連載第16回 放送第11話『宇宙から来た暴れん坊』
ある日、空から落ちてきた七色に光る石。その石は人の願いどおりケーキやおもちゃ、なんにでも姿を変える不思議な力を持っていた。聞きつけた悪い男が石を奪い、怪獣ギャンゴを出現させてしまったことから大騒ぎに……。
第11話はロッド・サーリングやフレドリック・ブラウンの短編を読むように、ポテトチップスかなんか食べながら気軽に楽しみたいユーモア・ファンタジーです。怪獣が出るといっても、世をすねた男の願望で石が姿を変えただけなので、実際のところはウルトラマンや科学特捜隊が登場しなくても成立するストーリーです。
今回は気軽に……と思うのは、変化球な異色編であることもありますが、イデ隊員の出番が極端に少なく、場面によっては背中しか見せないからです。いわゆるボディダブル(俳優の代理)じゃなかろうか、と匂わせるカットがあちこちに。
昔のテレビドラマ、例えば石立鉄男主演シリーズを再見すると、たまに石立がほとんど登場せず、姿を現しても顔は隠す、明らかに不自然な回があります。父親役の大坂志郎なんて、「お父さんは急にしばらく出張だって」「ふーん」と娘たちが交わすセリフがあったら、後は数回分は出てこなかったりして。
泣く子とスケジュールには勝てぬ。全26回、全52回という長丁場の編成が当たり前だった頃のドラマの、物理的にやむを得ない側面です。イデ隊員も今回はそれっぽい。いいドラマほど積極的にソフト・パッケージにする時代に入ったところで、ドラマ製作の常識は根本から変わりました。1回こっきりのオンエアが当たり前だった時代らしさとして、細かい詮索はせずに置きたいところです。ここまで書いておいてナンですけど。
ただ今回の、舞台裏の事情を思わせるイデ隊員の不在感、それに青島幸男がゲスト出演している特色などを鑑みると、ああ、『ウルトラマン』もテレビドラマなのだよな、と改めて思いが至るのです。こうして毎回“大人書き”していると、古典的なSFシリーズという価値にどうしても意識が傾きがちで、これもまた当時の番組のひとつ、という当たり前の事実を忘れそうになる。
当時の青島幸男はタレント、放送作家、作詞家として大車輪の活躍を続けていたマスコミの寵児。ちょうど同じTBS系列のドラマ『泣いてたまるか』の主演がスタートしていた時期です。データによれば放送は後ですが、同ドラマで金城哲夫や円谷一とも組んでいますから、TBSの周辺で出演に至る接点があったのではないかな。
おそらくは「青島さん、出てみませんか」「うん」的な軽いノリだったのだろうと想像します。抜群の知名度を誇るアオシマが子ども向け怪獣番組にひょこっとチョイ役で出る。そんなフットワークの軽い遊びをお互いに楽しんでいた節が見受けられます。念のため青島の回顧エッセイ「わかっちゃいるけど…シャボン玉の頃」(文藝春秋刊)をざっとめくってみましたが、ウルトラマンのウの字もありませんでした。それでもこのチョイ役(不思議な石をかわいい花嫁さんに変える記者)出演で円谷プロと縁ができたのか、後の『恐怖劇場アンバランス』で青島は、ストーリーテラー役としてレギュラー出演することになります。
番組という点を引っ張って考えてみると、〈初代ウルトラマン〉の特長である、後続の〈兄弟〉たちのシリーズとは違う独特の陽性なムード、風通しの良い雰囲気の理由が見えてきます。『ウルトラマン』の1本目には、バラエティ・ショーの要素も含まれているということです。
もちろん、基本は『ウルトラQ』に続く〈空想特撮シリーズ〉。未知の怪奇現象や怪獣と戦う科学特捜隊とウルトラマンの活躍を描くのがメインで、怪獣とウルトラマンが戦う特撮スペクタクルが毎回の最大の見せ場になるのは必須のルーティンです。
で、そういう骨組みの部分が強固ならば、ストーリー自体には『Q』同様に幅があってもよい、そっちのほうが面白い、というコンセンサスが『ウルトラマン』には当初からあった気がします。宇宙人侵略SFのパロディ風味がある第2話、イギリスの古典推理小説のような展開の第5話、密輸ギャングをホシノ少年たちが少年探偵団よろしく追う第6話、マッド・サイエンティストの妄執がメインの第10話など、すでにストーリーは多彩。これ以降どんどんその幅は広がるはずです。
今回は、第6話以来の登場のホシノ少年が友達と遊んでいると不思議な石が落ちてくる、その一連が児童劇として独立しているのが楽しい。工場の傍の、ドラム缶なんかが転がっている更地はまさに昭和30~40年代らしい遊び場。「ドラえもん」の空き地同様の少年少女の社交場。年齢的には僕もギリギリで懐かしい、と感じるほうです。
