バート・ランカスターである。あの『OK牧場の決斗』(1957)、『許されざる者』(1959/J・ヒューストン版)のバート・ランカスターである。そんな冒険活劇野郎をシチリアの誇り高き没落貴族に据えてしまった、ヴィスコンティの限りなく暴挙に近い英断が本作成功の全てであろう(きっぱり断言)。
鑿で切り出したような無骨な風貌は、精悍というより野卑スレスレ。だが、地中海の中心に位置、東西・南北双方向の交通の要衝に当たるという地理的条件が災いし、有史以来、受難の歴史をその地に刻み続けてきたシチリアで歴史の証人としての任をも果たしてきた公爵家の家長としての佇まい、という深い諦観を背負った華麗な禁欲性とのミスマッチによって、彼はここに肌がぞくりと粟立つエロティシズムを放つに至った。
そしてこの粋を極めた「オヤジの底力」の前では、機を見るに敏な若き野心家・タンクレディを演じたアラン・ドロンの美貌も、愛らしくも蓮っ葉な娘・アンジェリカを演じたクラウディア・カルディナーレの挑戦的な眼差しも、完全にその引き立て役となってしまったのである(おまけに時々、ドロンはすっげえ頭悪そうな顔になるし。あ、失言。悪そうじゃなくて悪いのか)。
舞台はイタリア近代史の幕開けとなった1860年のシチリア。数十代にも亙って彼の地を統べてきたサリーナ公爵家(タイトルの"山猫"は、この旧家の紋章である)に、イタリア統一という大変革の余波が否応なしに押し寄せる様を、ヴィスコンティは壮麗且つ重厚な一大叙事詩として描いてゆく。旧世代の象徴そのものである当代の公爵は、その一方で時代の変容を十全に理解する冷静な現実家であるが、自らは旧き善き時代に殉じる道を選び、才気溢れる甥に新たな道を示すことで、新旧の世代交代を果たす。没落、斜陽という翳りを基とし、燃え尽きる寸前の蝋燭の輝きを息を呑むほど鮮やかに、そして残酷に捉える華麗な映像は、この巨匠の中・後期作品に共通する美学と言えよう。本作は第16回カンヌ映画祭(1963年)で、ヒッチコックの『鳥』や、フェリーニ『フェリーニの81/2』を抑えてパルム・ドールを受賞したが、この完成度と迫力を鑑みれば至極当然のことであり、快挙と述べるほどのことではないに違いない。
ヴィスコンティの分身でもあるサリーナは、寛容にして傲慢、闊達だが尊大、自己抑制を心得てはいるが自身の欲望には忠実、また瞬間湯沸器並の激情家だが、その実、容易には腹の底を見せない思索の人で、人の気を逸らさない社交家でありながら狷介な一面を併せ持つ。そして何より、並優れて聡明であるがゆえの、宿命的な孤独と悲哀を常にその身に纏っている。「見えている」ということはツライのだ。
新政府の使者・シュヴァレとの、最高にカッコいいやりとりを見てほしい。新たな世界の到来を告げるシュヴァレにサリーナは言う。世界は変わるだろう、だが私は変わらないのだ、と。――変わらないのは「私」ではない。変化など、誰も求めていないことは、この厳然たる歴史が証明している。だから彼は、何ものにも期待しないのだ。舞踏会の帰路、あえて馬車を断り、礼装のまま明け始めた街をゆっくりと歩いてゆくサリーナの背中――というラストと共に、胸に残る印象的な場面である。
もちろん、本作の見どころはこのオヤジだけじゃない。乾いた土と同色の建造物が何とも印象的なシチリアの埃っぽい風景を始め、凝りに凝った衣裳や細かな調度品一つひとつはもちろんのこと、役者の持つ鞄の中身まで吟味したという、ヴィスコンティの真骨頂でもある妥協なき美意識、そして『山猫』と言えばやっぱこれだろの、本編の三分の一をも占める大舞踏会のシーン。また、他の耽美系作品には見られない、諸所に鏤めたユーモラスな味も悪くない。
が、個人的には「公爵様」の日常生活を何より興味深く拝見した。果たしてこの絵面がほんっとに必要不可欠だったのかコラの、嬉し恥かし入浴シーンのでっかい海綿に始まり、髭を剃る時の剃刀と鏡、無造作に置かれた雑貨の数々、多分に戯画化された従僕の鑑・ミミ(侏儒に近いほどの矮?がチャーミング)、身嗜みを整える時のカラーの付け方等々、どれ一つとっても、モノホンの貴族であるヴィスコンティでなければ、限りなく怪しいテイストの紛い物になったに違いない。
20年以上も前、岩波ホールで「オリジナル完全版」を観た時は、とてもこうした細部にまで興味が及ばなかったことを鑑みると、自身が甲羅を経ての旧友との「再会」も悪くない、としみじみ思う。次に会う時はどんな発見があるのだろうか、愉しみでならない。
というわけで、あっという間の187分間。通常、こんな「大作」は、観る側にある種の覚悟と勇気を強いるものだが、本作は一級の芸術品である前に、殊に淑女の皆様にとっては「眼福、眼福」の超エンターテインメントなのだから、とーっても敷居は低い。安心して観てほしい。
舞踏会で甥の婚約者にダンスの相手を懇望された公爵が、躊躇いの末に応じるシーン――バート・ランカスターがC.カルディナーレのほっそりした手をとり、その掌に静かな――が、思わず息を呑むほど深い接吻を落とす――という、老いを自覚した男の哀しみが、傲慢なほど生命の輝きに充ちた若い女性に向けられて生まれた、上品なエロティシズムに充ちたシーンを見るだけでも、奥様、損はありませんて。
そして忠告はただ一つ。何と言っても3時間強。事前のトイレをお忘れなく。
主なキャスト / スタッフ
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