(2004 / 日本 / オムニバス)
私を深く埋めて

膳場 岳人

 若い女性が身につける真っ白なブラウスとは、なんとまぶしい光沢を放っていることだろう。シルクであれ綿であれナイロンであれ、 それがブラウス、特に清楚な印象をもたらす開襟ブラウスであれば、生地は何でもかまわない。素肌を包みこむ薄くつややかな衣服は、 どうしてこうも男性の心を捉えて離さないのか。なかでも胸元の切れ込みに宿る神々しさはどうだろう。ダイヤモンドの一つでも浮かべてみれば、 そこは一瞬にして背徳的な魔のデルタ地帯と化し、見る者のほの暗い情欲を白日の下に引きずり出し、冷然と突き放すかと思えばぐっと引き寄せ、 無言の凝視を強要する。もちろん、垣間見えるかもしれない下着への尾籠な興味や、「谷間」 という大仰な形容をされがちな乳房の盛り上がりに対する関心もあるにはあるが、男たちはむしろ、 "開襟ブラウスの胸元"という深遠なる空間に生き埋めにされたい、という欲求のゆえに、 罪深き白の平野から目をそらすことができないのではないか。もちろん、ブラウスの魅力は胸元だけにとどまらない。女性の細い背中を、 湖の表面に浮かぶさざなみのように美しい皺を生じさせながらブラウスが洗い流す様子に、男性ならば一度ならず息を飲んだ経験があるだろう。 白い衣服がすなわち処女を連想させるなどとは微塵も思わないが、そこには聖なる何かがひそんでいることは確かなようだ。 背筋がぴんと伸びた気品ある女性が、丹念にアイロンをかけたそれをさっと着こなす好ましい光景に接するとき、男性は皆、 その白の中に殉じたいと熱望しているものなのである。

 前置きが長くなったが、『Jam Films S(エス)』である。『Jam Films』『Jam Films2』 と続いてきた人気オムニバスシリーズの最新作だ。特に通底したテーマのない、七本の短編作品が収められている。 作品をここにずらりと並べてみる。

 第一話『Tuesday』(薗田賢次監督、主演:ZEEBRA、岩堀せり)、第二話『HEVEN SENT』(高津隆一監督、主演: 遠藤憲一、乙葉)、第三話『ブラウス』(石川均監督、主演:小雪、大杉漣)、第四話『NEW HORIZON』(手島領監督、主演: 綾瀬はるか)、第五話『すべり台』(阿部雄一監督、主演:石原さとみ)、第六話『α』(原田大三郎監督、主演:スネオヘアー、内山理名)、 第七話『スーツ――suit』(浜本正機監督、藤木直人、小西真奈美)。

 この七本の作品の中で、筆者が瞠目し、食い入るように見つめてしまった作品が、石川均監督、小雪、大杉漣主演の『ブラウス』だ。 たたずまいは清楚でありながら、妖美な光を切れ長の瞳に宿した小雪が、神聖な白いブラウスを羽織って登場する。 これはまさに珠玉の逸品である。

 クリーニング店を営む孤独な男(大杉漣)のもとに、美しい女(小雪)が白いブラウスのクリーニングを頼みに来る。男は女の美貌に見とれ、 彼女が差し出した高価なブラウスに見とれる。女が去った後、男は職業上の特権を生かして、ブラウスにそっと鼻を近づける。 鼻腔に充満する芳しい女の香り――。その瞬間から、男女の秘めやかな交流が始まる。女はただの客として店を訪れるが、 やがて寡黙な男とのあいだに、言葉を必要としない、静かな共犯関係が結ばれるにいたる。女の身の上には、身内の死や、 飲酒による度を越した酩酊、といった色々な出来事が起こるが、男はひたすら狭い店の中にたたずみ、 彼女のブラウスを掌に載せることに至高の悦びを見出しながら、ゆっくり年をとっていくだけだ。

 古ぼけたクリーニング店で過ぎ去る日々が、匂い立つように濃密な映像(撮影:下元哲)で紡がれていくこの映画は、 絶え間なく流れる四重奏といい、女優の着衣や肌の映り具合に対する執拗なまでのこだわりといい、 またたくまに過ぎてゆく時間を示す字幕の活用といい、ウォン・カーワイ監督の『花様年華』を参照としたことは明らかだ(むろん、 それにとどまるわけでもないだろうが)。あのエロティックでナイーヴな官能世界が、 日本の平凡な住宅街の一角でキッチリ実現されてしまったということに、まずは喝采を送りたい。いや、ピンク映画の世界においては、 このレベルの官能表現はやすやすと実現されてきたものなのかもしれない。あるいは、裸体を晒すことのない小雪を主役に登用したことによって、 作り手は必然的にヌードや濡れ場といった得意技を封じられ、 そのことが逆に作品に立ち込める息苦しいまでの官能に結びついたと想像すべきなのかもしれない。それにしても、小雪という美人女優が、 かつてこれほどまでに生々しく、色っぽく撮られたことがあっただろうか。たいへん露骨な言い方で恐縮だが、これほど「抱きたい」 と思わせる撮られ方をしたことがあっただろうか。ブラウス姿の彼女も素敵だが、ノースリーブの二の腕に夏の光をまぶした姿や、 しどけなく酔いつぶれて男に迫る彼女がスクリーンに映し出されるたび、激しい欲情に囚われ、眩暈に襲われ、熱いため息がこぼれた。 女優を美しく撮る、というのは、実にこういうことなのだ。

 やがて男女は、店主と客という間柄によって保たれていた均衡を破り、一歩踏み出した行為へと我とわが身を投げ出そうとする。 抑制されてきた思いが、隠し通してきたはずの情欲が、ついに爆発する瞬間――。それがいかなる顛末を迎えるかはここでは触れないが、 個人的にはもっと先まで突き進んで欲しいという不満が残った。思いが通じ合ったと確信したならば、男は衣服への偏愛をきっぱりと捨て、 積極的に迫ってきた女を裸に剥いて闇雲に掻き抱き、手に手をとって違う次元へと飛翔するべきだった。そう、私たちが真に埋められたいのは、 白い衣服の中などではなく、白を剥いだ肌そのものの中なのだから。どこまでも深く、どこまでも奥へと、私たちは埋められたがっている。

 狭いクリーニング店を、息詰まるように官能的な恋愛映画の舞台に仕立て上げる石川均監督の演出手腕は、さすがというほかない。 他の若い監督たちと比較するのは気後れするが、力量の差は歴然としている。本作で原案を担当した望月六郎監督の名作『スキンレスナイト』 で主役も務めた石川監督は、長くピンク映画やVシネマの世界で鳴らしてきた、いわばベテランの方なのである。『Jam Films S (エス)』という、恐らくは若い観客を当て込んで制作されたオムニバス作品において、 確信犯的に自らの得意とする世界を繰り広げたということに、なんだか溜飲の下がる思いがしました。

 ほかの作品についてはここでは割愛させていただくが、撮影当時17歳の石原さとみに小学生を演じさせた『すべり台』(阿部雄一監督)は、 そのトリッキーなキャスティングと、「人気のない公園で戯れるふたりの児童」という劇設定を、 ロングショットの的確な配置で照射するという演出上のアイデアが光り、淡い郷愁を掻きたてられた。事態を見守る山崎まさよしの存在は、 大人が安心するためにしつらえたみたいで、あまり効果的ではないと思ったが。オムニバス全体は非常にバラエティに富んでおり、 今後の邦画の可能性を探る上で、チェックしておいても損はないかもしれない。

(2005.1.9)

2005/04/30/19:57 | トラックバック (0)
膳場岳人
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