『天国での七分間』コンペティション
テロの被害に遭った女性のトラウマを描いたイスラエル映画だが、硬派な社会派映画と思いきや、大胆なトリックを仕掛けて観客を翻弄する一筋縄ではいかない作品である。
その朝、ガリヤは恋人のオレンと諍いを起こしていつもと違うバスに乗ってしまう。そして、彼女を追いかけてバスに乗り込んだオレンと共に自爆テロに遭遇する。自らの命はとりとめたものの、恋人を亡くし、体のみならず心にも深い傷を負ったガリヤの心象風景をミステリー仕立てに描写し、失われたテロの記憶に迫る。当然ながら自爆テロの加害者はイスラム過激派だが、決してテロリストを非難することが目的ではない。
テロに遭う前の幸せな生活、テロの惨状、テロの傷跡……と時系列に沿って描写すれば、テロの脅威と無益さが伝わりやすいと思うが、こうした正攻法は用いずに、ガリヤの失われたテロの記憶を境に、その前後のエピソードをコラージュし、幻覚を交え、幾つかの謎を提示し、観客を撹乱しながら、物語の核となる“天国での七分間”に迫っていく。
あのバスに乗らなければという後悔と、喧嘩したまま永遠の別れを迎えたオレンへの罪悪感、そして逃れることのできない恐怖、そういったガリヤの心の痛みが“天国での七分間”に反応して、予測のつかない方向へ急展開を見せる。
正直なところ、想定外のラストにはしばらく事態が呑み込めず困惑した。痛みが投影された余りに切実な幻影であれば受け止めやすいが、超常現象を描いた荒唐無稽な虚構として捉えるには抵抗がある。
新鋭オムリ・ギヴォン監督は、リアリティの呪縛に囚われずに、テロを魂の問題として捉え、犠牲者へのレクイエムを奏でる。その文脈には少なからず違和感を覚えるし、記録の空白を埋めるクライマックスのフラッシュバックが単調なため、その後の急転直下の展開が説得力を欠いた感が否めない。
人生に"IF"を用いることは無意味だが、それをせめて映画のフィクションの世界に求めたい。その切なる祈りの背景に敢えてテロを用いる必要性には疑問を覚えた。
『ペルシャ猫を誰も知らない』コンペティション 審査員特別賞受賞
今回のコンペティションには、イランが抱える闇を告発する骨太な作品が2本入っている。その1本がバフマン・ゴバディ監督の『ペルシャ猫を誰も知らない』である。
ゴバディ監督は当初来日予定だったが、ビザが発給されず急遽キャンセルになったらしい。イランのアンダーグランドで活動するミュージシャンたちに刺激されて制作したという本作は、イラン政府の許可を得ずに撮影され、しかも検閲制度を批判する内容のためかゴバディ監督はイランに入国できないという。
ゴバディ監督と言えば、映画を通してクルド人のおかれた状況を告発してきたが、本作で初めて大都市テヘランを舞台にして、瑞々しい青春群像を描いた。表現の自由が制限されるイランで、地下に隠れて活動するミュージシャンたちのパフォーマンスと自由への渇望を躍動感溢れる映像で捉える。やがて彼らは自由に演奏するためにパスポートとビザを偽造してヨーロッパへの出国を画策する。そのストーリーは、ゴバディ監督自身の境遇、そして信念に共鳴し、一層スリリングに展開する。
イランの音楽と言えば、宗教的な伝統音楽のイメージしかないが、それもそのはず、ロックやラップなどの現代的な音楽は公の場では認められず、地下に隠れて演奏されているのだ。そのパフォーマンスとテヘランの風景を巧みな編集で捉えたMTV風の映像に、イランの閉塞感とそこから抜け出そうともがく若者たちの魂のうねりを感じる。
しかし、厳格なイスラム教国家イランも西洋文化に侵食され、流れる音楽も近代的な街並みも欧米とさほど変わり映えがない。パフォーマンスの質の高さとゴバディ監督の進化は認めるが、音楽もファッションも欧米一辺倒で唯一無二のものがないのは残念である。
技巧を駆使した本作でゴバディ監督は映像作家としての進化を遂げている。『わが故郷の歌』『亀も空を飛ぶ』『半月~ハーフムーン』と作品毎に様々な趣向を凝らしてスキルアップしてきた彼だが、初監督作『酔っぱらった馬の時間』の簡素さと荒々しさに内包する圧倒的なエネルギーを凌駕する作品はまだないような気がする。
いずれにしても、リスクを恐れずに自らの信念に従って本作を撮り上げたゴバディ監督に敬意を表したい。
『グリーン・デイズ』コンペティション
『ペルシャ~』と同様、政府の許可を得ずに撮影されたイラン映画がハナ・マフマルバフ監督の『グリーン・デイズ』。こちらも作り手の強固な信念に圧倒される力作である。
ハナ・マフマルバフと言えば、モフセン・マフマルバフ監督の次女であり、撮影当時若干20歳ながら、母国を憂える真摯な眼差しとカメラを武器に体制の暴挙に応戦する芯の強さには脱帽するしかない。
今年6月のイラン大統領選挙を背景に、政治への不信に苦悩する女性の姿を、ドラマとドキュメンタリーの境界線を漂うイラン映画独自の手法で描写する。
