わが教え子、ヒトラー
9月6日(土)、Bunkamuraル・シネマ他にて全国順次ロードショー
史実をベースにした新たな視点で、
独裁者ヒトラーを描く衝撃と感動のヒューマン・ドラマ
1944年12月、連合軍との戦いに疲弊しきったナチス・ドイツの命運は、もはや風前の灯火だった。宣伝相ゲッベルスは来る新年の1月1日に、ヒトラー総統の大演説によって国威を発揚する起死回生の計画を思いつく。しかし肝心のヒトラーは鬱状態で、執務室に独りで引きこもっている有様。わずか5日間でヒトラーに全盛期のカリスマ性を取り戻させるという困難な任務を託されたのは、元俳優のユダヤ人教授だった……。
数々の映画祭に出品され、本国ドイツで大ヒットを記録した『わが教え子、ヒトラー』は、悪名高き独裁者アドルフ・ヒトラーの人物像を新たな視点で掘り下げた話題作である。世界的な大反響を呼び起こした『ヒトラー ~最期の12日間~』、アカデミー外国語映画賞を受賞した『ヒトラーの贋札』などを例に挙げるまでもなく、21世紀の今もナチスとヒトラーは歴史映画の重要なモチーフであり、語られるべき多くの真実が未だに眠っている。その流れを汲む『わが教え子、ヒトラー』は、“ヒトラーに演説指導した人物が存在した”という驚くべき史実にアイデアを得て、巧妙なフィクションを織り交ぜた衝撃と感動のヒューマン・ドラマだ。
ドイツ映画史上においてセンセーショナルな皮肉とユーモア、
知性に満ち溢れた問題作
政治家にとって言葉は命。類い希なスピーチの才能によって民衆を熱狂させ、強大な権力者にのし上がってきたヒトラーにとってはなおさらである。そんなヒトラーが第二次世界大戦末期には病に苦しみ、精神的に不安定だったことも歴史上の事実。自らオリジナル脚本を執筆したダニー・レヴィ監督は、ゲッベルスからヒトラーの再生を命じられた“教師”を何とユダヤ人に設定し、意外性抜群で鋭い皮肉のこもったストーリーを映画化した。
ちなみに『イカれたロミオに泣き虫ジュリエット』『ショコラーデ』などで知られるレヴィ監督自身もユダヤ人。ヒトラーを描くにあたっては神経質にならざるを得ないドイツ映画界において、本作ほどヒトラーをユーモラスかつ“人間味豊か”に表現してみせたセンセーショナルな作品は史上初であろう。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、軍需大臣アルベルト・シュペーアらのナチス最高幹部、愛人エファ・ブラウン、さらにはヒトラーの愛犬ブロンディまでも交えた群像劇が、スリルとブラックユーモアたっぷりに展開。型破りなアプローチで歴史の本質に迫ったレヴィ監督の演出は、大胆かつ繊細に冴え渡り、観る者の知的好奇心を刺激する快作に仕上がっている。
『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエが
“ヒトラーの演説指導者”を体現
幼少期のトラウマを告白して孤独で惨めな姿をさらし、暗殺の恐怖にうろたえるヒトラー。そうした独裁者の意外な一面のみならず、彼への1対1のセラピーを行う演説指導者グリュンバウムのキャラクターもこのうえなく興味深い。ユダヤ人のグリュンバウムにとって、当然ヒトラーは最も忌むべき憎悪の対象だ。心の壊れかけた無力なヒトラーを殺すチャンスは、今まさに目の前に転がっている。しかし最愛の妻と子供たちを強制収容所から救い出すためには、ナチスへの忠誠を尽くさねばならない。その激しい葛藤の果てに訪れる壮大なクライマックスの演説シーンで、グリュンバウムはいかなる行動に打って出るのか--。これは家族と同胞のユダヤ人のために、ナチスへの抵抗を貫いた男の人間愛の物語。グリュンバウムが決死の思いでたどる壮絶な運命に、心揺さぶられぬ者はいないだろう。
そして主演を務めるのは、数々の映画賞に輝いた大ヒット作『善き人のためのソナタ』で絶賛された旧東ドイツ出身の名優ウルリッヒ・ミューエ。迫害されるユダヤ人の悲哀を滲ませながらも、家族を深く慈しみ、ヒトラーやゲッベルスと力強く渡り合うグリュンバウムを、静かな気迫をこめて体現した。これが惜しくも遺作となったミューエの入魂の名演技を、しっかりと胸に刻んでおきたい。
