映画祭情報&レポート
第10回東京フィルメックス(11/21~29)
映画の明るい未来は来るか?【特別招待作品編】

古川 徹

京フィルメックス(以下、FILMeX)がスタートしたのは2000年。世界的評価の高まるアジア映画を中心に「作家主義」という明確なコンセプトを打ち出して、有楽町に根をはったFILMeXは今回で10回目を迎える。
東京で開催されるコンペティションを持つ国際映画祭として、何かと東京国際映画祭(以下、TIFF)と比較されるのは致し方ないが、有楽町朝日ホールを中心とした会場に流れる空気は明らかにTIFFとは異質である。
映画の大衆娯楽としての側面は最小限に留められ、作家性重視のため、通俗的な映画ファンには敷居の高さを感じさせる映画祭であるが、硬質なプログラムによって根強いファンを獲得していることも見逃せない。
今年は、オープニングにツァイ・ミンリャン、クロージングにパク・チャヌク、更に2000年の第一回の最優秀作品賞受賞監督ロウ・イエや常連のアモス・ギダイも名を連ねる、節目の年に相応しいラインナップに期待が高まる。
林加奈子ディレクターによる「一緒に映画の明るい未来を実感しましょう!」という力強い掛け声で、今年のFILMeXは幕を開けた。「映画の明るい未来」を感じさせる作品に出会えるだろうか……?

『ヴィザージュ』 特別招待作品

「ヴィザージュ」オープニングを飾った『ヴィザージュ』は、ツァイ・ミンリャン監督がルーヴル美術館からのオファーを受けて、美術館の収蔵品として撮ったフランス映画である。欧州の監督ではなく、敢えて台湾のツァイ・ミンリャンに映画製作を依頼したルーヴル美術館の見識の高さには敬意を表したい。
本作はフランソワ・トリュフォー監督へのオマージュであり、ツァイ・ミンリャン版『アメリカの夜』と言って差し支えないだろう。フランスで「サロメ」をモチーフに映画を撮る監督がいる……。ストーリーの説明はこれだけで充分。ミンリャン監督の映画にストーリーはさほど意味を成さない。正に破裂した水道管のように溢れ出るイマジネーションの洪水、その荒々しさこそがミンリャン監督の真骨頂であり、本作も奇才の面目躍如である。
上映前に監督が難解な映画と予告した通り、フランス映画であろうが、ルーヴル美術館の収蔵品であろうが、臆することなくミンリャン監督独自の世界観を展開している。正にやりたい放題である。
ミンリャン版『アメリカの夜』で映画監督を演じるのはリー・カンションを措いて他に考えられない。ミンリャン監督の分身と言えるリー・カンションと、かつてトリュフォー監督の分身であったジャン=ピエール・レオの共演により時代や国を越えた映画愛をフィルムに焼き付ける。
ジャンヌ・モロー、ファニー・アルダン、ナタリー・バイ、かつてトリュフォーに愛された女優たちがワイングラスを合わせる場面、写真をパラパラとめくり『大人は判ってくれない』のラストを再現する場面、スクリーンに香気が漂い、映画ファンに至福の時を提供する。
唐突に始まる百花繚乱のミュージカルも健在。フランス風に多少アレンジされているものの、悪趣味と紙一重の地点で高い作家性を維持する毒気が失われていないのが嬉しい。
作品の根底にあるのは映画愛でも、相変わらず既成の文法を踏襲するつもりなどサラサラないらしい。すべての場面を頭で意味付けするなら手強い作品だが、理屈に当てはめずにミンリャン監督による映画愛の暴走を受け止める感性を持てば、この上ない至福で満たしてくれる逸品である。
本作のテーマから言えば、トリュフォー監督に捧げるのが妥当な気がするが、敢えてミンリャン監督の母に捧げられているのも彼らしい。

