特集
(2007 / イラン / ハナ・マフマルバフ)
タマゴちゃんとカベぼういずの冒険

若木 康輔

子供の情景1試写の案内状を頂いて僕が『子供の情景』を見たのは、1月8日。イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザ侵攻が進められていた時です。この映画については何らかの形でぜひ書きたい、書かねば、と思っているうちに4月に入ってしまいました。グズグズしている間に、オバマ氏が米国大統領に就任してアフガニスタン派兵増加を決定し、村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチがありました。そして、海の向こうのニュースよりこの不景気をどうするかが問題だ、と言わんばかりの世間の重たい空気がありました。新聞に目を通す時間がいつもより多くなっているうちに、書くタイミングを逸してしまった感じです。

個人的な話から始めさせてもらいます。仕事の面で今年ここまで一番大きかったのは、十数年の付き合いだった番組制作プロダクションと縁が切れたことでした。東京タワーのそばに事務所を置き、以前はそれなりに仕事がまわっていたところなんですが、数年前にワンマン社長が高齢者向けDVDを自社製作し始めた途端に雰囲気がおかしくなり、もとの社員が全員離反した後は、溜まったギャラをなかなか払おうとしてくれなかった。とうとう僕も、もう仲間のいない会社相手の交渉をあきらめ、距離を置くことにしました。フリーランスの弱い者いじめなのか、本当に無い袖は振れない状態なのか、どちらかはよく分かりません。
そのプロダクションに役員として入った、ワンマン社長と懇意の女性が、地元に時折戻っては映画の上映会を主催したり映画評を書いたりラジオに出演したり、シネマなんとかストみたいな肩書きでかなりご活躍されているんですね。例えばこの『子供の情景』のような映画を見れば、

子供の情景2「私も学校に行きたい、勉強したいと願うアフガニスタンの少女のまっすぐな瞳がいじらしい。卵を売ってその代金でノートと鉛筆を買おうとバーミヤンの町へ出る、小さなガンバリ屋さん。なのに、その大事な卵が割れてしまった瞬間! 私の胸まで粉々に潰れそうだった。そして、タリバンの大人たちの姿に影響された、男の子たちの乱暴な戦争ごっこに巻き込まれた少女の、悲しみに満ちた表情……。彼女に再び笑顔をあげられるために、私に何ができるだろう? 号泣しながら考えさせられた。純粋ゆえに善にも悪にも染まってしまう子供たちの姿を通して戦争の愚かさを訴える、必見の一本である」

とまあ、まずこんな方向のレビューを書くタイプの女性です。やや自己陶酔のきらいがあるけれど、内容紹介に感性豊かなところのアピールを絡めてなかなか上手にまとめるタイブ。
アフガンの少女よりまずオレへの未払いを何とかしてくれ、と今更言いたいのではありません。ディフォルメした文体模写にしてはありますが、カッコ内の仮想レビューは『子供の情景』の短評としては模範解答に近いものです。あとは指定字数に合わせて、あのマフマルバフ一家のサラブレッド娘の監督作品であることや、キアロスタミの児童映画との相似について書いたり書かなかったりして調整すればいいわけで。放っておけばオレだってそういうレビューにするなあ、でもそれじゃあ何かが違ってくるよなあ、と漠然と思っていたから、なかなか書き出せなかった次第。