1944年12月25日、ナチス・ドイツは連合軍との戦いに敗れ、完全な劣勢に陥っていた。国家存亡の危機にナチスきってのアイデアマンである宣伝大臣ゲッベルスは、100万人の市民を前にしたヒトラーの雄雄しい演説を撮影しプロパガンダ映画に仕立て国民の戦意も高揚させようと企てる。しかし、肝心の総統ヒトラーは心身を病んで自信喪失し、とても民衆の面前に出ることなど出来ない有様だった。そこでゲッベルスが白羽の矢を立てたのは、世界的ユダヤ人俳優アドルフ・グリュンバウム教授だった。わずか5日間でヒトラーの演説を再生させるための教師として、強制収容所から総統官邸へと移送され、収容所に残された自分の家族と一緒に暮らせることを条件にこの任務を引き受けることにする。演説を指導するうち、苦悩するグリュンバウム教授。愛する家族を救い出し生き残るべきか、同胞ユダヤ人のためにヒトラーを殺すべきか――。葛藤するグリュンバウム教授は5日後の演説当日、ヒトラーさえも想像しない驚くべき行動に出るのだった……。
◆ダニー・レヴィ監督コメント◆
演出されたリアリティ
ドイツでは映画による歴史の再構築とは、主に既知の事実の複製として本物らしく信憑性があるように作るという大志をもって行われている。だが私はこの大志、つまり映画は真実を語ることができる--本物らしく再現され、歴史的事実を反映しているとされる――ことに懐疑的だ。『シンドラーのリスト』を見たときに、それは不可能だと確信した。独断的と思われることは承知だが、あのような出来事を映像化するのは無理だと私は考える。映画とは芸術の一形態であり、実際に描写不可能なテーマへのアプローチを可能にするためには、ある種の距離や、別のレベルのリアリティを必要とする。『わが教え子、ヒトラー』のためには、史実と関連性がありながらもシュールレアルな真実を創作しなくてはならないと感じていた。
扉を開けてくれたもの
いい意味で最も大きなきっかけは、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』だった。禁じられた領域に許可なく入り込んだ映画だったからだ。初めて作品を見たときはすっかり混乱してしまった。あのような架空の詩的な寓話の舞台が、強制収容所だったということに圧倒された。イタリアには、特にファシズムに関するものには何世紀もの間、こうしたシュールレアルな現実の伝統が存在する。例えばリナ・ウェルトミューラー監督の『セブン・ビューティーズ』(76)、あるいはパゾリーニなど。東ドイツではユーレク・ベッカー(脚本)の『嘘つきヤコブ』(75)がとてもユニークで、まるでお伽話のような物語スタイルを取っている。このような作品にインスピレーションを受けた。
コメディ
喜劇は素晴らしい。笑いの中に潜在的な洞察力が眠っている。確かではないが、喜劇の方が悲劇よりも教育的なのかもしれない。ユーモアを伴うと、真面目で忠実な描写よりも、政治的心理学的な真実により近づくことができる。喜劇は誇張を可能にし、より辛らつになり、矛盾を明らかにする。この映画の製作過程で、私が感じた密かな楽しみは、キャラクターたちを私の思うとおりに解体する自由にあった。登場する男たち、ヒトラー、ゲッベルス、ヒムラーたちが何を企んでいるのか知らない人はいない。風刺によって、彼らが持つ影響や起こした行動に変更を加えることはできない。だが心理的な性格描写の段階で彼らを貶めたり、怪物の地位から引きずり下ろしたりすることはできる。喜劇という手法によって、これらのキャラクターを解剖し、彼らの本質を明らかにして、あの時代の心理状態について何かを学ぶことができればいいと思う。
ポール・デヴリエン
