あのトム・クルーズが冷徹非道な殺し屋に扮したことで話題を呼んでいる本作は、
運悪く殺し屋を乗せてしまったことで、彼の犯行に巻き込まれていくタクシードライバーが過ごす最悪の一夜を描いた作品である。
ここで注意して欲しいのは、この物語の真の主人公はジェイミー・フォックス扮するマックスである、ということだ。「最も危険なトム・
クルーズ」「あなたの知ってるトム・クルーズは、死んだ。」――そんな惹句が誌面を踊っているので勘違いされがちだが、物語上のトム・
クルーズの位置付けはあくまでも脇役に過ぎないのだ。この為、トム・クルーズが主人公と想像していた人にとっては、タクシー・
ドライバーとして働くマックスの姿やLAの街並みばかりを重点的に描き出される幕開けに、軽い肩すかしを食わされ、
軽く見流してしまう人もいるかもしれない。しかし、この冒頭シーンは、単なる「掴み」以上に重要な意義があるのだ。
ジャームッシュの『ナイト・オン・プラネット』('91)を髣髴させるような、
ドライバーと乗客の他愛ないエピソードを中心に構成されているこの冒頭シーンには、さり気ないタッチで濃密な情報が詰め込まれている。
わけてもタクシードライバーをしながら安穏と過ごす、マックスの日常を丁寧に掬い取っている、ということは見逃すわけにはいかない。
なぜなら、「巻き込まれ型」の典型のような本作は、殺し屋という「非日常の存在」によって日常が脅かされる様を物語の梃子にしており、
日常性こそが作品の基底をなす重要な要素となっているからである。マックスの日常的基盤を、冒頭10分程度の時間に凝縮、
あっさりとしかし完璧に描ききってみせたマイケル・マンの手腕は鮮やかとしか言う他あるまい。
マックスは、普通の客としてヴィンセントを乗せてしまうのだが、
当初は不動産業者の振りをしていたヴィンセントが殺し屋であることが発覚し、事態は一変する。日常の延長に過ぎなかったタクシー車内は、
力による支配と対立が横行する閉鎖空間と化す。そこでは支配者と被支配者の関係が生み出され、
支配者は支配者であるがゆえに被支配者に対して尊大に振る舞う。マックスは、この閉鎖空間の支配者であるヴィンセントに抗おうとするが、
それが物語の緊張感を加速度的に高める要因となっている点など実によく練られている。
このマックスとヴィンセントの対立構図は、様々な対立を内包しているが、特に顕著なのは「生活」に対する現実と理想の対立だろう。
マックスは、タクシードライバーをしながらも、将来は超高級リムジンによるサービス会社の設立を夢見ている。しかし、完璧さを求める余り、
「繋ぎの仕事」に過ぎないはずのタクシードライバーを、十二年もしているのが現実だ。勤続十二年、現実と生活に追われていることを言い訳に、
夢を語るだけでその実現のために動こうとしなかった――ある人には「負け犬人生」などと言われるかもしれないが、
さして珍しくもない人生とも言える。
一方のヴィンセントは、殺し屋というリスキーな世界の人間らしく、生き残るために最善を尽くしている様子が、その言葉の端々から窺える。
トム・クルーズは、この他人の死を屁とも思わない冷徹で冷酷な殺し屋を見事に演じ切っているが、マックスのように自分に嘘をついたり、
誤魔化したり、甘えたりすることが許されない過酷な世界を生き延びてきたがゆえに、
その言葉の一つ一つがマックスの意識に突き刺さらずにはおかないのだ。
マックスは、ヴィンセントに対して反感を抱きながらも、一連の会話を通じて否が応にも自身の内面と向き合うことを強要されることになるが、
それによってマックスは変わっていくこととなる。この危機的状況から生き延びるために。つまり、
本作はスリリングなサスペンス性を前面に押し出した作品でありながら、冴えない現実という桎梏に繋がれた魂を解き放つ、
一種のイニシエーション・ムービーとしての一面を併せ持っているのである。
サスペンスという枠組みにイニシエーションの物語を包摂するという、割と魅力的構造を有した本作なのだが、
実はヴィンセントという殺し屋に説得力は余りない。これは演じているトム・クルーズのせいではなく、
シナリオそのものの欠陥による部分が大きい。実際、トム・クルーズが見せる表情、物腰、眼差し、銃さばきなど、
これまでとは一線を画したパフォーマンスを披露しており、時にゾクゾクするほど格好がいい。
では何が問題かと言えば、本作の殺し屋ヴィンセントが、プロと呼ぶには余りにも杜撰な仕事ぶりに終始しているからに他ならない。
全仕事の重要資料がつまったアタッシュケースをタクシー内に放置することから始まり、仕事と無関係な人間をやたらと殺しまくるなど、
全体的に行動が派手で慎重さというものが全く感じられないのだ。本作の前提は「プロの殺し屋が立てた綿密な犯行計画が、
想定外の事態によって破綻していく」ことにあるはずなのだが、どう見ても計画なしの行き当たりばったりの行動にしか見えないというのは、
作品として致命的と言わざるを得ないだろう。
また、殺し屋から人生の心構えを学ぶのも悪くないと思うが、ゴルゴ13のような完璧な仕事をこなす殺し屋像でないと、
その言葉に重みが感じられないのは至極当然と言えよう。結局、ヴィンセントが吐く台詞の全ては、
どこか迫力に欠けるものに留まってしまっている。この為、イニシエーション・ムービーを企図した作品でありながらも、イニシエーション・
ムービーとしては尻すぼみな作品になってしまっているのである。よって、細部に織り込まれたイニシエーション的な要素は無視して、トム・
クルーズの新しい魅力を堪能する「アイドル映画」として楽しんだ方が、遥かに有意義であるに違いない。
(2004.10.25)
主なキャスト / スタッフ
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