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今月の注目作

男たちの大和 YAMATO

(2005 / 日本 / 佐藤純彌)
貌の見えない戦争映画

仙道 勇人

 昨年2005年は戦後60年という節目の年ということで、 本作はそれを記念するするために製作された作品である。太平洋戦争を題材にした作品は、8月15日の終戦の日に合わせて、 テレビで放映されることが毎年の恒例のようになっているが、本作を含めこのように折に触れて「あの戦争」 を描くことにはそれなりに意味があることだと思う。「あの戦争」について「語る」こと、或いは「語り継ぐ」ことだけが、 忘却に抗うことのできる殆ど唯一の手段だからである。
 体験者の方々の多くが鬼籍に入り始め、彼らの生の体験談が失われつつある一方、それらをまとめた体験手記に手を伸ばすほど主体的に 「あの戦争」について知ろう、知りたいと考える人がそう多くはない現状において、当時の空気を雄弁に伝えうる映像作品の存在は、「あの戦争」 について知る上で今や欠かせないものと言っていい。その意味では、 近年日本で製作された戦争映画の中でも屈指の迫力をもって描出された戦闘場面や、 生き残ってしまった者が背負うことになった慚愧の念や忸怩たる思いを掬い取った本作に、相応の価値があることは確かなことだろう。 しかしながら、本作を観終わった時、筆者は「あの戦争」へ思いを致すよりは、寧ろある種の違和感を――映画未満の、 どこか豪華なテレビドラマでも観たような印象を――拭えなかった。

 本作は元大和乗組員の生存者である神尾老人が、同じく元大和乗組員であった内田二兵曹の養女に出会い、 大和沈没地点である北緯30度43分東経128度04分の海域に向かう道中に、神尾老人の回想という形で当時の様子を描いている。 戦争映画において、本作のように生存者の回想という形で現代と過去をリンクさせるという構造はそれほど珍しいものではない。 近いところでは朝鮮戦争を描いた「ブラザーフッド」も同じ構造であった。しかし、作品として観た場合の彼我の差は歴然たるもので、 「ブラザーフッド」の方に軍配を挙げざるをえないというのが率直なところだろう。

 なぜか。一言で言えば、それは映画としての腰骨の強度の違いとしか言いようがない。

 民族の分断と兄弟の対立を重ね合わせるという極めて劇画的な物語である「ブラザーフッド」にしても、 ある種のあざとさ・無理矢理さは認められたものの、そうした部分に対して有無を言わせない骨の太さがあった。 それは戦争というものを徹底的に見据えようという意志、と言ってもいいかもしれない。「ブラザーフッド」では、 一貫して兄弟の視点で朝鮮戦争を横断的に描くことで、 根幹に悲劇性を湛えながら恐るべき戦争の実相をも揺るぎなく伝える作品に仕上がっていた。

 対する本作「男たちの大和」はどうか言えば、散漫の一語に尽きよう。 本作は神尾老人の回想であるにも関わらず、徒に群像劇風に描いたために、殆ど恣意的なエピソードの集積になってしまっているのである。 これは回想という物語の基本構造が破綻しているばかりでなく、「戦艦大和」が単なる舞台装置となってしまっていることをも意味している。 また、これに拍車を掛けているのが、神尾以外の乗組員達の帰郷エピソード群の存在である。
 本作が銃後の女達の姿に焦点を当てることで、男達が守ろうとした存在を描こうと企図したことは想像するに難くはない。しかし、「離別」 という分かりやすい部分に過剰なほど拘っているがゆえに、それが却って感傷を煽り立てることとなっていることもまた自明だろう。 勢い大和に乗り込む男達ではなく、残される女達の方に心情が傾きがちになってしまい、結果として本作は「戦艦大和」である必然性が希薄な、 「戦争」というよりも「戦争の悲劇性」を強調する作品に留まっているのである。

 筆者が本作にテレビドラマのような印象を受けた最大の所以は、まさにここにある。象徴的存在であった 「戦艦大和」というお誂え向きの題材を選びながら、物語全体を貫く象徴として有効に機能させえていない本作は、 代替可能な舞台装置で反復される物語の一つにしかなっていないのである。

 勿論、本作を通じて「戦争の悲劇性」は汲み取ることはできるに違いない。しかし、 誤解を恐れずに敢えて言うならば、「戦争の悲劇性」だけしか描けない感傷的な戦争映画は、戦争映画としてはどうしてもヌルいのだ。 どんなに戦闘描写が激しくとも、本作のように顔の見えない相手に一方的に殺されていく兵隊の姿を映し出せばいいというわけではなく、 殺し殺される人間の姿をこそ描かなければならないのだ。この戦場という極限状況で剥ぎ取られていく人間性の脆弱さ、高揚感、或いは狂気。 悲劇性に捕らわれていては描ききれない多くのものが、戦争には渦巻いているはずなのだ。それらを見据えた上でなければ、 戦争の相貌を浮かび上がらせることは至難であろう。しかし、そうした戦争の相貌をこそ我々は伝えていかねばならないのではないだろうか。 それを実現する上で、戦後60周年という絶好の機会をこのように中途半端な形で逸してしまったことは、やはり惜しむべきことだと思う。…… 果たして日本で骨太の「戦争映画」というものが撮られる日は来るのだろうか。

(2006.1.10)

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2006/01/11/13:27 | トラックバック (6)  
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