数年前にポール・デヴリエンの「我が教え子(マイン・シューラー)アドルフ・ヒトラー」が再版された。彼は実際にアドルフ・ヒトラーに演技指導を行った人物だ。最初その話を聞いたとき、私ははっきりとこれは喜劇の題材にふさわしいと感じた。誰かがアドルフ・ヒトラーに話し方や呼吸方法、プレゼンテーションスキルを教えたというアイデアは、私の想像を刺激した。デヴリエンをユダヤ人のグリュンバウムに変え、時代を1944年12月に設定することは、フィクション化の作業としては、とても小さなステップにすぎない。そして、これは実にユダヤの伝統に従ったスタイルだが、演技教師は心理学者へと徐々に変化していく。教室でのレッスンは何時間ものセラピーへと形を変えていくんだ。
ウルリッヒ・ミューエ
ウルリッヒ・ミューエはとても物静かで、紳士で、素晴らしい喜劇俳優だ。彼の美しい瞳の演技に、いつも心を動かされてきた。私はグリュンバウムのキャラクターには、ぼんやりとしたアイデアしか持っていなかった。彼は観客が感情移入するキャラクターだが、“善人”なので騒がしく目立ってはならず、最初は“コミカル”に見えてもいけない。それは観客の心を動かす力を持ちながら、喜劇の主役として説得力のある俳優が必要だということを意味していた。国家社会主義の権力中枢で、常に生命を脅かされる状況にいる、か弱いユダヤ人だということを忘れずに、シチュエーション・コメディを展開することができる俳優が必要だったのだ。ウルリッヒの存在で、私はユーモアを限界まで表現することができた。微妙なユーモアからスラップスティック的な芝居まで、彼は完全に自分をコントロールできていた。彼のキャラクターで最も難しい要素は、強さと弱さが混じり合っている点だ。グリュンバウムは自分が相手にしているのは、ヒトラーとゲッベルスであり、面白おかしく、とるに足らない人物ではないことを忘れることはできない。些細なことに聞こえるかもしれないが、これはウルリッヒにとって最も難しい課題だった。その一方でグリュンバウムは、知性と抜け目のなさ、そして最も重要な勇気を見せなくてはならなかったんだ。
1953年、旧東ドイツ・ザクセン州グリンマ生まれ。演劇学校で学んだのち、さまざまな劇場の舞台に立ち、古典からポピュラー喜劇まで幅広く「天才的」と評されるほどの演技の才能を発揮。また1980年代前半から50本以上の長編映画、TV映画に出演している。 映画界では『Halfte des Lebens』(85)、『Spider's Web』(89)などで広く知られるようになり、鬼才ミヒャエル・ハネケの『ベニーズ・ビデオ 』(92・未)、『カフカの「城」』(97・未)、『ファニーゲーム』(97)に相次いで出演。そのうち『ファニーゲーム』では妻のスザンヌ・ロタールと共演を果たした。名匠コンスタンタン・コスタ・ガブラスが手がけた『ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼』(02・未)では、ナチスの殺人医師メンゲレを演じている。そして日本でも大ヒットを記録し、アカデミー外国語映画賞ほか多くの映画賞に輝いた『善き人のためのソナタ』(06)では、市民を監視する国家保安省の大尉を演じて世界的な評価を獲得。その繊細な演技もさることながら、かつて彼自身も国家に監視されていたという経歴が注目を集めた。同作品でヨーロッパ映画賞男優賞、ドイツ映画賞主演男優賞などを受賞。2007年7月22日、惜しくも54歳にして胃ガンのため死去した。
1955年生まれ。16歳の若さでドゥイスブルグ音楽院に入学してピアノを学ぶ。ミュージシャンとしてツアーを行い、サイレント映画の伴奏、ラジオやTVの収録、映画音楽の作曲など幅広く活躍する。1989年に初のアルバムリリース。その後、3年間で5枚のアルバムを世に送り出し、ドイツで最も有名なアーティストのひとりとなった。ヴェルナー・ネケス監督作品『Johnny Flash』(86)で主演を務めて以降、数多くの映画に出演しており、1993年には主演を兼ねた長編初監督作『Texas-Doc Snyder halt die Welt in Atem』を発表。2004年にはヒット作『Jazzclub-der Fruhe Vogel Fangt den Wurn』で監督・脚本・音楽・主演を務めた。スリラー小説やフィクション旅行記など8つの著書もある才人である。