左:チェン・シャンチー 右:ツァイ・ミンリャン監督
左:チェン・シャンチー 右:ツァイ・ミンリャン監督
映画の上映前にはツァイ・ミンリャン監督と、彼の作品には常連の女優チェン・シャンチーによる舞台挨拶があり、終映後にはミンリャン監督を招いたQ&Aが行われた。
ミンリャン監督は、約200人の監督の中から選ばれて、ルーヴル美術館より収蔵品の製作のオファーを受けたと語る。特に条件はなく、ルーヴルで撮ってもよいし、撮らなくてもよい。当然ながら使用料は無料である。
ロン・ハワード監督の『ダ・ヴィンチ・コード』はルーヴル美術館に多額の使用料を支払ったようだが、ハリウッドの大作映画にはビジネスライクに対応し、ツァイ・ミンリャンには自由に映画を撮らせるルーヴル美術館の信念が作品に反映されている。
ミンリャンは3年かけてルーヴルの建物や収蔵品などをじっくりと観察し、結果的に約70%をルーヴルの内外で撮影したが、絵画を捉えたルーヴルらしいショットはごく一部に留めた。
それはジャン=ピエール・レオが穴から抜け出る場面であり、壁にダ・ヴィンチの絵が展示されている。ダ・ヴィンチの絵を選んだ意図を観客から質問されると、「たまたまダ・ヴィンチの絵の下に穴があったから…」と答えて観客を脱力させ、「レオにはダ・ヴィンチの絵に相応しい風格がある……」と続ける。
ミンリャン監督はレオに格別の思い入れがあり、『ふたつの時、ふたりの時間』のラストシーンにも彼を登場させている。レオを「フィルムのために存在している」と褒め称え、彼との仕事は「トリュフォーが私にくれたチャンス」と喜びを語った。
各シーンの解釈に質問が及ぶと答えをはぐらかす場面もあった。「映画はイメージを捉えるものであり、ストーリーを追うものではない」と語るミンリャン監督。その確固たる哲学は『ヴィザージュ』にも多分に反映されている。

『フローズン・リバー』 特別招待作品

『フローズン・リバー』FILMeXに出展されるアメリカ映画は決して多くないが、しかも今年の米アカデミー賞で主演女優賞(メリッサ・レオ)とオリジナル脚本賞(コートニー・ハント)にノミネートされた作品が上映されるのは異例である。
米アカデミー賞と言えば、世界で最も通俗的な映画の祭典であり、FILMeXの理念に合わない作品ではないかという一抹の不安があったが、冒頭でカメラが凍てついた大地を捉えた時、何も語らずともスリリングな展開を予感させる力強いショットに不安は払拭された。
続いてカメラは、夫に去られ途方に暮れる白人の中年女性の涙を捉える。カナダとの国境地帯が舞台である。彼女には家を手に入れたいという夢があるが、二人の息子との生活は困窮し、先住民の女性との出会いから、密入国を手引きする組織を知り、やがて報酬を得るために一線を越えてしまう。
映画の骨子はシンプルな犯罪劇であるが、平凡な母親が家族を養うために法を犯す罪悪感と、仕事仲間ですら信用できない緊迫感が終始スクリーンに漂い、同時に貧困、家庭の崩壊、不法入国、人種差別などアメリカが抱える闇に光を当てている。
先住民や密入国するアジア人に強い偏見を持つ白人女性が、切迫した暮らしの中で尊厳を失いつつも、仕事仲間の先住民の女性への感情が次第に変化し、やがて不思議な絆で結ばれる。コートニー・ハント監督は、彼女たちと一定の距離をおいて、その心情の変化と揺ぎない母性を的確に捉える。
アメリカ特有の社会問題と普遍的な母性というテーマを交差させ、彼女たちへの共感を促すわけでも、その行為を非難するわけでもなく、スリリングな展開の中に善悪を越えたヒューマニズムを啓蒙する。それは決して押し付けがましいものではない。
イスラム教徒=テロリストという偏見によって幼い命が危機に晒される場面は、加害者と被害者の概念を逆転させ、アメリカにおける過大な危害妄想を浮き彫りにしている。
結末も決して絵空事ではない。二つの文化の共存を捉えたショットからこぼれ落ちるささやかな希望が深い余韻を残す。本作はオーソドックスな犯罪劇の体裁をとりながらも、その根底には共存への祈りが込められている。

