『セルアウト!』コンペティション
FILMeXでマレーシア映画が上映されるのは10回目にして初めてらしい。これは意外だったが、初御目見えのマレーシア映画にとんでもない作品を選んだものである。
TIFFやアジアフォーカスが、マレーシアから生まれる新しい才能に注目し、既にヤスミン・アスマド監督を初め数々の作品を日本に紹介してきたが、ヨ・ジュンハン監督は異色である。『セルアウト!』は途轍もない破壊力によって、映画の既成概念と保守的な映画ファンの忍耐力を粉々にするだろう。
映画の冒頭に“ヨ・ジュンハン監督”が登場し、インタビューに答える。洞察力に欠け、退屈な作品を撮り続ける芸術家気取りの“裸の王様”は傲慢な態度で的外れな回答を繰り返す。(この辺りで怒って帰る客がいても不思議ではない。)そのKYぶりは嫌味を通り越して痛快である。
FILMeXのコンペで、アート系映画のナルシズムを揶揄する作品が上映されること自体が実にユニークである。
本作は、“ヨ・ジュンハン監督”が撮る劇中劇の体裁をとっている。"FONY"というどこかで聞いたような企業が舞台になっているが、リスクを負わずに他社製品のコピーを生産して保障期間終了後に壊れるよう仕込み、また系列企業のTV局では人の死を商品化して視聴率を稼いでいる。拝金主義による企業倫理の崩壊を、唐突で間が抜けたなミュージカルを交え、毒気たっぷりに描写する。
上映前にヨ・ジュンハン監督の舞台挨拶があり、「マレーシアはコピー天国……」という解説があったが、「コピー」が本作のキーワードである。
当然ながら"FONY"という社名自体がコピーであり、生産する商品も、企業理念すら他社のコピー。極め付けは、CEOが「原罪」(original sin)を「オリジナルは罪」と勘違いしている。
また、多民族国家マレーシアの企業内で共通言語として用いられる英語も所詮は他国のコピー、会話が噛み合わず“エクソシスト”と“エクササイズ”を間違える。次々と繰り出されるマレーシアの自虐ネタに会場が笑いに包まれる。
劇中のインタビューで、“ヨ・ジュンハン監督”はミュージカルを全否定するが、節操なく撮ってしまう変わり身の早さが可笑しい。しかもプロフェッショナルな歌とダンスではなく、間が抜けた素人芸であり、カメラがガラス張りの部屋を出ると、音声が消えてアクションだけが展開され、ミュージカルの根本的矛盾に今更ながら冷静なツッコミを入れる。
再びミュージカルが始まると思わせては、カラオケ画面のみで歌を省略する手抜き演出で間を外す。映画のセオリーを徹底的に無視するジュンハン監督のアナーキーな感性は、観客の反応に二極化をもたらしているようだ。熱狂的に受け入れる観客がいれば、一方で既存の映画のセオリーを重んじる観客は神経を逆撫でされるだろう。ご参考までに、筆者は前者である。
FILMeXのコンペでこうした“色物”が上映される多様性に注目したい。
『息もできない』コンペティション 最優秀作品賞、観客賞受賞
役者のヤン・イクチュンが監督デビューを果たし、主演も兼ねた本作は、容赦のない暴力描写で観る者のド肝を抜く。
チンピラの男と女子高生の関係が軸になっているが、大甘な韓流のラブ・ストーリーとは異なり、それぞれの家族の愛憎劇に焦点が当てられ、虐待された子供はいずれ暴力の被害者から加害者となり、暴力が更なる暴力を生み出す憎しみの連鎖が描かれる。
最優秀作品賞と観客賞を受賞し、今回のFILMeXで一人勝ちした作品だが、筆者は本作に少なからず違和感を覚えた。
まず借金の取立て屋サンフンと女子高生ヨニの出会いの場面、路上でサンフンが吐き捨てた唾が通りかかったヨニにかかってしまう。アクシデントではあるが、勝気なヨニは見るからにチンピラのサンフンに反撃を試み、結局は腕力で一蹴させてしまう。制服姿の女子高生がヤクザ者の男に食ってかかるリアリティには敢えて言及しないが、サンフンがヨニを殴打する瞬間、血の気が引く思いがした。
韓国映画『猟奇的な彼女』は、常に女から男に暴力が加えられることでコメディとして成立していたが、その逆は社会通念上激しい不快感を伴う。その一線を越えたからには、暴力の痛みと真摯に向き合わなければばならない。
サンフンとヨニの家庭はそれぞれ暴力によって崩壊していた。同じ境遇の二人の魂が共鳴することは納得できるが、誰よりも暴力を憎んでいるはずのヨニが、サンフンの一撃によって失神し気を取り戻してからも、彼を特に嫌悪することなく、むしろ惹かれていくという展開に一切の説得力を感じなかった。確かに表面的な暴力描写の迫力には圧倒されるが、それがもたらす心の痛みの描写は大味で記号的に思える。
また、主人公サンフンとの距離の取り方が定まっていない印象を受けた。これはサンフン役のイクチュンが監督を兼ねていることに所以するかもしれないが、粗暴なチンピラを嫌悪すべきクズとして突き放して描く冷酷さがなく、作り手が中途半端に「根はいい奴」といった情をかけているところに甘さを感じる。
本作は、暴力描写にユーモアもカタルシスも付加していないが、かと言って暴力を嫌悪すべきものとしてそれがもたらす痛みを描き切っているとは言えない。
凶悪事件の裁判で、弁護人が被告人の境遇を持ち出して叙情酌量を求めるニュースを見た時と同種の違和感が残った。
【所感】
今回はコンペティションの10本中8本を鑑賞することができた。都合上、ジョニー・トー製作の香港映画『意外』とスリランカ映画『2つの世界の間で』を観逃してしまったのは残念である。
『最愛の夏』『きらめきの季節』のチャン・ツォーチ監督による台湾映画『お父さん、元気?』は、父性をテーマにした10本の短編から構成されるオムニバス作品。幾つかのエピソードではホウ・シャオシェンを彷彿とさせる叙情豊かな映像を堪能できたが、泣き落としで感動を強要するなど、総じて押し付けがましいヒューマニズムに、FILMeXの理念とのギャップを感じた。
コンペで唯一の日本映画『堀川中立売』は、『おそいひと』の柴田剛監督の新作だが、未熟さ故に映画としての骨格すら成していない感がある。少年犯罪、大衆の野次馬的悪意、マスコミのモラルの欠如といったテーマが未消化のまま、学生映画のノリのドタバタ劇が130分続くと、観る側はさすがに辛い。
コンペの8本を観る限り、「映画の明るい未来」に直結するような唯一無二の作家性を感じる作品はなかったが、体制や商業主義に融合せず、むしろそれに反発することで生まれる表現することへのエネルギーを、一部の作品から感じたのは収穫だった。
元々FILMeXは、コンペが才能の原石で、それが開花したものが招待作品という印象があるが、今年は特に顕著に感じられた。ツァイ・ミンリャンの作品ですら、日本での配給が決まっていない厳しい環境下で、映画ファンの「観たい」という切実な願いを叶えると同時に、我々が知らない原石を発掘して新しい才能を提示し、更に映画作家に希望を与える場として、FILMeXには有楽町により深く根をはって欲しいと願う。
(2009.12.5)
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第10回東京フィルメックス (11/21~29)
コンペティション
『セルアウト!』(2008年/マレーシア/監督:ヨ・ジュンハン )
『息もできない』( 2008年/韓国/監督:ヤン・イクチュン )
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