東京の孤独(1959年・日活) |
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■スタッフ |
■キャスト |
なかなか良くできたプロ野球映画。芦川いづみは『秀子の応援団長』(千葉泰樹監督・40年南旺映画)の高峰秀子と同じく、
プロ野球の監督の身内(義理の妹)で彼を精神的にバックアップする役どころ。
マイトガイ旭とエースのジョーが、プロ野球のピッチャーとバッターで対戦するというだけでファンにはたまらない。
しかも二人ともなかなか様になっている。旭は天覧試合の先発を努めたタイガースの小山ばりのダイナミックなピッチングフォーム。
対するジョーは「最後の四割バッター」デッド・ウィリアムスばりのダウンスウィング。
現場とフロントの確執もリアリティがある。新人二人の獲得工作で見せる のオーナーと西村晃の番記者の黒い談合など、
さながら現在のドラフトを巡るスキャンダルを見ているよう。博多で貧乏女中をしている旭の母親(田中筆子)の頬を札束でたたき、
彼に有無を言わせず入団に持ち込む下りなど、特に生々しい。
結局、旭は西村に一杯食わされ、自分を見い出してくれた大坂志郎の監督とは敵対するチームに入団する羽目になる。そこで旭は
「騙されたとはいえ、あなたを裏切ってしまって…」と に頭を垂れてしゃくり上げる。なんとも女々しいが、とても好感が持てる。
この女々しい好感度はチャンユーにはない魅力だ。チャンユーが都会的な洗練された若者像であったのに対し、
旭はどこか田舎臭さが残る純朴な青年像だったと思う。まさに「燃える男の赤いトラクター」なのだ。
(美空ひばりとの別れ話もけっこう女々しかったりして。「悲しい酒」のように)
ところで、本作は当時のジャイアンツと大毎オリオンズの全面協力を得て球場のシーンが撮られたようだが、一つ気になったことが。
キャッチャーがどれも捕球の際に右手を添えているのだ。当時はそれが基本動作だったのだろうか?
現在のように突き指防止のために右手を腰に隠すのはいつからだろうか?(メジャーでは、
70年代に史上最強のキャッチャーと言われるシンシナティ・レッズのジョニー・ベンチが始めたとか?)
月丘夢路が良妻賢母を、安部徹が誠実なコーチングスタッフを演じているのも珍しいが、最後に一番気になるのは『東京の孤独』
というタイトルの示唆するところだろう。「プロ野球の監督は孤独なものだ」ということなら、孤独を甘く見ては行けないと思う。
サンデー毎日に連載された井上友一郎の同名原作ではどのような文体で描かれているのだろう? ちょっと興味がある。
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