話題作チェック
(2004 / 香港 / ウォン・カーウァイ)
作家と女たち

膳場 岳人

 60年代後半の香港に、放埓な暮らしを送る作家がいる。その周辺にいくらかの人物(主に女性)と事件 (おもに恋愛事件)を配せば、自然とうたかたのような物語が浮かび上がり、ヘンリー・ ミラーがパリやニューヨークでの生活を綴った一連の小説のような(モチベーションはまるで違うが)、小粋で賑やかで儚い、「作家と女たち」 をめぐるお話が始動するだろう。
 一世を風靡した『恋する惑星』『天使の涙』に付き合いきれないものを感じ、『花様年華』ですっかり回心した筆者にとって、この『2046』 という堂々たる幻想映画は、若干の退屈を感じながらも、贅沢な時間を過ごした気分になれる作品だった。

 官能小説からSF、武侠小説まで幅広いジャンルの小説を手がけるチャウ(トニー・レオン)は、その出鱈目な創作活動同様、 女性に対しても節操というものがない。そう書いてしまっては彼がただの女たらしみたいだが、彼はごく自然にスマートに、 好きになった相手と関係を持つ、品位あるナイーブなスケベだ。隣室に越してきた娼婦(チャン・ツィイー)との、 限りなくセックスフレンドに近い関係。宿の主人の娘(フェイ・ウォン)との、創作で通じ合う恋とも呼べぬ淡い関係。 賭場で出会った"過去のない女"(コン・リー)との恋。だがいずれの関係も、 作家が始終咥えているタバコの紫煙のごとく何処へと消え去る運命にある。彼の胸には嘗て愛した人妻(マギー・チャン) の記憶が居座り続けているからである。

 トニー・レオン扮する主人公チャウは、カーワイ監督の前作『花様年華』の主人公と同一人物。あの作品の時点ですでに「2046」 という記号への映像的な言及はなされていたが、遡れば『欲望の翼』の時点で映画『2046』の物語は始まっていたようだ。『花様年華』 でチャウが経験した、人妻との胸が焦がれるような恋。「山奥に行って木に穴を堀り、秘密を囁く。そして土でふたをすれば秘密は守られる」 という、『2046』内で惰性のように繰り返される話は、『花様年華』を締めくくる重要なモチーフだった。同程度の比重で繰り返される、 「俺と一緒にいかないか」という日本語が、なぜチャウの脳裡にしつこく響き続けるのか。それは、遠く離れてしまった人妻に、 彼が心の中で何度も囁いた言葉ではないのか。彼女との息が詰まるような濃密な時間を過ごしてしまった後でなければ、 今作のチャウの深い虚無は滲み出てこないものだろう。

 『花様年華』に見られた、極度に研ぎ澄まされ、緊張感漲る映像感覚は、今作にいたりだいぶ変容したかに感ぜられる。 色々なことに倦んでしまったチャウの諦観が、映像表現にも編集のタッチにも、潤いある翳りを浸透させているようだ。嘗て、 人妻とホテルにこもって一緒に小説を書くという、かけがえのない時間を過したチャウは、今回も、文才ある娘と小説を共同執筆する。しかし、 そこに恋の気分が生まれるわけではない。多少の暇つぶしになった程度のその関係は、生まれると同時にあっさり過去に流されていく。愛を失い、 夢みていた小説家としての成功(とはいえあまりにささやかな成功)を収めたチャウに、もはや人生の目的はない。したがって『2046』 の物語に大きな起伏はなく、とりとめもない。すべては60年代の終焉へ向かって、来るべき2046年へ向かって、 ため息交じりに進んでいくのみだ。

 五年に及んだという撮影の、一番最後に呼ばれたチャン・ツィイーが輝いている。しゃくれた顎、 人を小ばかにしたような眼差しを最大限に生かし、類型的ではあるが一定の切なさをもたらす"娼婦の恋"を熱演し、フェイ・ウォン、コン・ リー、カリーナ・ラウなど、アジア映画界のスターが艶美を競う中、ひときわ新鮮に映った。木村拓哉も、 確かにスターらしい輝きが瞳に宿っていて、決して悪くないと思うのだが、いかんせん相手がトニー・レオンでは歯が立たない。 キムタクのナルシズムと野性味と弱さとを生かすべき映画は、他にもっとあるのではないか。誰かの分身、という役回りは、 キムタクの奇妙な生々しさにまったく適していないのである。実在する人物としての、日本人サラリーマン役の演技をもっと見たかった。

 『花様年華』同様、これはトニー・レオンの映画である。口ひげをはやし、腹には享楽的な日々を窺わせるだらしない脂肪を蓄え、 片っ端から女性に手を出すことにさしたる躊躇いも感じなくなった彼は、 希望や感動というものを失った中年男のやるせない生を体現していっそう魅力的である。そんな彼が、 決して振り返ることなくスクリーンの右端へと歩み去るとき、なんとも深い喪失感が映画館に立ち込める。 そこでは一体何が終わっていったのだろうか。トニー・レオンは一体どこへ向かって歩いていったのだろうか。取り残された者たちは、 過去に失った恋人の面影を抱えながら、トボトボと家路に着くしかない。梅林茂による、聴く者の胸を引き裂く劇的なスコアが、 物語世界を切々と煽り立てている。

(2004.11.9)

2005/04/30/06:54 | トラックバック (0)
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