために存在していると言っても過言ではない。
 こういう見方をしたのって、私ぐらいなものなのかな…?

 こんなことを書くと、おそらく多くの女性からは嫌悪されることだろう。
 実際、「内藤剛志って最低!自分勝手で周囲を振り回して、自己満足な男!」と、 試写会後に配給会社の担当に喰ってかかった女性もいたそうだから。

 しかし、私は、内藤剛志にシンパシーを感じる。
 もちろん、うらやましいとは思わないし、カッコいいとも思わない。
 ましてや、彼のような中年になりたいわけでもない。
 だって、私のほうが10数年後は、もっとエゴイスティックなエロオヤジになっていそうだから(笑)。揺れる内藤の姿は、 まだ微笑ましいと感じてしまうほど。

 この映画の中で、内藤が演じる健という男の生き様は、一歩間違えれば、「エゴイスティックでズルい大人」の一言で斬り捨てられかねない。
 しかし、内藤は、単に「エゴイスティックでズルい大人」という一言では括れない、様々な表情を、とても微妙できわどいバランスをとりながら、 本人なりに必死で生きているのだ。基本的にはマジメなんだけども、ちょっとだけ軌道がズレてしまっているだけの、 どこにでもいるようなタイプの中年だと思う。
 だからリアル。

 奥田が、ガンに蝕まれて弱れば弱るほど、それに反比例するかのように生気(精気)に満ちてくる内藤。

 精気に満ちた彼は、街で女を買う。レトロな歌を弾き語る、若い歌手志望の女とセックスフレンドになる。誰もいないオフィスでは掃除のおばちゃんともセックスしてしまう。

 女を買っちゃった、と桃井かおりに自慢し、「ばっかじゃないの!」と蔑まれながらもニヤける。
 奥田瑛二のガンで勃たなくなったという告白を聞いたら、勝ち誇った顔で自分のセックス自慢を語り始める。
 「女、増えちゃってさあ…。うーんとなぁ、二人とか三人とかかなぁ…。若いやつとかオバちゃんとか…。オバちゃんだぞ。お袋ぐらいの。もうオバちゃんとか、若っかいのとか、全然、オッケー」

 なんだか、随分セコイっていうか、しょーもねぇヤツだよなとも思うが、正直、多かれ少なかれ、男ってそういうもんじゃあるまいか?(私は違うが・笑)
 大学の友達にもそういうやつがいたよ。
 やたらとセックス自慢するやつ。
 ルックスが菊地成孔に似たサックス野郎。サックスの腕前は相当なものだったが、とてもナイーブかつ、自(虐)意識が過剰なところがあった。
 吉原の高級ソープで何万使ったとか、後輩の女とヤッたとか、ヤッた女に行為直後にゲロ吐かれたとか、 風俗で50過ぎのおばさんをあてがわれたとか、別にこちらが聞きたくもない話をいちいち話すんだよ。

 でも、彼は単純に自慢をしたいわけじゃないんだ。半分は自慢かもしれないが、半分は「お前なぁ、イイカゲンにしろよ」と突っ込んで欲しいんだと思う。
 基本的には淋しがり屋なのだ。突っ込んでもらって、もっと自分にかまって欲しいと思っているのだ。
 かまってもらわないよりは、「お前なぁ、たいがいにしないと地獄に落ちるぞ」なんて言われるほうがマシだと思っている節があった。

 多分、内藤演ずる健も、そういうヤツなんだと思う。
 その友達、イヤなヤツだが親近感はあった。
 私としては、内藤剛志とオーバーラップするところがある。

 沖縄から奥田瑛二と奥さんを自分のマンションに呼び、介護に精を出す内藤。 これが原因で自分の奥さんには逃げられてしまう。

 客観的な文字にすると、なんだかヒドいヤツってイメージだが、内藤剛志の微妙な演技の匙加減で、単にヒドいヤツ・ ヒドくないヤツといった単純な二分法で割り切れない多面的な表情が生まれている。

 そりゃそうだ、50年も生きていれば、狡知に長けた部分もあるだろうし、逆に非常に子供っぽい無邪気な部分も顔を出すこともあるだろう。
 モロいところもあるし、したたかなところもある。

 人間、誰しもが、弱さ、ズルさ、ホンネ、残酷さなどの様々な面が混在している。
 これらの要素を悪人でもなく、かといって善人でもなく、ズルくも卑怯でもなく、かといってお人よし過ぎず、傍若無人というわけでもなく、 様々な表情を絶妙な温度で中年男の醸し出す内藤剛志の演技には脱帽だ。

 ここで論ずべきは、良い・悪いの問題ではなく、倫理とかモラルとかの問題でもない。


 ただひたすら、与えられた情況に対してどう振る舞うかという、生き方、身の振り方の問題なのだ。与えられた情況がディープなだけに、 それだけ生き様がより一層リアルに浮かび上がってくる。

 身近にある「死」を自覚することによって皮肉にも元気になってゆく自分自身。
 元気になった自分自身を持て余し、奥さんに逃げられまでもしながら、死にゆく親友の介護に精を出す内藤。

 奥田が死んだら死んだで、今度は山寺に数日間こもって座禅をしたりと、極端に行動が揺れ動く。
 なんだよ、親友が死んだらいきなり座禅かよ、と訝る声も出てきそうだが、逆に私は、この極端な行動こそが、彼の弱い内面を垣間見るような気がする。
 なんて脆くて、弱くて、揺れる"フツーの人間"なんだろう、と。

 ちなみに、先ほど登場した友人も、風の便りによると、現在はサックスからは足を洗い、熱心なクリスチャンとなったようだ。噂だが、牧師になるために上智の神学科で宗教の勉強もしているらしい。
 こんなところも、内藤の生き様と重なる。

 女房に出て行かれ、絆を取り戻した親友に死なれ、その後の内藤剛志はどのように生きてゆくのだろう?

 "ブルース"が一応は、別々な人生を歩んでいる男女3人の絆を描き出すキーワードとなってはいるが、この映画は音楽としてのブルース映画ではない。
 人生における、なんともいえない、沈うつで無常なブルーを描いた映画なのだ。

 『味噌汁は朝のブルース』という片岡義男の短編小説がある。
 男の浮気現場を目撃してしまった女。男の頬を思いっきり張り倒し、しばらく男からの連絡を断つ。
 時間とともに、少しだけホトボリがさめ、しばらくぶりに男と過ごす気だるい朝食時。


 ベーコン・レタスのトーストとコーヒーの朝食を、マッタリと白けた雰囲気で食しながら、ふと呟く「味噌汁は朝のブルース」というセリフ。
 この"ブルース"という言葉の意味と重さと、込められたマッタリしたニュアンスが、30過ぎてからようやく分かりはじめた私だが、まさに『リバイバル・ブルース』の"ブルース"から感じられるニュアンスはそれだと勝手に思っている。
 この映画に一貫している、無常感、沈鬱感、まったり感は、もうまさにブルース以外の何ものでもない。

 クロード・ガニオンが切り取りたかったことも、まさに"ブルース"としか言いようのない、この映画に終始べったりと張り付いた空気感だったのだだろう。

Revival Blues:リバイバル・ブルース
脚本・監督 クロード・ガニオン
出演 内藤剛志
   奥田瑛二
   桃井かおり
公式ホームページ
2005/04/30/05:40 | BBS | トラックバック (0)
高野雲 ,試写会放浪記
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