ネタバレ厳禁!みたいな雰囲気のこの映画ですが、まあ何と言いますか、こーゆー映画にデ・
ニーロを出している時点でネタバレですから何て言いたくなってしまいますよね。もはや「ミッドナイト・ラン」ですら、見直してみると、
いつか突然キレて護送している犯人をメッタ刺ししてしまうんじゃないかとあり得ない事を想像してハラハラしてしまいますから。
お客さんはみんな、「さぁ、デ・ニーロ早く切れなさい!」と言わんばかりに臨戦態勢でした。
そんな存在自体がネタバレのデ・ニーロとすでにこの歳にして(いくつだ?)名優の名を欲しいままにしているダコタ・
ファニングの共演というのも見所の一つでありまして、しかし所詮は彼女もただのコワッパ。
この手の映画はカワイーだけで何とかなるものでもないと思います。何と言いますかいわゆる「ザ・演技」
みたいなものが要求されると思うのですが、デ・ニーロを食ってるなんて言う奴はただのロリコン野郎でありまして、「食うわけがないだろう!」
と背後から怒鳴りつけたくなります。
はっきり言いますが、ダコタ・ファニングは怖い顔ができない(別にエバって言うことじゃないですね)。
特に友達になりそうだった女の子が、部屋に入って来て、ダコタが振り返って顔の潰れた人形を見せるとこ。
あそこは内容的にダコタが恐ろしい顔をしていなければならないのではないでしょうか?なのに普通です。「アイデンティティー」
に出ていた子役の顔を見て出直して来いと言いたくなりますね。だってダコタもあの少年と似たような設定なのでしょう。
ラストで頭二つ描いてるし。「アイデンティティー」を観たときは、子役にあんな顔をさせる監督の神経を疑ったですよ。
あの映画はあの子役の顔だけで勝負あったって感じでした。ダコタがあんな顔をすれば映画史上最も恐ろしい「振り向き場面」
が出来たのではないでしょうか。どんなにオチがつまらなくてもそれがあるだけで勝ちだったと思うのですが。
あとデ・ニーロっていつから二重人格だったんだろう?オマワリさんをやっちゃうとことか、デ・
ニーロとダコタの別人格同士の共犯のようにも見えたのですが、考えすぎでしょうか?だって落書きしているダコタにオマワリさんが
「なに書いてるの?」と聞くと、「あなたの死ぬところ」なんて言ってますし。冒頭に奥さんが「治療はできない」
と言ってるのはどっちのことなんだろう?娘と旦那が二重人格なんて辛すぎませんか。田舎に引っ越してきたとき、
森を見つめるダコタは何をみていたのだろう?それにただただ思わせぶりなだけの周囲の登場人物たち・・・。
気になることだけはたくさんあるのですが、エリザベス・シューのもったいなさ過ぎる使われ方にしては、
異様に強調されている胸元が一番気になりました。
(2005.4.25)
主なキャスト / スタッフ
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