本作は異国の都市TOKYOで出会ったアメリカ人男女が次第に心を通わしていく様子を描いた作品だが、
とにかく日本的文化・慣行に直面したビル・マーレイの所作が可笑しくて仕方がないのである。
と同時に画面に映し出される日本人の所作もまた可笑しくて可笑しくて仕方がない。
観客が一丸となって抱腹できるというのは極めて稀なことではないだろうか。本作を彩る滑稽さは、
恐らく日本人であろうとそうでなかろうと関係なく楽しめるものだろう。
本作はカルチャーギャップが生み出す喜劇として観ても十分楽しめる作品に仕上がっているが、決してそれだけに留まる作品ではない。
マーレイの笑いを誘う所作が、全て彼の戸惑いに起因しているということは、見逃しがちではあるが重要だ。彼の所作が滑稽であればあるほど、
彼が抱く疎外感もまた同時に映し出されているのである。一方、単身街を彷徨うヨハンソンの場合は、
見知らぬ風俗を目の当たりにする快感と不快感といった行く先々で抱く印象を通じて、寄る辺ない不安や孤独が丁寧に描き出されている。
二人の微妙な距離感を含め、本作では人物の心象を言葉に頼ることなく映像によって語らせており、とりわけTOKYOでの体験によって、
彼らが共に陥っている「宙吊り」状況を炙り出していく点は実に巧みである。そんな「宙吊り」状態であるがゆえにうまくいかない関係があり、
「宙吊り」状態であるがゆえに許される関係もある。本作ではそうした繊細な関係性が、カーヴァーの短編小説のように、
表層に留めた淡泊な表現によって却って浮き彫りにされている。
ただ、恐らく日本人には本作を真に味わうことは難しいようにも思う。本作はコミカルな演出が施された作品ではあるが、
決してコメディ映画ではない。にもかかわら日本人は、無意識的にコミカルな部分に反応してしまい、
日本人であるが故に描写の中の違和感を必要以上に看取してしまうということもあるだろう。結果として、
本当に注目すべき二人の繊細な交情が笑いの中に埋没してしまい、二人の関係性に孕まれた"切なさ"をそれほど切実には感じ取れないのである。
映し出される舞台に誰よりも近いはずの我々日本人が、作品からは最も遠いところに置かれてしまいかねないというのは、なんとも皮肉な話だ。
ともあれ、若干首を傾げたくなる描写も見受けられはしたものの、概ね異邦人の目に映るTOKYOの風景/日本人像を、
そのまま切り取ったと言って差し支えない本作の映像には、強烈な異化作用が含まれていることは誰もが認めざるを得ないだろう。
人によってはそれ故に強い拒絶反応を示すかも知れないが、今後「現代日本(の風俗と風景)」
を語る上で本作を引き合いに出されるようになることは間違いあるまい。
(2004.5.3)
主なキャスト / スタッフ
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