まったくもって余計なお世話だが、この映画は「物語を語る技術」の全般的な稚拙さゆえにあまりヒットしないだろう。
映像最優先の作家の宿命か、語り口にむらがあり、説明不足のままどんどん話を進めてしまっているきらいがある。そのため、
ぼんやり見ていると何か難解な映画なんじゃないかと錯覚してしまいそうになるのである。同じ難解さでも『エヴァンゲリオン』
のような確信犯的な戦略性もなく、語り下手で話が難解に見えてしまうというのは、映画としては致命的な欠陥と言わざるを得ない。
しかしながら、とにかく生真面目に作られた作品であることは間違いない。尋常でないこだわりが伺われる画作り、苦心の跡が伺える編集、
ストーリー展開や台詞の中に一貫して流れる反戦と共存共栄のメッセージ――。その馬鹿馬鹿しいまでの生真面目からは、いわゆる「商業主義」
的な空騒ぎとは無縁の、作り手の愚直な情動がストレートに伝わってくる。ヨメに主題歌を歌わせるとか、
犯罪的なまでに酷い芝居をする人気モデルが主役であっても、それは『CASSHERN』
という作品の制作を可能にするために紀里谷監督が容認した、駆け引きのパーツにすぎないのだろう。
とにかく、監督はやりたいことをやっている。仕上がった作品に何ら「映画」としての魅力が感じられないとしても。
物凄くお金のかかった自主制作映画(悪い意味でね)のように見えてしまったとしても――。
宮迫博之演じるせむしの新造人間の造形や、上昇志向の強い及川光博の独白、
ようやくその実力に見合った役柄を得た印象の西島秀俊の立ち居振舞い、そして物語の驚くべき結末(ある程度アニメや漫画に親しんだ人ならば、
特に驚くに当らないかもしれないが)には、監督も相当の自信を持っているのではないだろうか。
実際、作品には色々な見どころがある。「新造人間」なる存在の生誕から物語を語り起こし、戦争とテロ、新造人間の台頭、
人類との決戦に絡めて、恋愛、父と息子の関係、夫婦の絆、延命治療の是非、因果応報、と盛りだくさんのモチーフを孕んだシナリオは、
さながら一大叙事詩のようだ。「ハムレット」に想を得たという「悲劇的構造」は、終盤その実相を明らかにするのだが、
確かにスケールの大きな発想に拮抗するだけの結末ではある。監督の狙い通りの悲しみを観客が覚えるかどうかは別にして。
作品前半、寺尾聰扮する研究者が、息子であるキャシャーンこと東鉄也の戦死を知らされ、研究所に謎の稲妻(いまだに謎。何、あれ?)
が突き刺さり、新造人間がボウフラみたく生誕し、政府がそれを虐殺にかかり、数名の新造人間が命からがら街を脱出する、という派手な展開を、
たった一夜の出来事としてまとめてしまうところには、劇的状況を果敢に積み重ねてゆくシナリオライターの情念が感じられた。
それから多彩な役者陣。新造人間のボスである唐沢寿明はいい。シェイクスピア劇ばりに仰々しい台詞をまくしたてるが、
地に足のついた台詞回しで意外にも浮いてない。それから、「新造人間」という設定に求められる人間ばなれした造形に、
きちんと馴染んでいる佐田真由美と要潤。それほどの活躍を見せないのが惜しまれるくらいに、作品の雰囲気にぴたりとはまっていた。
アクション場面はいずれも不発。ロボットの大群が街を蹂躙する場面はアニメと実写が混在する処理でいいとしても、
キャシャーンと新造人間との肉弾線は、編集やCGによる加工に頼るべきではなかった。監督はそもそも暴力が嫌いなのかもしれないが、
暴力描写が一級の芸術品となる映画というメディアに、もう少し身を預けてみても良かったのではないか。幕切れに於いて、
これは単なる娯楽映画ではなく、我々の生きる殺伐とした現実世界に向けて放たれたメッセージであることを、監督はある簡単な方法で示唆する。
映画、あるいは映画史に対して不誠実な監督らしいその見せ方が、良くも悪くもこの映画のありようを象徴しているようである。
(2004.4.18)
主なキャスト / スタッフ
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