アヴァはかつて大統領になることを夢見ていたが、未だ男尊女卑が激しいイランで女性が政治家になることは許されず、20歳になった彼女は改革派の大統領候補ムサヴィ氏に希望を託している。
カメラは大統領選挙に湧くテヘランの熱気と、その中で大きな不安とわずかな希望に揺れる情緒不安定なアヴァの姿を、緑を基調とした映像で捉える。緑は改革派のシンボルカラーであり、希望の象徴でもある。
実際に選挙期間中に撮影された本作は、劇画の体裁をとっているが、むしろ記録映画として側面に大きな価値を見出すことができる。劇画として観るならば、余りに説明的でドラマ性を欠いている。
緑一色に埋め尽くされた、社会の変革を求める人々のエネルギーには圧倒されずにいられない。彼らは一票を投じることによって社会を変えられると信じている。しかし、その切実な思いは権力によって容赦なく踏み潰される。本作はその顛末を捉えたレポートとして、イランで起きた事実を世界に告発することにこそ大きな意義を持っている。
イラン大統領選挙の不正開票疑惑については、当時度々報じられたが、報道規制のためか確かな情報に欠け、未だ釈然としない。
選挙期間中に撮影されたということは、どんな結末が待っているか分からないまま撮影が進んたことになる。スクリーンが緑一色の歓喜に包まれるハッピーエンドを願ってカメラを廻したに違いない。開票の不正を訴えるデモ隊が武力で弾圧される証拠を提示するために、携帯電話で撮影された粗悪な映像を使用するなど想像できただろうか。
映画的な完成度が高いとは言わないが、20歳の女性監督が命懸けで撮影して海外に映像素材を持ち出して完成させた、その現実の重さを受け止めねばならない。閉ざされた社会の変革を熱望する切なる祈りが、理不尽な力によって消し去られる無念が残った。
『ニンフ』コンペティション
FILMeXでタイ映画と言えば、アピチャッポン・ウィーラセタクンの独壇場というイメージがあるが、一方日本で最も人気のあるタイ人の映画監督と言えば、4作品が劇場公開されたペンエーグ・ラッタナルアーンではないだろうか。彼の新作がFILMeXのコンペで上映されるのは嬉しい驚きである。
ラッタナルアーンの作品は『シックスティナイン』『わすれな歌』『地球で最後のふたり』『インビジブル・ウェーブ』と一作毎に汎用性が失われ、閉じた世界へと向かっているが、『ニンフ』はその流れを一気に加速させた感がある。
写真家の夫ノップと会社勤めの妻メイの結婚生活は、メイの上司との不倫により危機を迎えている。ある休日、ノップはメイを森にキャンプへと連れ出すが、そこでノップは忽然と姿を消してしまう。
森が舞台である。冒頭の森の中を徘徊するカメラワークから、これまでのラッタナルアーンの作品とは異質であることを窺い知ることができる。タイ映画で森と言えば、ウィーラセタクンの『ブリスフリー・ユアーズ』『トロピカル・マラディ』が真っ先に想起される。森の中で展開する明確な答えのない不条理劇はウィーラセタクンの作品にも通じるが、ラッタナルアーンの描く森は超自然的な力によって支配されている。
おそらくタイ人にとって森とは特別な意味を持つ神聖な空間なのだろう。本作では、文字通り森の精霊(nymph)が意思を持って登場人物たちの関係に大きな変化を及ぼす。不倫によって夫を裏切ったメイは、ノップを失うことにより、その存在の重さに気付く。欲望に支配された都市生活者のメイに、森はマイナスイオンのような魂の浄化作用をもたらし、進むべき道を正しているのだろうか。更には、自然の摂理を無視する人類に警鐘を鳴らしているのかもしれない。そう言えば、森の中のショットは高みから人間を俯瞰しているかのような浮遊感を帯びている。
パズルを解いたような爽快感を求めるつもりはないし、想像力によって空白を埋める作業もやぶさかでないが、どうも釈然としない。冒頭の驚異的な長廻しは圧巻であるが、それを凌駕するインパクトを持った映像によって想像力を刺激されることは最後までなかった。
(2009.12.5)
特別招待作品レポート - ▶コンペティションレポート1 - コンペティションレポート2
第10回東京フィルメックス (11/21~29)
コンペティション
『天国での七分間』(2009年/イスラエル/監督:オムリ・ギヴォン )
『ペルシャ猫を誰も知らない』( 2009/イラン/監督:バフマン・ゴバディ )
『グリーン・デイズ』( 2009/イラン/監督:ハナ・マフマルバフ )
『ニンフ』( 2009年/タイ/監督:ペンエーグ・ラッタナルアーン )
- 監督:バフマン・ゴバディ
- 出演:シャハブ・エブラヒミ, ソラン・エブラヒム
- 発売日: 2006-05-27
- おすすめ度:
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主なキャスト / スタッフ
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