子供の情景3突き詰めると義務教育の時代、戦争体験を特別授業で伺ったり、まさに「戦争の愚かさを訴えた」物語を読んだり体育館で映画を見た後、さあ感想文を書かなきゃという際の、あの何とも形容し難い窮屈さ、決まったゴールに向けて逆算して作文しなければならない不自由さについて、思い出さざるを得なくなる。
いや、そういう導き方を全面否定するつもりはありません。世の中には、退屈をこらえて謙虚に耳を傾けるべきことがあります。それに好き嫌いや面白い面白くないの感情を越えて、多くのものを学び取ったポーズを示して見せるほうが重要な場合があると、若いうちから訓練するのは大切です。教育熱心な先生に対して〈スクスク個性と感受性を伸ばした〉振りをしてあげる、思いやりまで一緒に学べるのですから、なかなか含蓄の深い授業だと言えます。
ただ、それはあくまで処世術として覚えておくべきで、率直な感想と同化させてはマズいのですね。「戦争は絶対にいけないことだと思いました」とさえ書いておけば安パイ。こんなノウハウを身体の奥まで沁み込ませたまま大人になってしまうことを、僕は憂います。「命令されて殺したり殺されたりするのなんて、言われなくてもイヤに決まってんじゃん。だったら、どうして戦争はなくならないんだ? ワケわかんね~」とこっそり舌打ちする心の柔らかさを大切にしてほしいと願います。なにしろ戦争というのは、常識を重んじて身の回りの平和を望む大人ですら(いや、場合によってはそういう大人ほど)コロッと支持に走ってしまう実に「ワケわかんね~」ものです。本来は、学校の感想文のようにたやすく答えを出しても求めても、いけないものなのです。

子供の情景4それにしても。『子供の情景』は、全編にわたって素晴らしく瑞々しい映画です。
〈学校に行きたくて町に出た女の子が、タリバンごっこに熱中する男の子たちに捕まってしまう〉という童話めいた、可憐な器のなかに、アフガニスタンの現状が抱える諸問題を盛り込み、大きな物語にしていくハナ・マフマルバフの意識の高さ、表現力の豊かさ。その才能は隠れもありません。世界に知られる映画一家の環境云々で片付けられない、明らかに突出した才能です。
なにしろ、女の子が険しい岩場をちょこちょこ歩く姿を見ているだけで泣けてくる……とディティールをいちいち愛で出したらキリがない。シネフィルの方々向けには、かつて世界映画をリードしたエリセの『ミツバチのささやき』(1973)やタヴィアーニ兄弟の『サン★ロレンツォの夜』(1982)の鮮烈な感動を思い出させる。こう書いておけば十分という気がします。

テレビなどで見るハナさんは、もう、イランのあんみつ姫でござるかという感じで、実に聡明で活き活きとした、チャーミングな女性です。僕は才媛という存在にひたすらヨワいところがあるから、もし彼女の傍にいる同年代の映画青年なら、すぐに恋してしまったに違いない。でも、彼女の力になりたくて仕事をいろいろ手伝ううちに、つい余計な口を出してしまうんだろうな。「ハナはすごく頭がいい分、結論を早く出し過ぎるよ」とか。「あんまり子供の世界を図式で割ってしまうと、子供のパワーを認めないことになっちゃう気がする」とか。そのたびにハナさんを怒らせてしまい、しょげてしまうんだろうなあ。妄想なのに片思いというのは多分に趣味的ではありますが、いざ妄想してみると、『子供の情景』の素晴らしさに感じた一抹の疑問が、はっきりしてきます。

子供の情景5「おれたちゃ、いいか、追いはぎ強盗なんだぜ。覆面して、道路で駅馬車だとか、荷馬車だとか、そういったやつ止めたり、人殺したり、時計だとか、金だとか、そういったもの強奪したりするんだ」
ある小説からの引用です。ろくでもありませんね。こんなギャングスタな与太、どこのクソガキが飛ばしているのか分かりますか? 答えはなんと、あのトム・ソーヤーくんなのです。村の子供たちを洞穴に集めてギャング団を結成する、『ハックルベリー・フィンの冒険』の一場面です(渡辺利雄訳)。『子供の情景』の、タリバンになりきった男の子たちを見て思い出しました。
もちろんアメリカ文学永遠のアイドル、文科省特選少年のトムとハックが、そんな空想を実行に移すわけはありません。しかし、マーク・トウェインが描き出す19世紀のアメリカ南部は、銃による怨恨の清算やリンチ、黒人奴隷への虐待といった暴力が少年たちの身近に生々しく存在していた土地です。荒っぽい冒険が好きな男の子は大抵、空想好きとイコールですから(本サイトの膳場岳人氏による「懐かしのランボー・ボーイ」を読まれたし)、自然と遊びのモデルは身の回りのなかで一番刺激が強くて、危険な事象になりがちです。