1958年、ザクセン=アンハルト州生まれ。ベルリンの州立演劇アカデミーで学び、ベルリンのドイツ劇場などで数多くの舞台に立つ。演劇界でのキャリアと並行して数々の映画に出演し、フランク・バイヤー監督の旧東ドイツ映画『冤罪』(83・未)の主演で高く評価された。その後もヨゼフ・フィルスマイアー監督の戦争大作『スターリングラード』(93)のほか『The Volcano』(99)などに出演。TV界でのキャリアも長く、冷酷な秘密警察のスパイを演じた『Romeo』(02)ではバーデンバーデンTV映画祭で特別賞などに輝いた。
1960年、クロアチアのザグレブ生まれ。イタリアとドイツで育ち、ベルリンの芸術単科大学で演劇を学んだのちにニューヨーク大学でも学んだ。自らが設立に関わったベルリンの劇場で長らく女優、脚本家、演出家として活動し、1980年代半ばからは多彩な映画・TV作品に出演。主な出演作はルドルフ・トーメ監督の『フィロソファー』(88)、ライナー・カウフマン監督の『Kalt ist der Abendhauch』(99)、ファイト・ヘルマー監督の『ゲート・トゥ・ヘヴン』(03)、ダニー・レヴィ監督の『Go For Zucker!』(04)など。ベルリン映画祭でキャスト全員に銀熊賞が贈られた『Paradiso』(99)にも出演している。
1959年、スイスのベルン生まれ。ベルンの音楽・演劇学校で学んだのち、1986年にハンブルクのタリア劇場への出演を果たし、そこで10年近く著名演出家のもとでキャリアを積んだ。演出家、舞台音楽の作曲家としても活動する一方、映画やTV作品に多数出演。主な映画出演作にはオットカー・ルンツェ監督の『Der Vulkan』(99)、マリア・フォン・ヘランド監督の『ビタースウィート』(02)、クリス・クラウス監督の『4分間のピアニスト』(06)など。
1957年、スイスのバーゼル生まれ。バーゼルの舞台に出演したのち、1980年以降ベルリンに拠点を移す。若いカップルの純愛を型破りなストーリー展開で綴った監督デビュー作『イカれたロミオに泣き虫ジュリエット』(86)が、ベルリンでロングラン・ヒットを記録。『Robby Kalle Paul』(88)、『I Was On Mars』(91)に続く短編映画『Ohne Mich』(93)ではミュンヘン映画祭最優秀監督賞を受賞した。その翌年、シュテファン・アルント、ウォルフガング・ベッカー、トム・ティクヴァらと制作会社〈X-Filme Creative Pool〉を設立し、同プロダクションの初期作品として『盗聴2』(95・未)を監督した。監督&主演を兼任した『ショコラーデ』(98)では、ババリア映画賞の作品賞と撮影賞を獲得。その後はテーマパーク向けの360度パノラマ映画やミュージック・クリップなどを手がけ、近作のコメディ『Go For Zucker!』(04)ではドイツ映画賞の作品賞、監督賞、脚本賞など数多くの賞に輝いた。
1961年、ミュンヘン生まれ。独学でプロデューサーとなり、1984年に〈Berlin Sputnik Collective〉を設立。トム・ティクヴァ監督のデビュー作『マリアの受難』(93)の製作を務めたのち、ダニー・レヴィらと制作会社〈X-Filme Creative Pool〉を共同設立する。その後、プロデューサーとして携わった作品にはダニー・レヴィ監督の『盗聴2』(95)、『ショコラーデ』(98)、ウォルフガング・ベッカー監督の『グッバイ、レーニン』(03)、セバスチャン・スキッパー監督の『ギガンティック』(99)、トム・ティクヴァ監督の『ウィンタースリーパー』(97)、『ラン・ローラ・ラン』(98)、『プリンセス・アンド・ウォリアー』(00・未)、『ヘヴン』(02)、アヒム・フォン・ボリエス監督の『青い棘』(04)、浅野忠信主演の『モンゴル』(07)などがある。『グッバイ、レーニン』でヨーロピアン・プロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2003年9月からドイツ映画アカデミーの理事長を務めている。
