クリエイティブな仕事をする人で、煙草を吸う人ならまず殆どの人が同意するに違いないことがあるとすれば、
それは煙草の一服が大いなるインスピレーションを連れてきてくれることがままある、という事実ではないだろうか。
例えそれが幾つかの脳細胞と引き替えだったとしても、まさに何かが「閃く」あの瞬間の為に煙草を止められないと嘯く人もいるかもしれない。
もう一つ、これは職業関係なく殆ど全ての愛煙家が同意するに違いないと断言できるものがある。それこそが
「煙草とコーヒーが最高無比の組み合わせである」という絶対不変の真理である。煙草を吸わない人にしてみれば「絶対不変の真理」
とはまた随分と大仰と思われる向きもあるかもしれない。が、周囲に煙草吸いがいるならば気軽に尋ねてみるといい、
コーヒーが嫌いとか飲めないというのでもない限り、10中9人はそのことを否定しないはずだ。コーヒーと煙草という、
どちらも香りを楽しむもの同士が出会うことで生まれるハーモニーは、
時に時間を溶かし時に軋んだ心を癒してくれる最高の一時をもたらしてくれるのである。それは片方だけでは絶対に手に入らない、
最良の安息の一つであった、と煙草を吸わなくなって久しい筆者は今も信じている。
本作はそんなコーヒーと煙草という黄金のコンビネーションをモティーフにした、11本のショートフィルムを集めたオムニバス映画である。
思えばジャームッシュの「まともな」新作は、「ゴーストドッグ」('99)以来実に五年ぶりになる。この「コーヒー&シガレッツ」
というモティーフ自体は、随分昔からこっそりと続けられてきたものらしく、各フィルムの撮影時期もまちまちなのだという。
日本では殆ど紹介されることがなかったように思うが、実は全く前触れがなかったわけではないのだ。2004年に、
7人の監督が10分間のショートフィルムを撮った「10ミニッツ・オールダー」(初公開は'02)というコンピレーション企画に、
ジャームッシュも参加していた。その時の作品は、クロエ・セヴィニー演じる女優に与えられた10分間の休憩時間の様子を描き、女優の、
延いては人間の孤独をくっきりと浮き彫りにして見せていた。その中でクロエ・セヴィニーは静かに煙草を吸いながら、
付き人の差し出すコーヒーを受け取っていたのではなかったか。役者が自身の役で出演するというスタイルで、
コーヒーと煙草が重要な小道具となり、日常の一瞬の中に隠された生の真理をさりげなく切り取ってみせる――
本作のショートフィルム群の幾つかに見られる特徴は、恐らくこの時には既に完成していたのだろう。
さて、本作に収められた11本のフィルムはそれぞれ好き好きがあるだろうし、例えば筆者ならトム・ウェイツがいかにも「トム・ウェイツ」
していて最高だとか、イギー・ポップはなんて美味そうに煙草を吸うんだとか、一人二役を見事に演じ分けているケイト・
ブランシェットが相変わらず素晴らしいとか、スティーブ・クーガンの陥るばつの悪さが堪らなく痛いとか、いくらでも言えるわけだが、
そうしたことをここで言い募っても(楽しいけれど)詮ないことだろう。寧ろ注目したいのは、
どのフィルムにも白黒の升目模様のテーブルの上にコーヒーが載せられている点である。
しばしば繰り返されるテーブルの真上からのショットを何度も見ていると、そのテーブルの形状が必ずしも同じではないのに、
同じテーブルであるかのような妙な感覚に襲われることがあった。これは、このテーブルを中心にした「場」の遍在性を示唆しているのだろう。
丁度、ジャームッシュの傑作オムニバス映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」('91)が、
タクシーという舞台空間をリレーさせることによって人間の営為の普遍的な面を照射してみせたように、
本作ではこのテーブルという装置を使って同様のことを行っていると考えられるのである。同様の?いや、間違いなくそれ以上だろう。「ナイト・
オン・ザ・プラネット」が、あくまでも「夜の生態系」を描いていたのに対して、本作にはもはやそのような制約は見当たらない。
描き出されるのは人間の営む朝であり、昼であり、夜であり――11本のフィルムによって人間の営為全体が包摂されているのだ。
確かに本作に登場する人々には「セレブ」と呼ばれる人々が多数いて、市井の人間達の暮らし向きとは異なる世界が描かれているように見える。
しかし、本作では登場人物の持つ「セレブ」という面は一種のスパイスでしかない。「セレブ」という記号が孕む滑稽さを暴いてみせながらも、
本作が徹頭徹尾凝視し続けているのは、その虚像の向こうにある生身の人間であり、人と人が触れ合うことで生じる様々な感情の振幅そのものだ。
本作に収められた11本のフィルムには事件らしい事件は何一つとして起きないが、しかし本作を観終わった時には、
そのどこにでもありそうな風景の中に、人間というこの不可解な存在に関する真理が、
全く思いもよらない形で封じ込められていたことに気がつくことだろう。間違いなく、
映像作家ジャームッシュの集大成にして頂点を成す作品である。
(2005.4.4)
主なキャスト / スタッフ
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