ネコを探して
この作品にはたくさんのネコが登場する。廃止寸前の駅を救った駅長のタマ、鉄道員ネコのエリカ、おくりネコのオスカーその他有名無名の世界のネコたち。しかもフランス映画であるにも関わらず、日本のネコが多数取り上げられているのだから、ネコ好きの人には堪らない。ただ観ているうちに、それほど喜んでばかりいられなくなってはくるのだが……。
映画は、行方不明になったクロを飼い主の女性が探す時空を超えた旅に出るところから始まる。鏡の向こうの別世界にクロが入って行ったという設定だ。最初は、ベル・エポックのパリ。クロは丁度絵のモデルになっている。出来上がった絵はスタンランの「黒猫」。アールヌーボー様式の有名なポスターだ。絵をよく見てみると、このネコ、毛がボサボサであることに気がつく。顔は正面を見つめているものの、耳は左右の音に注意を払い、足も爪を出して踏ん張っている。文字や模様はいかにもアールヌーボーの様式になっているのだが、中心のネコだけは、優雅さよりも野性味が勝っているようにも見える。それもそのはず、このポスターで宣伝されているのは、シアター・レストラン「シャ・ノワール」お上品な人たちが集まるカフェではない。このネコは、モンマルトルの裏通りに潜む荒くれネコ。貧しいけれども、自由気ままな生活を送る庶民を象徴しているのだ。すなわち、クロを探す旅というのは、自由を探す旅ということなのである。監督ミリアム・トネロットはフランス人。確かに彼女の考える自由の精神の出発点とは、この時代以外にはありえないだろう。その象徴としての役割をこの黒ネコに担わせたという点がユニークである。
つづいて、ベル・エポックのサロンにたむろする当時の文学者や哲学者たちがネコについて語る。彼ら有名人に交じって、夏目漱石の姿も見える。漱石といえば、ロンドンへの留学が有名であるが、実はその途中パリの万博に立ち寄っている。だからこの場にいてもおかしくはない。しかも漱石と言えば『吾輩は猫である』だ。「無理にあがくより、自然に身を任せよう」というこの名無しの猫を描いた作者がこの場に登場するのは、作品の精神からしても至極当たり前に見える。それどころか案外、「吾輩は猫である」は、この映画のヒントとなっているのかもしれない。猫を通じて描く人間社会、それこそこの映画そのものだからだ。
最初に社会問題として取り上げられるのは、かつて、漁師とネコが寄り添うように生きてきた水俣。ここでは、ネコは鼠を取り、漁師から魚のごちそうをもらうという協力関係が存在していた。ベタベタせず、一定の距離を保った彼らの関係こそ、理想の世界であったはずなのだが、ご存知のとおり水銀に汚染された魚を食べたネコと漁民が次々と病に倒れていった。会社のほうは、その事実を知りながら利益優先のため因果関係を認めず、そのためその実証に迫られた漁民の側はたくさんのネコを調査のため犠牲にせざるを得なかった。今も病気に苦しむ住民の生の証言と、犠牲になった猫の慰霊碑に心が痛む。
英国では、鼠の被害からケーブルを守るため、鉄道員たちといっしょに列車を点検する鉄道員ネコのエリカのエピソード。ここでは、ネコと人との素晴らしい協力関係が描かれるのだが、民営化、合理化の名の元に200匹いたネコが首になり、人員も整理された結果、株主にたんまり配当されたことが槍玉にあげられる。
事の重大さという点では水俣と英国の例では違いがあるものの、両者に共通している問題は、行き過ぎた資本主義ということである。今の世の中は、企業の利益優先、物質主義に偏り過ぎている。それは「無理にあがくより、自然に身を任せよう」ということができない世の中であり、そこではもはや、庶民の慎ましやかではあるが、自由で幸福な暮らしというのはあり得ない。そんなことを感じさせられる。もちろん水俣は、その究極の姿である。
おくりネコのオスカーは、アメリカ、ロードアイランドの病院に勤務。ここは老人たちの終末医療を行っているのだが、彼は人の死期を悟るという不思議な才能を持っている。老人たちの中には身寄りのない人も少なくなく、いつでも彼はそんな人たちの最期を看取るかのように、亡くなるまで傍に寄り添うのである。しかし、そのようになってしまった裏には、アメリカの医療制度の不備のため医療スタッフが不足していることも事実があると、チクリと刺す。これは、描き方次第では、感動の美談になったことだろうと思う。ペット・ブームの日本では間違いなくそのように描かれることと思う。
しかし、この映画では逆に、そのペット・ブームこそが危ういものであると警告を発している。ネコに愛くるしい洋服を着せ、子供のように接したり、大人が可愛いネコ・グッズを買い求めたり、「可愛い」が物事の基準になる文化に疑問を呈している。猫と人間の関係が崩れているのではないかと。確かに欧米ではこうしたことが異様に映るらしい。例えば、中年男が、携帯に可愛いキャラクターグッズを付けているのを西洋人が見ると、マイケル・ジャクソンのネバーランドぐらいの衝撃があるらしい。仕事帰りにネコカフェに通う中年サラリーマンの描写にもそうしたニュアンスが感じられる。