コートニー・ハント監督
コートニー・ハント監督
終映後、本作の脚本も手掛けたコートニー・ハント監督が登場。Q&Aが行われた。
凍り付いた川を渡って密入国が行われるという作品に描かれた状況は事実であり、それを背景にフィクショナルなキャラクターを創作したと語る。
氷の上での撮影の危険性に話が及ぶと、近くの大学の専門家が氷の厚さを計算して安全性を確保したとのこと。
母性をテーマにした理由については、まず文化の異なる二人の女性が危機的な状況で連帯できるかという問題があり、脚本がどこへ向かうのか分からなかったが、書き終えてから母性がテーマであることに気付いたという。
脚本については、先ず結論ありきではなく、それぞれの状況で登場人物がどう行動するか考えてストーリーを構築していくため、ラストの主人公の決断は監督自身も意外な展開だったと独自のセオリーを披露する。
失踪した夫が一切登場しない理由については、女性が危機に瀕している時に男性が登場すると、彼女を助けるというイメージを与えて観客を惑わせてしまうと説明する。ファーストシーンは夫に去られ、涙を浮かべる主人公を捉えるが、5分前から始まっていたらまったく違うイメージの作品になっていただろう……、監督の映画論は続く。
質問に対して理路整然と回答するハント監督は実に理知的であり、アカデミー賞のオリジナル脚本賞にノミネートされた実績からもストーリーを創作し、表現することに長けた監督であることは疑う余地がない。
アメリカで骨太な犯罪映画と言えば男性監督の名前ばかりが思い浮かぶが、女性ならではの視点からアメリカの闇を照らし出すハント監督の感性には今後も注目したい。
本作は2010年1月公開予定である。決して見逃さないで欲しい。

『春風沈酔の夜』 特別招待作品

『春風沈酔の夜』第1回のFILMeXの最優秀作品賞受賞監督であるロウ・イエが、第10回では審査員を務める。何より新作という手土産が嬉しい。
『春風沈酔の夜』は、南京を舞台に5人の男女のエモーショナルな恋愛模様を、手持ちカメラを駆使した自由奔放な手法でスリリングに描写している。スクリーンに漂う空気は、過去の中国映画よりむしろヌーヴェルヴァーグの記憶を想起させる。
男女5人による愛憎劇と言えども、ホモセクシャルという要素を大胆に取り入れることで、従来の恋愛の力学とは異なる展開に転じる点がユニークである。登場する3人の男がゲイであるため、男同士、そして男女間に、恋愛なのか友情なのか分らない曖昧な感情が生まれ、複雑な嫉妬心が暴走する、その微妙な心情を繊細に描写している。
しかし、その大胆不敵なテーマよりイエ監督の非凡さを強く印象付けたのは斬新な映像感覚である。
かつてイエ監督は『ふたりの人魚』『パープル・バタフライ』で撮影監督に名手ワン・ユーを起用し、実に映画的な空間を構築したが、本作はデジタルで撮影され、フィルムの質感とは異なる無機質な画で映像表現の新しい可能性を提示していることに注目したい。
特に夜の場面など、DVカメラの感度を頼りに、照明を用いずに撮影されているように見受けられるが、ザラついた粗い映像を逆手にとって登場人物の心情と重ね合わせ、何より手持ちカメラのフットワークが最大限に生かされている。
現在、映画のフォーマットは従来の35mmフィルムからデジタルに移行しつつある。志と技巧を持っているが、お金がないという映画作家にとってDVカメラは“渡りに船”であり、映像表現の裾野を広げるには有効であるが、フィルムの質感とは異なるため、単純にアナログの代用品としてデジタルを用いることには大いに違和感を覚える。
ジャ・ジャンクーの『長江哀歌』もデジタル撮影による作品だが、デジタルで映画を撮ることの矛盾に対する最も興味深い回答が、ジャ・ジャンクー、ロウ・イエという中国の映画作家から世界に示された点に大いに注目したい。
FILMeXに縁のある彼らに、中国のみならず、世界の新しい映画の流れを牽引して欲しいと願う。それこそがFILMeXの存在意義ではないだろうか……。