1958年、スイス生まれ。フルート奏者としての修練を積んだのち、1980~1984年にボストンで映画音楽の作曲法を学び、バーゼルの音楽学校でもさらに深く音楽を学んだ。その後はミュージシャンとして活躍する一方、ダニー・レヴィ監督のデビュー作『イカれたロミオに泣き虫ジュリエット』(86)に参加したことから、同監督の大半の作品の音楽を手がけるようになる。カロリーヌ・リンク監督とのコラボレーションでも知られており、同監督の『ビヨンド・サイレンス』(96)、『点子ちゃんとアントン』(00)、『名もなきアフリカの地で』(01)、レヴィ監督の『ショコラーデ』(98)でドイツ映画賞に4度輝いている。その他の主な作品は『愛され作戦』(94)、『飛ぶ教室』(03)など。
〈準備から完成までわずか1年!〉
一般的に歴史映画は長い時間を費やして作られるが、『わが教え子、ヒトラー』はコンセプト作りから完成まで約1年という短期間で製作された。「1000~1500万ユーロ程度の大規模なプロジェクトには絶対にしたくなかった」とダニー・レヴィ監督は語る。「とにかく一刻も早く資金をかき集めて映画を完成させたかったんだ。脚本を書き上げたときに感じていた反逆心や情熱を、冷めないうちにそのまま映画に注ぎたかったからね」プロデューサーのシュテファン・アルントが続ける。「たった7週間の準備期間で、我々はこの映画の撮影を開始した。その間にロケ地を決めてセットを組み、衣装を用意して、崩壊寸前のベルリンをどう表現するか、ヘルゲ・シュナイダーをどうやってアドルフ・ヒトラーに見せるか頭をひねった。まったく無謀なプランだったよ」
〈マスコミが殺到した大がかりなロケ〉
映画の主な舞台となるヒトラーの総統官邸。スタッフはその内観の撮影にふさわしい場所として、お互いをうまく結びつけられるふたつの建物をベルリン及びその郊外に見つけた。クランプニッツの旧ロシア軍兵舎とシャルロッテンブルクの地方裁判所である。一方、総統官邸の中庭を撮影するにあたっては、現在の財務省(当時は空軍省の建物だった)の中庭が使われた。財務相ペーア・シュタインブリュックは、建物の撮影に加え、ナチスの旗を数時間掲揚することも許可した。また、ベルリンのルストガルテンでのラスト・シーンの撮影にあたっては、大勢のエキストラが動員されたうえに、ベルリン大聖堂前の大広場は封鎖され、国家社会主義時代の様子がすっかり再現された。「これはこっそりできる撮影ではなかった。ヨーロッパ中の新聞の一面を飾ってしまった」とシュテファン・アルントが振り返る。「こんな歴史的な場所でオープンカーにヒトラーを乗せ、大群衆の中を“ハイル!”なんて叫ばせるわけだから、(マスコミの取材を)避けられるわけがなかったよ」
〈模型とCGを融合して荒廃したベルリンを創出〉
ダニー・レヴィ監督はこの映画を作るにあたって、史実に細かく従わず“史実に基づいた創作”にすることを決めていた。美術や衣装などのスタッフには、史実にもとづく再構築をベースに、彼らの自由なイマジネーションを盛り込んでもらうようにしたという。
ヒトラーの総統官邸が建つ通りの巨大な廃墟のような光景を映像化するにあたっては、発泡スチロールを積み上げて制作した模型を使った旧来の撮影方式が採用された。模型撮影及び映像効果のスーパーバイザーであるフランク・シュレーゲルは、模型とCGの選択について次のように語る。「近年は残念なことだが、短絡的にCGの使用を選ぶ風潮がある。しかし私は大スクリーンで公開される劇場映画では、CGと模型の融合が最も有効だと思う。セットの利点はその表面のリアルさ、カメラに捉えられたときの光との相互作用の点で、CGを凌駕するところにある。『ロード・オブ・ザ・リング』でピーター・ジャクソンが模型撮影を多用して以来、ドイツでも模型撮影が見直され始めている」
