看守から刑事に出世したばかりの橘(筒井道隆)は、ブルースハーブを愛する快活な青年。 留置所の常連にバンド演奏を聴かせ、後輩の中野(忍成修吾)や同僚の女刑事(高橋理奈)と無駄口を叩きあいながら、 毎日を楽しく過ごしている。ある日、窃盗事件の被害者でありながら、被害に遭ったことを否定するデザイナーの恵美子(清水美那) に一目惚れした彼は猛烈なアタックを開始。ところが彼女にはある秘密が隠されていた……。
難事件に立ち向かう刑事を主人公にしたサスペンス映画。……と思いきや、これが「言葉によるコミュニケーションの可能性」 を主題とした、ストレートな人間ドラマであった。
通常の邦画に比べて非常に台詞の量が多い。中でも主人公・橘を演じる筒井道隆は、とめどなく喋り散らしている。 それが作者の思想を代弁するためのものでなく、キャラクター自身から発せられた生の言葉になりえている。ただし、 同僚の女刑事にセクハラまがいの言動を繰り返し、好意を寄せた女性に対してストーカーまがいのアタックを繰り返す主人公の姿を、 時代錯誤的と捉えるか、面白いと捉えるかは人それぞれだろう。一つだけ言えるのは、筒井道隆が完全に自分のものにした「橘」 というキャラクターは、手の打ちようがないほど「そういうヤツ」であり、よけいな倫理観の押し付けは無用ということだ。
おしゃべりな橘とは対照的に、寡黙で内に閉じこもりがちな中野は、コーヒーの淹れ方にひどく拘る趣味人でありながら、 見知らぬ女性の肉体を暗いまなざしで盗み見たり、後をつけるなどして、どこか病んだ気配を漂わせている。それは予想通りというべきか、作品の世界観においては否定的な態度として描かれる。 諸々の事件が終わったあとに行き着くのが、「言葉ではなかなか伝わらないから、できるだけ言葉にしようと思う」という橘の台詞だ。 それがどんなにはた迷惑なものであっても、他者や社会に生身のアプローチを試みることが大切なのだ。
そのことの是非はひとまず置いておくとして、筆者個人としては、役者の動かし方に面白さを感じた映画だった。 遠藤憲一扮する恋敵に居酒屋を追い出された橘が、店の中に戻ろうとして彼の部下に引きとめられる。 彼は帰るふりをして何度も何度も店に戻ってくる。不毛で無駄な時間が過ぎているようにも映るが、その繰り返しによって、 彼の憤懣やるかたない心情がじわじわと漂ってくる。橘ならきっとこんな風にしつこく戻ってくるだろうな、と説得させられてしまう。
饒舌な台詞の奔流によってキャラクター造形を施すように見せながらも、その実、役者のアクションに多くを語らせる演出は、 テンポの良さと合理性ばかりが求められる昨今の邦画ではあまり見られないのではないか(こうした演出の達人は、言うまでもなく神代辰巳だ)。 「子どもができたらやっぱワゴンでしょう」などと、にやけ顔で結婚報告をする同僚(不破万作)の話を聞きながら、橘は突然逆立ちをする。 そこに意味はない。台詞との繋がりもない。だが、それでいいのだ。映画なんだから。
(2006.4.24)
主なキャスト / スタッフ
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