ロウ・イエ監督
ロウ・イエ監督
終映後に登場したロウ・イエ監督は、「第1回で最優秀作品賞を受賞し、そして記念すべき第10回に新作を持って帰ってくることができて嬉しい」とFILMeXへの思いを語り、「この作品は純粋なラブストーリーであり、人と人の間に起こる日常の出来事を描いている」と新作を紹介した。
ロウ・イエ監督と言えば、前作『天安門、恋人たち』の過激な性描写が賛否両論を巻き起こし、本作ではゲイのカップルによる性愛が再び議論を呼んでいるが、監督自身は「性描写は重要ではない。愛情を表現する上で必要であれば描くし、必要なければ描かない。性愛が必要な関係であれば描写すべき」と語る。
カンヌ映画祭で脚本賞を受賞したメイ・フォンとの共同作業について、イエ監督は次のように語る。「メイ・フォンは『パープル・バタフライ』で脚本顧問を務め、『天安門、恋人たち』では共同脚本、本作は単独で脚本を執筆。作品に自由な感覚をもたらしてくれた。第一稿を書き終えてからも、撮影、編集にも立会い、役者や現場の様子に応じて臨機応変に脚本を変更していった。」
役者たちに複雑な役柄を演じさせる演技指導に質問が及ぶと、「特にコツはないが、現場の雰囲気を大切にしている」と答える。「役者とスタッフが映画の雰囲気に浸りながら撮影できるよう心掛けている。」
劇中で引用される郁達夫(イク・タップ)の詩については、「郁達夫の作品とは中国でとても人気があり、高校の教科書にも載っている。彼の作品には個人がしっかりと描かれている。人間関係が綿密に描かれており、以前の監督作でも影響を受けた」と郁達夫への思いを明かした。
映画の舞台に南京を選んだのは、上海のように商業的でなく、北京のように政治的でもなく、その中間に位置する独自の雰囲気を持った都市であり、郁達夫が生きた時代の首都でもあることを理由に挙げた。
本作に希望を見出せないという観客に対しては、「この作品のラストは希望に満ちている」と応じる。
中国のゲイ文化とゲイを取り上げた理由を問われると「映画に登場するゲイバーやダンスホールは南京に実在する。同性愛というテーマが初めからあったわけではなく、脚本家のメイ・フォンと議論するうちに、愛を広い範囲で捉えるようになった」と答えた。
ところで、イエ監督は前作『天安門、恋人たち』によって中国政府から5年間の活動停止を命じられたが、監督曰く「映画を撮ることを禁じるべきではない。これからも撮り続ける。」
かつて第五世代の監督たちが文化大革命などのタブーに果敢に挑戦し、中国政府から冷遇されたが、そんな硬質な作品にこそ中国映画の魅力を感じた。現在の中国映画に足りないのは、こうした反骨精神ではないだろうか。イエ監督にはいつまでもそれを失わないで欲しい。

(2009.12.5)

特別招待作品レポートコンペティションレポート1コンペティションレポート2

第10回東京フィルメックス (11/21~29) 公式
特別招待作品
『ヴィザージュ』(2009年/フランス、台湾/監督:ツァイ・ミンリャン )
『フローズン・リバー』( 2008/アメリカ/監督:コートニー・ハント )
『春風沈酔の夜』( 2009年/中国/監督:ロウ・イエ )

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2009/12/06/12:10 | トラックバック (0)
古川徹 ,映画祭情報
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