ただ、昔はああいう空き地で子どもたちはコミュニケーションを自然と学んだものなのに、全てが整備された今は……という情緒的な感慨を漏らすつもりはありません。教育専門の方さえ間違えているのを目にするので書いておくのですが、ああいう空き地は、あくまで高度経済成長下の産物。やがて宅地になるか施設が建築される予定地。それ以前にはなく、それ以降は消える運命にあるエアポケット空間です。そこにうまいことガキんちょたちが入り込み、大人もまた(今より子どもの数が多いし、なにより忙しいから)いちいち目くじらを立てず黙認していた。それが昭和の空き地文化の実相です。
やや脱線しました。それだけ第11話の児童劇パートは魅力的なんです。他の子よりちょっと大人びている美少女ミエコちゃんが、「(石の姿を変えるとしたら)私は、ピ・ア・ノ」とはにかむあたりなんか、胸がキュンとなるもんね。この回、小・中学生の時に見ておきたかったなあ。
脱線しましたが、これだけストーリーやタッチがいつもと離れようと、怪獣とウルトラマンさえ出てくれば良し、という作りにバラエティを感じるということです。今は番組のジャンルが細分化され、バラエティ番組はこういうもの、とイメージが固まっていますけど、本来は楽しい要素、面白い要素ならなんでも取り入れていたプログラムをバラエティと呼んだわけですから。
つまり僕には、ウルトラマンは要するにショーの司会=MC(master of ceremony)であり、毎回の怪獣はゲストとしての登場なんだ、と規定するとすごく腑に落ちるところがあるのです。例えればかつての「エド・サリバン・ショー」や、今なら「ミュージックステーション」のタモリみたいなもの。視聴者の興味はあくまで毎回どんなミュージシャンが出てくるかな? なのですが、それでも毎週おなじみの司会が出てこないと、ひどく落ち着かないことになります。怪獣番組も同様。〈番組の顔〉というものはエド・サリバンやタモリ、それにウルトラマンのように、無愛想な表情でなにを考えているか分からないぐらいのほうが長持ちしてよいのかもしれません。
しかし、せっかく石を盗んで怪獣を出現させたのに人にイタズラをするぐらいしか野望を思いつけない男の孤独さには、『太陽を盗んだ男』を先駆けたメランコリックな味があります。ギャンゴがセコくて妙にかわいい怪獣なので、男が決して根っからの悪党ではないことが分かるし。
トラブルのもととなった石はラスト、「これはやはりウルトラマンに頼んで宇宙に帰してもらったほうがいい」と発言したハヤタ隊員が、持参して科特隊の司令室を後にします。……誰も、何にも言わなくていいのか!
全体にテンポよく進む快調な話なのでついスルーしそうになりますが、自分とウルトラマンには関係がある、とほぼ公然と認めているハヤタ隊員なのです。第1話のラストですでに、「(ウルトラマンは)どこにもいかないさ。彼は自分の宇宙船が爆発して、自分の星には帰れなくなったんだから」と発言していますから、ハヤタ隊員だけウルトラマンと何らかの形で意思疎通できるらしいことは、隊の中ではどうやら半ば黙認事項になっている。ここまでは理解できます。それにしても、あぶなっかしい。民間人も同席しているのだから、やはりハヤタ隊員、今回はらしくないほど不用意です。ヒヤヒヤしますよ。
こんな時こそ、以前にウルトラマンとハヤタ隊員は通じているどころかイコールの存在なのでは? と怪しんでいたイデ隊員の出番なのに……。あいにくこの場面のイデ隊員こそ、俳優さんのボディダブルの疑いが濃厚なのでした。
まあ、設定の厳密さを追求するよりもその局面での面白い効果を選ぶ、それが『ウルトラマン』の番組としての軽みなのだと確認できた回ではあるので、これぐらいで。
そういうわけでセリフが少ないどころか、ほとんど無いイデ隊員。
イデ隊員のおとこ語録:第11話 「オーケイ」
ハヤタ隊員に作戦行動の指示を受けた時の一言です。これぐらいしか言ってくれません。しかし、ほぼ唯一のセリフが「オーケイ」というのも、ねえ、なかなか潔くてよろしいのではないでしょうか。
(つづく)
( 2010.11.19 更新 )
(注)本連載の内容は著者個人の見解に基づいたものであり、円谷プロダクションの公式見解とは異なる場合があります。
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