幸運なことに、シュレーゲルの提案は監督らに受け入れられた。模型とデジタル技術を駆使し、総統官邸と廃墟と化したベルリンの風景が創出されたのだ。「我々のチームは17メートルもある総統官邸と、10メートルにも及ぶ爆破された家々の街並みを作り上げた。映画に一層の奥行きを与えることができたし、また同等の予算を使ってすべてCGで処理していたら、絶対にこのクオリティは出せなかったと思うね」
2007ローラ賞(ドイツ映画賞) 最優秀助演男優賞ノミネート(ジルヴェスター・グロート)
2007サンフランシスコ・ユダヤ映画祭 表現の自由賞受賞
2007モスクワ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品
2007モントリオール世界映画祭正式出品作品
2007バルティック・パール映画祭正式出品作品
2007コペンハーゲン国際映画祭正式出品作品
2007ドイツ映画祭パリ正式出品作品
2007ワルシャワ国際映画祭正式出品作品
2008 ドイツ批評家協会賞 最優秀男優賞 (ウルリッヒ・ネーテン)
<キャスト>
アドルフ・グリュンバウム教授:ウルリッヒ・ミューエ
アドルフ・ヒトラー:ヘルゲ・シュナイダー
ヨーゼフ・ゲッベルス博士:ジルヴェスター・グロート
エルザ・グリュンバウム:アドリアーナ・アルタラス
アルベルト・シュペーア:シュテファン・クルト
ハインリッヒ・ヒムラー:ウルリッヒ・ネーテン
ラッテンフーバー親衛隊中将:ランベルト・ハーメル
マルティーン・ボルマン:ウド・クロッシュヴァルト
SS(親衛隊)衛兵モルトケ:トーステン・ミヒャエリス
エーリッヒ・ケンプカ:アクセル・ヴェルナー
プフケ親衛隊兵長:ヴィクトアー・シェーフェ
副官ハインツ・リンゲ:ラース・ルドルフ
バナー強制収容所長:ヴォルフガング・ベッカー
モレル医師:ベルント・シュテーゲマン
<ゲスト出演>
クルト・ゲルハイム:イリヤ・リヒター
エファ・ブラウン:カティヤ・リーマン
秘書:メレット・ベッカー
理容担当ロゼマリー・リーフェンシュタール:マリオン・クラハト
ケンプカの愛人(男性):ティム・フィッシャー
<スタッフ>
脚本・監督:ダニー・レヴィ
プロデューサー:シュテファン・アルント
エグゼクティブ・プロデューサー(WDR):バルバラ・ブール
エグゼクティブ・プロデューサー(ARTE):アンドレアス・シュライトミュラー
エグゼクティブ・プロデューサー(BR):ベッティーナ・ライツ
エグゼクティブ・プロデューサー:マルコス・カンティス
ライン・プロデューサー:ペーター・ハルトヴィヒ
撮影:カール-F・コシュニック
撮影・セット撮影:カーステン・ティーレ
プロダクション・デザイナー:クリスティアン・アイゼレ
セット&VFXスーパーバイザー:フランク・シュレーゲル
美術:ダリウス・ガナイ
衣装:ニコル・フィッシュナラー
メイク:グレゴアー・エックシュタイン、ジャネット・ラッツェルスベルガー
サウンドエンジニア:ラウル・グラス
ミキシング:フーベルト・バートロメ
編集:ペーター・R・アダム
オリジナル音楽:ニキ・ライザー
キャスティング:ジモーネ・ベアー
2007年/ドイツ映画/95分/ドルビーSRD/ビスタサイズ/
原題:Mein Fuhrer/字幕翻訳:吉川美奈子/テキスト協力:高橋諭治
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
http://www.waga-oshiego.com/
9月6日(土)、Bunkamuraル・シネマ他にて全国順次ロードショー
ヒトラー ~最期の12日間~
スペシャル・エディション
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ヒトラーの贋札
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善き人のためのソナタ
出演:ウルリッヒ・ミューエ
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主なキャスト / スタッフ
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