映画からパーカーに入門しようと思っている人は、『バード』、観んでいいです。
まずは、パーカーの音を聴きなさい。
「でも、ローションが無いと挿入出来ないんですけど」だって?
甘ったれたことを言いなさんな。
濡れる努力、濡れさせる努力をしなさい。
はっきり言って、『バード』という映画は、パーカー入門の潤滑油にはなりませんですぜ。
それでも、音楽と映画と、立体的にパーカーという人物を把握したいという人がいれば、少なくとも、以下の音源や書籍のすべてか、
最低3つぐらいは耳や目を通すこと。
●SAVOY(サヴォイ)というレーベルに録音した音源
コンプリート・ボックスは高いし、買ったとしても、どうせ全部は聴かないだろうから、マスターテイク集が良い。《バード・ゲッツ・ザ・ワーム》や《コ・コ》のスリルを味わおう。詳しくはコチラ:
●『Now's The Time (ナウズ・ザ・タイム)』(Verve)
彼の晩年のワンホーン作品。最後の2曲からまず聞きましょう。次いで2曲目に移動。スピード感、フレージング、タイミング、音色。
《コンファメーション》にパーカーの魅力が凝縮されていると言っても過言ではない。
詳しくはコチラ:
●『Bird And Diz (バード・アンド・ディズ)』(Verve)
映画の中にも出てくるディジー・ガレスピーというトランペッターと火の出るようなアドリヴ合戦が繰り広げられる。《リープ・フロッグ》だ。
“同じ曲がいっぱい”だとゲンナリするなかれ。“同じ曲”ではなく、“違う演奏”がいっぱいなのだ。いや、もっと言ってしまえば、
“違う出来事がいっぱい”。詳しくはコチラ:
●『Bird With Strings (バード・ウィズ・ストリングス)』(Verve)
ダサいバックのストリングスは無視。聴きなれたメロディをスルスルと絹のように滑らかに解きほぐしてゆくパーカーの崩しの妙に酔い痴れよう。
《ジャスト・フレンズ》や《ローラ》で気持ちよく。スムース過ぎて耳に引っかからないかもしれないが、ジャズを聴けば聴くほど、
このスムース過ぎる恐ろしさが分かってくるよん。詳しくはコチラ:
●『セレブレイティング・バード』というチャーリー・パーカーのドキュメント映像。
パーカーという人物を知りたければ、はっきり言って『バード』という映画はいらない。知るどころか誤った人物像が刷り込まれることだろう。
“知りたい”のならば、このドキュメント・フィルムだけで充分だ。余計な先入観や虚飾無しの、等身大のパーカーという人間を把握できる。
ホンモノのパーカーが演奏している貴重な映像も収録されているが、ホンモノのパーカーは演奏中、終始、目をパッチリと見開いている。
もの凄いフレーズを繰り出しても、瞬き一つしない。背筋もピシッと伸ばしている。いたってクールなのだ。それに対して映画はどうだ。
苦しそうに目をつぶり、猫背で一心不乱に吹いている。誰もが納得しそうな“それっぽい”
ジャズマンのステレオタイプを具現化したような演奏姿ではあるが、実際はさにあらず。本当に綿密な取材をしたのだろうか?
●片岡義男訳の『チャーリー・パーカーの伝説』。
様々な関係者の証言によってチャーリー・パーカーという多面体が浮き彫りになる。決してチャーリー・パーカーは『バード』
で描かれているような“天才だけれども悲惨でヘンな人”といった一言で括れる単純な人物ではない。
さ、聴きましたか?観ましたか?
ま、聴いてないし、観てないこととは思いますが、話を続けます。
『新選組!』って大河ドラマあるじゃないですか?
三谷飛行機とかという、有名らしい人が脚本を書いているNHKのやつです(ゴメン、オレ、本当に演劇や映像の世界は疎いのよ)。
このドラマ、私は、かつて京の町を震え上がらせた幕府の治安組織として、本当に実在した新選組という組織の物語としては見ていません。
“新選組”にまつわる、人名や出来事に名を借りた、別の物語だと解釈しています。
近藤勇や土方歳三といったどこかで聞いたような名前の人物がドラマには出てきますが、それは単なる偶然。漫画の『マカロニほうれん荘』
だって、同じような名前の人物が登場するじゃないですか。それと同様に、このドラマに出てくる姓名の一致は偶然なのです。“新選組”
ではなく、“新選組!”という名の“イケメン人斬り集団”の話だと思って見れば、こりゃまた別な面白さがある。
それと同様、『バード』という映画も、チャーリー・パーカーとかレッド・ロドニーとかといった、
聞き覚えのあるジャズマンの名前がいっぱい出てくるけれども、それもなにかの偶然。
たまたま似た名前の登場人物たちが繰り広げる架空のジャズのお話。そういう前提で観たほうが良いかもですね。
先述したとおり、映画のパーカーは、ホンモノのパーカーとは程遠い人物像なんですよ。
なるほど、パーカーという実在の人物とは違う描かれかをしているということは分かった。でも、物語として面白ければ、『新選組!』と同様、良いではないか。
それに、これは、ドキュメンタリーじゃないんだから、多少の脚色があってもいいではないか?
