今週の一本
(2005 / アメリカ / スティーヴン・スピルバーグ)
悲願達成の光と影

膳場 岳人

 パレスチナのテロ集団「黒い九月」が、アメリカのスーパーボウル開催会場を爆破しようとする、『ブラック・サンデー』(ジョン・フランケンハイマー監督)。イスラム過激派による旅客機ハイジャック事件を、アメリカ特殊部隊が解決する『デルタ・フォース』(メナハム・ゴーラン監督)。ビデオカメラも満足に扱えず、やることなすことおバカでマヌケなアラブ人テロリストたちが、諜報員のシュワルツェネッガーに虐殺されていく『トゥルー・ライズ』(ジェームズ・キャメロン監督)……。

 アラブ人テロリストは、ネイティブ・アメリカンやナチス・ドイツ、冷戦時代のロシア人らと同様、ハリウッド映画における類型的な悪役の一端を担ってきた。ここでの「類型的な悪役」とは、非民主主義的で、人命を軽視し、アメリカ人の平和と繁栄を脅かす連中のことである。狂信的で卑劣で英語も話せないアラブ・テロリストは、娯楽としてのアクション/サスペンス映画にとって、うってつけの悪役だったのだ。しかも、これらの映画はことごとく面白いときているから困ったものだ。中には、『マーシャル・ロー』(エドワード・ズウィック監督)のように公平を期そうと努力した真面目な映画もあるが、あくまで少数派であり、しかも映画としてそれほど面白くはない(単に筆者がデンゼル・ワシントンの正義面が嫌い、というだけかもしれないが)。

 『ミュンヘン』は、そうした中ではアラブ人を「人間らしく」描こうとして、ある程度成功している作品である。

 1972年、「黒い九月」がミュンヘン五輪選手村を襲撃し、イスラエル人選手団の11名を虐殺する。イスラエルの首相は、秘密情報機関モサド(アメリカでいうところのCIA、イギリスでいうところのMI6)を使って、事件に関与したとされるアラブ・テロリスト11名の暗殺を極秘裏に計画。若きアブナー率いる殺人チームは、次々と暗殺計画を遂行するのだが――。

 暗殺対象となるパレスチナの要人が一様に知識人で、家族を愛し、ホテルの隣室に泊まった客に気さくに声をかける人々として描かれている。そのことにより、「パレスチナ人だって同じ人間だ」「報復からは何も生まれない」といった、誰にでもわかるようなメッセージが浮き彫りになる仕掛けだ。率直に言って「何を今さら……」の感は拭えないのだが、先述したような陳腐なアラブ人像しか生み出し得なかったハリウッドにとっては、革新的なことなのかもしれない。

 アブナーが初めて自身の任務に懐疑を抱くのは、手違いからパレスチナ・ゲリラたちとホテルの一室で鉢合わせしたときだ。パレスチナの青年はテロリズムに訴える以外に、自分たちのメッセージを世界に伝える手はないといい、パレスチナ国家創設の夢を語る。そのときアブナーは、初めて敵の肉声を聞いたような顔をする。おそらく、多くの観客もまた、ここで初めてパレスチナ人の悲痛な叫びに接した気になるのではないだろうか。

 振り返ってみれば、イスラエル建国は多くのユダヤ人の悲願であった。しかし、そのために彼らは土地からパレスチナ人を追い出し、あるいは、最初から存在していなかった、不法占拠を行っていたと強弁することで、自分たちと同じ流浪の民をつくりだしたのである。ホロコーストというインパクトの大きい迫害の犠牲者が、自分たちの悲願を達成し、居場所を確保するために、パレスチナ人という犠牲者を生み出してしまう……。そう言っては事を単純化しすぎてしまうが、その根深い対立の深淵に触れた意味合いで、この「鉢合わせ」場面は重要だ。ひょっとしたら、この場面のためだけにこの映画がつくられたのではないかと思いたくなるほどに。

 確かにアブナーたちによる要人暗殺計画は、ミュンヘン事件に端を発したものだ。だが、「ミュンヘン事件」からすべての悲劇が始まったわけではない。それはまるで現在の世界中の悲劇は9.11テロによって始まったなどと錯覚を起こすようなものだ。「ミュンヘン事件」も9.11テロも一つの結果であったし、一つの過程に過ぎなかった。そうした意味で、ラストシーンに映し出されたWTCビルも、なんだかとってつけたように見えてしまったことも、また事実なのだった。

 政治的な諸問題を無視して、審美主義的に映画を見る分には、長すぎる点を除けば、申し分ない出来栄えである。パリでの最初の暗殺シーンにおける、廊下にこぼれた白い牛乳と鮮血とのコントラスト。電話爆弾を仕掛けたところ、要人ではなく要人の娘が電話に出てしまうことで生まれるサスペンス。ベッド爆弾が炸裂する絶妙のタイミング。選手村での丹念な殺戮描写。ズームを多用したキャメラワークが、狙ったような古臭さを醸し出しており、オールドな映画ファンを喜ばせる。

 もっとも陰惨なのは、仲間を殺したオランダ人の女殺し屋にチーム全員で報復する場面だ。自転車のパイプを利用した武器(弾丸を手動で押し出すというアナクロな仕掛けが怖い)で裸の女を殺すというこのシーンには、男たちの暗く歪んだ欲情が漲っているようで、おかしな快楽すら感じさせる。

 役者がいい。アブナー役のエリック・バナは繊細な演技で客の感情移入を誘うし、冴えない爆弾担当マシュー・カソヴィッツも、柔らかな存在感で殺し屋の弱さを体現。キアラン・ハインズは紳士然として存在感じゅうぶんながら、バーで声をかけてきた美女にあっけなく籠絡されてしまうあたりの俗気が魅力。地下組織のボスを演じるのは、『ジャッカルの日』(フレッド・ジンネマン監督)でジャッカルを追い詰めるルベル警部を演じたミシェル・ロンズデールなのだった。彼の息子ルイを演じるマシュー・アマリックもいい。彼がいつも犬を連れているという細かな演出も愉快だ。エリック・バナと妊娠中のセックスという、生活感あふれるベッドシーンを演じるマリ=ジョゼ・クローズも、母性的な笑顔で魅了した。

(2006.2.13)

2006/02/13/22:31 | トラックバック (13)
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