ヨーロッパの世紀末文化を荘厳且つ華麗、
そして官能美極まる挽歌として描き続けたこの永遠の巨匠について、今さら何を記せばよいのだろうか。
1906年、
中世から続く名門貴族ヴィスコンティ公爵家に生を享けた彼は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)や『揺れる大地』
(1948)といった初期のネオレアリズモ作を経て、『夏の嵐』(1954)から遺作となった『イノセント』(1976)
まで、スカラ座の舞台監督としての活躍も宣なるかなと納得させる、様式美際立つ豪奢な耽美作品を発表してゆく。背徳と官能、
禁忌と頽廃、静謐な狂気と深い闇の残酷の果てに見えるのは、腐臭を放つ美の中に人間の終末を見据える貴族の末裔の、
冷厳な眼差しである。
そしてこの10月、巨匠の全19作を上映する
「ヴィスコンティ映画祭」が、東京で行われるという。
四半世紀前、
憑かれたように様々な同監督作品を見漁った身には、単に昔、
耽溺していた至高の美を再び大スクリーンで鑑賞することが出来るという嬉しさだけでなく、あの頃の血の滾りに比して、
あらゆることに興味と熱を覚えなくなり、半分死んでいるような現在の自分に対する苦い思いもまた禁じ得ないのが、
正直なところである。が、胸に痛みを覚えるということは、まだ腐りきっていないという証左でもあろう。
そして覚醒の予兆を感じる今こそ、私は声を大にして現代の少女たちに言いたいのだ。「これが本物なのだ」と。そして
「本物を見て欲しい」と。
知る人ぞ知る、今、少女たちの間では
「耽美系」が花盛り。大手版元までが軒並み参入した出版界は、雑誌も単行本もコミックスも百花繚乱状態となっている。が、
「耽美」を標榜しつつもそのテイストは、25年前には隠花植物としての認知度しかなかった、
ベタな少年愛雑誌の域を1ミリも出るものではない。だからこそ、彼女たちには是非知って欲しいのだ。
こうした消費系の変形ハーレクインだけで大人の実力を侮るのは大間違いだということを。
筆者自身、高校時代における萩尾望都への傾倒後、
"ベタな少年愛雑誌"にきっちり嵌らせていただいたが、並行して森茉莉、澁澤龍彦、赤江瀑、中井英夫といった、
こちらは字義通りの耽美作家も読み耽り、そこから『ベニスに死す』を通して、
幸運にもヴィスコンティとの邂逅を果たし得た。率直に言って、
その溜息が出るような終焉美に満ちた映像を別にすると、
タージオは小生意気なガキにしか見えなかった私は本作のファンとはならなかったが、授業をサボって次に見た
『地獄に堕ちた勇者ども』では、全面降伏を余儀なくされた。まさに、血塗れの「洗礼」を受けたのである。
筋金入りのヴィスコンティ・
ファンや映画好きのお歴々、また今まで観る機会はなくとも既に彼の名前と作品の特性を耳にしている方々は、
誰も何も言わずとも自ら有楽町に足を運ぶであろうし、私なんぞが半端な知識と思い入れを披瀝するのは片腹痛いに違いない。
が、山の高さに圧倒されつつも、そして自己嫌悪を堪えつつ本文をしたためているのは、この偉大な芸術家の名を未だ知らず、
その完璧な美の世界を目にしたことのない若い世代――殊に理屈ではなく、その鋭敏な皮膚感覚で美を峻別する少女たちに、
この至高の世界の存在を知って欲しいからに他ならない。
と言うのも、現在でも「耽美小説」
から福永武彦やトーマス・マン、そして森茉莉らの系譜を継ぐ作家へ移行する少女は、
(その数は彼の時代とは比べものにならないにせよ)いるものの、そこから映像の世界へは、
残念ながらぷつりと糸が断ち切られているからだ。「耽美もどき」を撮る監督はいても、所詮、紛い物は紛い物に過ぎない。
だからこそ、巨匠の全作が一堂に会するこの千載一遇のチャンスに、
己の美意識を根底から覆される運命の邂逅を果たして欲しいのだ。
筆者自身がそうであったように、
もちろんすべての作品が好みに合うとは限らないだろう。だが、高慢系美少年趣味の極致『ベニスに死す』を始め、
ヴィスコンティの分身でもある老貴族を重厚に演じ切ったバート・ランカスターの存在感と色気が際立つ『山猫』、
異色の室内劇『家族の肖像』、ロミー・シュナイダーの輝く美貌に圧倒される『ルートヴィヒ』、
公私ともに巨匠の寵愛を恣にしたヘルムート・バーガーの出世作であり、
全編が血と狂気と倒錯と官能に彩られた鬼畜系耽美作の至高『地獄に堕ちた勇者ども』、そしてセックス・
シンボルでしかなかったラウラ・アントネッリを「永遠の女性」として無垢なヒロインに据えた『イノセント』等々、
本映画祭の豪華なラインナップを俯瞰すれば、琴線に触れる作品は必ずあるはずだ。
自分の眼で確かめ、
その舌で味わって欲しい。たとえば誇り高き老公爵が甥の目の前でその若く美しい婚約者の掌に落とす深い接吻が――
豊満な肢体を禁欲的な黒いレースで包んだ伯爵夫人の慎ましやかで危うい瞳が――
露悪的な凡百のベッドシーンなど足元にも及ばない、恍惚と苦悩を秘めた極上のエロティシズムを持ち得ることを。
完璧な審美眼を具えた大人による「本気のお遊び」が、如何に甘美で背徳的な蜜を湛えているかを。そして、
人の内なる神と悪魔を見据え続けた監督の、諦観と孤独を秘めた峻烈な眼差しを。
真の耽美、真の官能、
真の破滅を重厚且つ壮麗な叙事詩として謳い上げた、美意識の極致とも言うべき映像を目の当たりにした時、
彼女たちは肌が粟立つほどの陶酔感と共に、完膚なきまでの敗北感を知るに違いない。
「自身の好みに叶うものだけを愛し、
それ以外の全てのものを拒絶した」(ミケランジェロ・アントニオーニ評)人生を選び取ったヴィスコンティ。
自ら頽廃主義者を標榜した美の殉教者の覚悟と凄味を、その蠱惑的な毒の味を、この機会にたっぷりと堪能されたい。
なお、『山猫』(公式サイト)は、イタリアを代表する撮影監督ジュゼッペ・ ロトゥンノの監修による、「イタリア語・完全復元版」も上映される。日本公開40周年記念、ニーノ・ ロータ没後25年、バート・ランカスター没後10年を記念し、映画祭終了後の10月下旬から、 テアトルタイムズスクエアでのロードショーが決定している。
詳しくはクレスト・ インターナショナルHPまで
LUCHINO VISCONTI
ヴィスコンティ映画祭
主催 : 朝日新聞社、チネテーカ・ナツィオナーレ、イタリア文化会館後援 : イタリア大使館
協力 : シチリア州
上映協力 : ザジフィルムズ、ワーナー・ブラザーズ映画、ギャガ・コミュニケーションズ、 クレストインターナショナル、ケイブルホーグ、コムストック、紀伊國屋書店、シネフィル・イマジカ、 シネマテーク・フランセーズ、ハリウッド・クラシックス
運営協力 : ぴあ株式会社
宣伝協力 : クレストインターナショナル、メゾン
字幕協力 : アテネ・フランセ文化センター
主なキャスト / スタッフ
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