これには、ネコが飼えない日本の家屋事情ということもあるし、多少文化的な誤解の側面もあるかとは思うのだが、単に可愛いからと、縫いぐるみでも買うような安易な気持ちでネコを買う人が後を絶たないのは事実である。そうした人たちがネコを捨て、また「商品」として売れ残ってしまったネコが捨てられ、大量に殺傷処分されているという現実まで提示されると、こちらも痛いところを突かれたという思いがする。かつてネコは普通にその辺にいて、人と一定の距離を持った自由な存在だった。けれども、「可愛い」ことに商品価値が生まれ、それがビジネスになった時、人とネコとの関係はいびつなものになっていったという理屈には一理ある。
結局、この作品の数々のエピソードに共通していることは、人とネコの関係の変化の背後に、自由が無くなっていく社会というものがあるということである。クロを探す旅というのは、それを確認することであった。なぜ自由がなくなっていくのか。それは、個人よりも会社の利益、特に近年では株主の利益が優先された結果だという。奇しくもそれは、「社会が発展していく過程で、個性が踏みつけられる」という夏目漱石の小説のひとつのテーマとも合致している。
では、この作品で言うところの自由な社会というのは何か。ここで、最初の旅がベル・エポックのパリだったことを思い起こして見よう。この時代、ナポレオン三世の第二帝政が終わり、第三共和政の時代がやってきた。繁栄の時代の始まりであり、街は自由の空気で満ち溢れていた。色々な新しい思想や文学が生まれ、新しい技術が生まれた。そして大衆文化が起こった時代である。この作品で現代と対比されているのは、この共和制の時代なのである。「自由、平等、博愛」まさにこれこそ、今でもフランス人が信じ、誇りに感じているフランス的な精神である。革命の時代に多くの血を流し、第三共和政の初期にチュイルリー宮殿を破壊してまで勝ち取った国民ひとりひとりの権利ゆえ、今でもフランス人の血管にまで流れている精神である。
しかし、この思想は世界に通用する絶対的なものなのだろうか。「移民に対しても平等な権利を保障しているのだから、彼らが貧しかろうと、郊外の荒れた地域に固まって住もうとも、それは差別ではない。」私たちはすでに、思想を盾に差別が隠ぺいされるというフランスの体質もよく知っている。筆者がこの作品に感じていた違和感というのは、実はそこにある。
確かに、個人よりも会社の利益、株主の利益が優先された結果、ひとりひとりの自由が妨げられ、ストレス社会がうまれたという部分には、うなずける。しかし、彼らの「自由、平等、博愛」の思想と、日本の感覚にはあきらかにズレがある。「本来自由であるはずのネコ、駅長のタマがあんなに窮屈な生活を強いられてよいのだろうか」というのがフランス的であるとすれば、「彼は窮屈そうには見えるけれども、ネコ本人がイヤな顔もせず、むしろ満足そうにしているのだからかまわないじゃないか。第一、嫌なら逃げるはず」これが日本の感覚。まさに本来、漱石のネコが言うところの「無理にあがくより、自然に身を任せよう」である。この違いを作者が理解することなく、日本の社会を問題として数多く取り上げている点が、この作品の弱いところであり、同時にフランス的なるものが明白に出ているという点が興味深いところでもある。
(2010.9.5)
ネコを探して 2009年 フランス
監督:ミリアム・トネロット 撮影:ディディエ・リクー
アニメーション:ジェローム・ジュブレ 音楽:マルク・ハンスマン スチル撮影:佐竹茉莉子(「道ばた猫ものがたり」清流出版)
出演:[ 駅 長 ] たま [ おくりねこ ] オスカー [ 鉄 道 員 ] エリカ [ カメラねこ ] ミスター・リー [ お泊りねこ ] ジンジャー
鹿島茂 (明治大学教授) 石野孝 (獣医師) ほか
2009年フランス映画/89分/ビスタサイズ/デジタル上映/日本語字幕:寺尾次郎
(C) La bascule and Ana films
9月10日(金)の19:00~の回上映前に、坂本美雨さん(歌手)友森玲子さん(動物愛護団体Rencontrer Mignen主宰)のFreePetsの二人によるトークショーを開催。
2010年8月14日(土)より、シアター・イメージフォーラムにて
ロードショー公開、他全国順次公開
- 佐竹 茉莉子
- 出版社: 清流出版
- 発売日: 2008-02
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- 監督:飯田基晴
- 発売日:2010-06-26
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主なキャスト / スタッフ
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