うん、正論です。
でも、多少どころの脚色じゃないです。ヘタすれば、墓の下のパーカーから名誉毀損で訴えられかねません。
オレって、そんなにバカで情けなくてどうしようもねぇサックスしか出来ないクソバカジャンキーなのかって?
じゃあ、こういう見方はどうだろう?『バード』は、パーカーに名を借りた、一人のジャズメンの生き様を描いた架空の話として観る。
そうすれば、違う・違わないであーだこーだ迷わないで観れるではないか。
当然、こういった意見も出てくることだろう。
なるほど。でも、つまらないです。無駄に長いです。
架空にこだわるならば、モデルはいるけれども、一応、建前的には架空のジャズマンの生き様を描いた『ラウンド・ミッドナイト』のほうが100万倍マシです。
『新選組!』は、今までに無い解釈で躍動感のある幕末を描こうという脚本家の意思が伝わってくるから、それなりに面白いけれども、『バード』
は“ヘンなスゴイ人の生き様を描こう”といった程度の意思しか感じられないので、つまらないです。
そんなもん、見せられるだけ、いい迷惑です。
観ても観なくても同じです。いや、中途半端に誤ったパーカー感が植えつけられる可能性があります。いや、
べつに植え込まれてもいいんだけどさ、墓の中のパーカーが可哀想だと思うんですよ。
映画を観た後に妙な先入観でパーカーの音楽を聴くぐらいなら、最初から何も知らずに『バード・イズ・フリー』というライブ盤の《レスター・リープス・イン》を聴いて「おぉ、すげぇ!」と感動するほうがマシ。
スピード感と飛翔感が抜群の《コンファメーション》を聴きながら、「ああ、これがヤク中のダメ人間が吹いたサックスか」と思われちゃ、墓の中のパーカーが泣くってもんだ。
俺たちはさ、突出した人が現れると、すぐに「やつは北朝鮮生まれのザンビア育ちで、アフガニスタンのフンザで修行をしたから、強いんだ。やっぱ、ハングリー根性が違うよな」みたいな“物語”で納得したがるよね。
ま、これは日本古来からの“妖怪代入システム”と同じで、気持ちの上手な消化の仕方なんだけどさ。
つまり、村の中で、ある家だけが金持ちになると、腑に落ちない心を「“カネダマ”という妖怪があの家には憑いているから仕方ないよね」ということで腑に落とすし、急に没落した家があれば、「座敷わらしが出てったんだよ、可哀想に」と、理由を求めて納得する。妖怪とは便利な“腑に落ちシステム”なんですよ。
それと同じように、パーカーの音の凄さを「心根の優しい可哀想な奇人変人だからこそ、スゴイ音楽が出来たんだ」という物語で納得されちゃうと、それは全然違うわけです。
物語好きさんには悪いけれどさ、パーカーの音楽に物語なんかないよ。
物語に一番遠い音楽を奏でたのがパーカーなんじゃないかな。
パーカーの音楽は、恋愛とか失恋とか、言葉に落としやすい要素は皆無。最初からそういう種類の音楽じゃないんだよ。
その瞬間、瞬間に高速に凝結し完璧に完成された結晶体に、物語が入り込む余地なんてないもん。
一瞬一瞬を蕩尽しつくす究極の表現形態を作り出してしまい、その頂点の快楽と地獄を同時に覗き込んでしまった天才こそがパーカーなわけで、そこんとこ理解しないで、奇行癖のところばっかり強調してもまったく意味ないわけですよ。
そりゃ、先ほど紹介したように、彼の周辺人物を取材するだけで分厚い本が出来てしまうほどなのだから、話題には事欠かない人物だったことは間違いない。
恋人を馬に乗って迎えに来たとか、夜中に曲が出来たからって、友人の家に押しかけて路上でサックスを吹いたり(この逸話はディジー本人によって否定されている)、電話ボックスで小便をしたりと。
でもね重要なのは、電話ボックスで小便をしたから素晴らしいサックスプレイヤーだったわけではないのよ。もしそうだとしたら、私、いくらでも電話ボックスで立小便しますわな。
そういった意味では、クリント・イーストウッドがいかにアッフォ!な視点でパーカーを描こうとしたのかが、よく分かる映画だよね。
なんか、「めぐまれない黒人にも愛を!彼は人間としては問題あったかもしれないけれども優れた芸術家だったんだから、我々白人ももっと彼の業績を称えようではないか、アーメン」な感じがして、とってもイヤなんだよね、俺にとっては。
音楽を理解せずして人物を語るなかれ。
だから、最初に言ったんだよ。映画を観る前に、きちんと音楽を聴いてね、って。
クリント・イーストウッド監督の『バード』。
映画でジャズの“おべんきょー”をしようと思っている人には、到底オススメできる映画とはいえません。
主なキャスト / スタッフ
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