要するに、男の子たちがタリバンごっこに熱中する姿を、まるで邪悪な精神に取り憑かれたような、痛ましいものとして提示することが果たして正しいのか? 本当に必要なのは、子供は悪い影響すら成長の糧にしていくのだと示す希望的ユーモアだったのではないか? そんな疑問があるのです。抑圧を好む人たちの身振りは、実はガキんちょたちがすぐに真似して遊べる程度に単純なのだと、巧まぬ形での喜劇的批判がとても見事に出来ているわけですし。
一方で、「圧倒的な軍事力による破壊を目の当たりにした多感な子供たちは、暴力の衝動にかられやすい」という、ドキッとする指摘もあります(WHOガザ支部職員のコメント。今年1月25日の朝日新聞より)。確かに周囲の環境に何のフォローもなければ、悪い影響は子供たちの将来まで変えてしまうでしょう。だからこそこの映画の後半は、悲劇的なトーンに収斂させたりせず、さらにその先までストーリーを進めてほしかった。戦争ごっこの荒っぽい快楽が文房具の魅力によって次第に腰砕けになるようすまでを、明るくおかしく描いて、能動的なメッセージにしてほしかった。

子供の情景6子供の情景7「文藝春秋」4月号に掲載された、村上春樹氏のいわゆる〈壁と卵〉スピーチは、天然の湧水のようにスースーと体の中に入ってくるものでした。実は断片的に紹介されていた時点では「そんな二択な例えをしたら、ふだん壁にいる自覚がない奴ほどワタシはもとから卵の側だった、オレだって、と我先に言い出すっつーの」と、あまりピンとこなかったのです。面倒くさがらずに全文を読むことで比喩の意味が初めてよく分かる、典型のような文章でした。
卵の側に立つという言葉が、ヒロイックな色彩を帯びてしまう危うさにまで考えを及ばせる勇気が、僕たちには必要です。 もっと率直に言うと、『子供の情景』が良識的な映画評を書く(書きたい)人たちによって絶賛され、「アフガニスタンの子供たちがかわいそうで胸が痛んだ」「戦争は絶対にいけないことだと思いました」といった声が集まるのは、もう目に見えています。しかし、そんな表面をなぞったレベルでさっさとまとめられては、当の子供たちがたまらん、と僕は思っているのです。

とはいえ、重たいテーマを笑いにくるめて呑み込ませ、見た人の胃袋にズシンと効かせるなんて芸当は、チャップリンやイマヘイですら三十過ぎてやっと掴んだ高みの境地。ハナさんは今年21歳なんだから、まだまだ可能性に果てがありません。『子供の情景』をステップにして跳躍する彼女がいずれもっと大きくて温かいまなざし(つまりはやはり、ユーモア)を掴む時、妄想ではなく本当に、世界は彼女に恋するでしょう。

(2009.4.5)

子供の情景 2007年 イラン
監督:ハナ・マフマルバフ 脚本:マルズィエ・メシュキニ 製作:メイサム・マフマルバフ
撮影:オスタッド・アリ 美術:アクバル・メシュキニ 音楽:トリブ・カーン・シャヒティ 編集:マスタネー・モハジェル
出演:ニクバクト・ノルーズ,アッバス・アリジョメ
公式

4月18日より、岩波ホールほか全国順次ロードショー

タヴィアーニ兄弟傑作選 DVD-BOX
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『サン★ロレンツォの夜』の単品は廃盤中。
ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール
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『ミツバチのささやき』の単品は廃盤中。

2009/04/06/17:59 | トラックバック (1)
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