世界の終わり/人類滅亡。人々は巨大な破壊の前になすすべもなく立ち尽くし、絶望を道連れに逃げ惑うのみ――。
健全な少年ならば誰もが一度は夢見たであろう、甘美な世界終末の悪夢を、かのスティーブン・スピルバーグが巨額の予算を投じて映像化した。
しかも素材は世界中の少年たちを空想科学の夢魔に引きずりこんだH・G・ウェルズ。これはピーター・ジャクソンが『キング・コング』
をリメイクするといった次元の話ではない。
顔の見えない敵に追われる恐怖を克明に描いた『激突!』、パニック映画の金字塔『ジョーズ』、未確認飛行物体に魅入られた挙句、
家庭も地球も捨てて宇宙へ旅立つ男の「夢こそまこと」という生き様を全面的に肯定した『未知との遭遇』、
CGという悪魔の技術によって現代の孤島に恐竜を現出させてしまった『ジュラシック・パーク』……。
そんな途方もないホラ話ばかり撮ってきたスピルバーグの『宇宙戦争』は、
ともかく1800円という入場料金を決して無駄にしない傑出したホラ話に仕上がっている。
その週末、トム・クルーズ演じる港湾労働者のレイは、別れた妻から、息子のロビーと娘のレイチェルを預かることになっている。
駄目人間である彼は、反抗期のロビーにキャッチボールを強制し、腹をすかしたレイチェルには宅配のマズイめしを喰わせ、自分は
「働いてるから寝る」と言ってベッドに寝転がる。
(……この映画は、このわずかな午睡のあいだにレイが見た夢なのかもしれない。侵略者によって地球が刻々と滅ぼされる中、
引き離されていた子供たちを死守して、妻の実家のもとへ送り届ける。そのことによって、子供や元妻からの信頼や尊敬、
男としての誇りを取り戻す――といった、都合の良い夢……)
……目を覚ましたレイは、ロビーが自分の車に乗って外出したと知って激怒、通りに出る。すると、近所の人々が集まり、
自分の家を写真に収めているのを見て驚く。だがちがった。人々はレイの家の背後に立ち込めた、不穏な暗雲にカメラを向けていたのだ。
その暗雲こそ、侵略者が世界を破壊する第一の兆候である。主人公がいかにして変異に気づくか、というシチュエーションで、
こうしたささやかな工夫を凝らすスピルバーグ節がたまらない。そして、そうした工夫が顕著に見られ、かつ成功しているのは、やはり
「世界の終わり」の大風呂敷を広げた前半だ。
侵略者は空から現れるのではなく、地底に埋め込んでおいた古風なマシン、トライポッドを起動させて、
やおら都市の破壊と人類の抹消に乗り出す。トライポッドの放つ熱光線で建物は破壊され、人は着衣のみ残して塵と化す。道路がメリメリと裂け、
車が宙を飛び、建物が粉砕され、火を噴き、平和だった街角があっという間に阿鼻叫喚の地獄と化してゆく。その一連の描写は圧巻だ。
娯楽映画のセオリー通りに(あるいは夢ゆえに)、レイは傷一つ負うことなく熱光線から逃げて逃げて逃げまくるのだが、
その危機また危機のつるべ打ちに、「少年の夢」らしい冒険映画の魅力が炸裂していて感動的だ。
レイ一家は車をかっぱらって街から逃げ出すが、ようやく辿り着いた別の街で、暴徒化した人々に取り囲まれてしまう。
ゾンビ映画さながらに怒号をあげる彼らは、レイたちを追い出し、車を強奪。しかし、車を強奪した男も別の気の触れた男に射殺されてしまう。
ここで初めてレイが見せる絶望の表情と、男の涙。人物の感情の変化をさらりと、しかし丹念に描く巧妙な筆致がいい。
フェリーに乗るため港に向かう人々。踏み切りを渡ろうとすると、遮断機が降りる。仕方なく通過待ちをしていると、
茫々と火を噴く列車が目の前を通過していく。それを呆然と見守る人々――。このぞくぞくするような終末の風景は、
ほとんどエロティックですらある。
やっとの思いで乗り込んだフェリーは、水中を移動するトライポッドによって転覆。ほうほうの体で逃れついた丘の向こうでは、
侵略者と州軍との戦争が始まっている。超低空で出撃する戦闘用ヘリ、戦車、兵士たち。だが敗戦の色濃厚らしく、一体何が起きているのか、
火を噴くジープが何台も何台も丘の向こうからゴロゴロと斜面を下ってくる。やがて炎を吹き上げながら姿を現す巨大なトライポッド――。
まさに悪夢だ。映画に渦巻く「少年の夢」の計り知れないパワーが、映画全般の恐ろしくパンチのきいた演出を可能にしている。
レイが、子守唄一つ歌えない、無知で粗野な労働者であるという設定も見逃せない。冒頭、侵略者がもたらした稲妻の連打を見て、
恐怖に震える娘そっちのけで、レイは「ワオ!」と大喜びする。さらに町の交差点に亀裂が走るのを見て、
興味のあまりその場から離れられなくなる。彼には大人らしい理性とか賢明さが欠けているのだ。彼は少年のように興味の赴くまま行動し、
バタバタと人が殺戮され始めてから、ようやく自分には守るべき家族がいたことに気づく。後半、映画が多少なりともつまらなくなるのは、
彼が父親としての責任に目覚めてしまうからだろう。
同じ宇宙人襲来を描いた『インディペンデンス・デイ』は米国大統領を主人公に据えるという荒業で反撃のカタルシスを追求したが、先祖代々、
捕囚やらあてどのない彷徨やら大虐殺という憂き目に遭ってきたユダヤ人のスピルバーグには、そんな野蛮な発想はない。『ジュラシック・
パーク』のティラノサウルスに誰一人としてトドメを刺せなかったように、ここでも人々はなすすべもなく逃げ続けるだけであり、
虐殺されるだけ。「そしてすべては沈黙に帰した――」そんな終わり方もあるいはあったのかもしれないが、
ここではそういったやり方はとっていない。夢はいつか終わるものだ。午睡から目覚めたレイが、
侵略も虐殺も破壊もなかった現実世界に戻ることを思うと、他人事ながら胸が痛い。
(2005.7.18)
