人間誰しも、その人生の中でふと立ち止まってみたくなることがあるだろうし、
立ち止まらざるをえなかった人もいるだろう。
どうやらホテル・ビーナスは、「ビーナスの背中が見たい」という合言葉のようなものを言えば、
立ち止まってしまっている人を受け入れてくれる場所らしい。そこの住人たちはただ立ち止まっているだけでなく、
必死に出口を見つけようともがいている。そんな連中がそれぞれに出口を見つけてゆくというお話だ。
今日もまた訳アリな親子連れが「ビーナスの背中が見たい」とホテル・ビーナスにやって来る導入部はなかなかにいい感じである。
ここ十年ほど立ち止まりっぱなしの筆者にとっても、「うむ。嫌いじゃないぜ、そーゆー話。つーか好き」なジャンルでもあるのだが、
筆者にはビーナスの住人たちのように立ち止まりに明快な理由があるわけではない。と言うか、
第三者から見ればタダのナマケモノに映っている可能性大である。
この「立ち止まる」はっきりとした理由があるのかないのかは、
すぐに他人の目を気にしてしまう筆者にとっては恥ずかしながら割と大きな問題だったりするのだが、
つまりホテルビーナスの住人たちは第三者から見て「君、立ち止まり、オーケー」なのである。
誰の目も気にせずに大っぴらに立ち止まれるだけの理由があるのである。でも筆者にはその理由はない。いまさら
「誰か登場人物の一人に自分を投影できなきゃイヤだい!」なんて言う気は毛頭ないが、でもそれにしても登場人物みんながみんな、
あまりに大きな理由を抱えているのは如何なものか。やはり疲れてしまうし、妙に疎外感を感じるあるよ。
冒頭ビーナスを訪れてくる親子連れなんかもう哀愁たっぷりに「ビーナスの背中が見たい」と呟くのであるが、
おそらく他の連中もそのように哀愁たっぷりに呟いて入ってきたのだろうと想像できる。しかし中には「あの、
ちょっとビーナスの背中見たいかなー・・・なんて」と入ってくる奴もいていいじゃないか。これじゃみんなカッコ良過ぎだ。
それに草薙の役なんて人嫌いっぽく見えるのにやたら他人の問題に首突っ込むし、男の観客としては「ケッ」なんて思って観ていたのである。
のであるのだが、ここまで書いて前言を翻すようで何だが、これがなぜか見終わった後の後味はなかなか良いのである。
つまりカッコ良過ぎと否定的に思って観ていたはずの草薙はじめ登場人物たちを、きっちり最後には「なんかみんな割とイーじゃん」
と肯定的に思わされてしまったのである。特に主演の草薙剛。平日の昼間なのに場内は若い女の子で埋め尽くされていた。
正直言って草薙一人にここまでの集客力があるとは思っていなかった筆者は少々オドロイたのだが、観終わって納得した。男の観客に
「草薙イーじゃん」と思わせればもうこの映画は大成功だろう。人嫌いっぽく見えるのに他人の問題に首突っ込むなどと書いたが、
確かに前半はそのキャラクターがただの矛盾に見えてしまうのだが、見ていくうちにつれこいつはそーゆー奴なのだ、
カッコイーけどなんだかそんなにカッコ良くもないか?そんな奴に見えてきて愛おしささえ感じてしまうのである。
最後の場面。ビーナスの住人たちをゴミ呼ばわりする刑事たちに「ゴミじゃねー!」と向かって行き、
やっつけられながらもなおゴミ代表として「ゴミじゃねー!ゴミじゃねー!」と叫ぶ姿は本当にカッコ良かった。
筆者の隣にいた小学生連れのお母様が食い入るようにスクリーンを見つめていたのも納得である。
それにゲイのママ役の市村正親のセリフがクサくて正論だったりするのだが、外国語というせいもあるのか妙に心に響いたりもするのだ。
シナリオを書いた人は作詞家でもあるようだが、「遠くの星ばかり追いかけていると、足元を照らしてくれている星を見落とす」
というようなセリフなどカッコ良いと思ったし、「人間自分の痛みには敏感だけど、他人の痛みには鈍感」
なんてあまりに正論なのは分かっているけど「そうだ!そうだ!」なんて心の中でつぶやいてしまい、
今度どこかでボソッと言ってみるかななんて思ったりしながらも「あれ?俺か?」と反省まで出来たりするのである。
なんだかんだとケチをつけるところはありそうだが、カッコ良い奴をカッコ良く撮る。当り前のことをキチンとやっているから後味は良い。
終わり良ければ何とやらである。
一つ惜しいのは、
そのように良いセリフもたくさん用意されていて映画出演初めてという市村正親のキャスティング自体は大変良かったと思うのだが、
役そのものがもっと面白くなりそうなのに、表層ばかり目立っていまいちパンチに欠けていたところだ。
(2004.3.14)
主なキャスト / スタッフ
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