第七回『キミたち、こんなの知ってるかい?』
またしても久しぶりの更新となる。今回は、筆者の個人的な思い出を語ることを許していただきたい(以下、今回にかぎり、「僕」という一人称を用いる)。
「映画評論家」という人種を、僕が初めて意識したのは、TVの洋画劇場であった。
僕が子どもの頃(1980年代半ばから90年代頭まで)は、まだTVで毎日のように映画を放映する洋画劇場枠が設けられており、それぞれ個性的な解説者陣が映画解説を担っていた。
淀川長治の「日曜洋画劇場」、荻昌弘の「月曜ロードショー」(のち火曜日に移行して「ザ・ロードショー」となった)、河野基比古(のち木村奈保子)の「木曜洋画劇場」、水野晴郎の「金曜ロードショー」、高島忠夫の「ゴールデン洋画劇場」……監督や俳優にまつわる蘊蓄、映画製作の裏話など、これらの解説によって、僕らは映画の面白さを発見し、知らず知らずのうちに映画の基礎知識を体得していた。封切り劇場や名画座の栄光を知る年長世代からは、TVで映画を観るなんて、と眉をしかめられるかもしれないが、僕らにとって、TVの洋画劇場はもうひとつの名画座だったのである(こうしたTVの洋画劇場と昔ながらの名画座を両方体験した世代の子どもに、たとえば町山智浩氏がいる)。
僕の父は、オーディオマニアの新しもの好きだったので、物心ついたときには、家にベータマックスのビデオデッキがあった。TVによって映画の面白さにめざめた僕は、猛烈な勢いで洋画劇場を録画しはじめた。あまりに猛烈であったために(当時はテープも安くはなかったし、デッキの消耗も激しかった)、やがて父から「録画する番組は、週に2本だけにするように」と厳命を受けてしまった。
そこで活躍したのがTV情報誌である。当時、わが家では、小学館から発行されていた「テレパル」というTV情報誌を購読していた。
この「テレパル」は、まさにビデオ時代に特化した誌面づくりが特徴で、映画紹介欄の下に放映時間とCMを抜いた場合の本編時間が列記され、録画に適した長さのテープまで指定されていた。読み物としても、荒俣宏の「TV博物誌」、夏目房之介の「TV大語解」、ホイチョイ・プロダクションの「酒とビデオの日々」など、なかなか質の高い連載コラムが揃っていた(ライターのモルモット吉田氏も、TVで映画を観ていた子どもにとって、「テレパル」がいかにすぐれた雑誌であったか、ブログでたびたび触れている)。
毎週録画する2本を選ぶために、僕は「テレパル」の映画欄を目を皿のようにして眺め、赤ペンでチェックを入れた。
そこで出会ったのが、増淵健という批評家だった。
「テレパル」の映画欄は複数の書き手が執筆していたが、増淵氏の映画紹介は、当時子どもだった僕にも、ずば抜けて面白かった。もちろん、TV情報誌であるから、特別に深い「読み」が展開されているわけではない。文字どおり、これからTVで映画を観る視聴者に、有益な「情報」を与えることが最優先だ。しかし、だからこそ、どんな「情報」をどのように伝えるのか、という書き手の力量が試される場でもある。すなわち、「情報」それじたいが「批評」になりえるということだ。
中学にあがる頃、よりディープな映画ファンとなった僕は、映画館に通いつめるだけでなく、映画にまつわる本を読みあさるようになった。
近所の書店では飽き足らず、古本屋にも足を運んだ。その過程で、僕は、かつて「テレパル」で愛読した増淵健という批評家が、想像どおりの「凄玉」であることを知った。数々の著書、そして伝説の映画雑誌「映画宝庫」におけるB級映画、西部劇、戦争映画の紹介者として――。
このたび、SCREEN新書から刊行された『キミたち、こんなの知ってるかい?』は、「月刊スクリーン」に掲載された表題連載および「なるほど・ザ・ムービー」のコラムを再構成したものである。
上巻では、「人物」(架空人物も含む)と「歴史・地理」の二章に分けて、映画の内容にまつわる蘊蓄や雑学が紹介される。
蘊蓄や雑学といったものは、ともすれば厭味に映ってしまうものだ。いま巷に氾濫している映画批評(映画紹介)を読むと、書き手の、こんなこともあんなことも知っている、という自慢話ばかりが幅を利かせた文章がやたらと多いように感じる。
増淵氏の蘊蓄の心地よさは、その書き方の「バランス」にある。
「スクリーン」は、グラビアを主体としたミーハー寄りの映画雑誌だから、増淵氏は、映画入門者である読者が偏った視点で映画を観ることのないよう、「バランス」を働かせながら蘊蓄を披露するのだ。
たとえば、『レイジング・ブル』の主人公であるジェイク・ラモッタの人生を短く紹介し、映画以上に「波瀾万丈である」と書く一方、べつの回では、そのラモッタの生涯のライバルであったシュガー・レイ・ロビンソンについて紹介し、<『レイジング・ブル』で、ラモッタの引き立て役だったロビンソンも、実人生では、常にドラマの主役を務めた>とまとめる。
この「バランス」感覚は、とりもなおさず職業人(プロフェッショナル)としての「バランス」感覚である。
初心者向けの蘊蓄コラムでも、TV情報誌の映画紹介でも、増淵健はつねに映画批評家という職業人でありつづけた。
(2010.6.20)
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