事件—現実と映画とのあいだ
フィルメックスでは大人しいだけの映画ではない、過激作や問題作が上映されるのも特徴的である。昨年も韓国映画『息もできない』が、激烈な暴力シーンで暴力の連鎖を描き審査員・観客ともに圧倒し、見事最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞した。今年は現実に起きた凄惨な事件にインスパイアされた映画が何本か上映され、それぞれ違うアプローチで映画として成立させていたのが目を引いた。コンペティション部門で上映されたチャン・チョルス監督の『ビー・デビル』、特別招待作品の園子温監督の『冷たい熱帯魚』、そして同じく特別招待作品でクロージング作品のイ・チャンドン監督の『詩』である。
『ビー・デビル』チャン・チョルス監督 コンペティション作品
2011年春シアターNにてロードショー
チャン・チョルス監督の長編第一作目で、カンヌ映画祭批評家週間でワールド・プレミア上映された後、プチョン映画祭最優秀作品賞を受賞した。複数の男子生徒から性的暴行を受けていた女子高生が加害者にされ、男子生徒たちが釈放されたという事件や、子供の頃に隣人に性的暴行を受けていた女性が20年後に隣人を殺害した事件など、韓国で実際に起きた事件を題材としている。ソウルの銀行に勤める30代の女性へウォンが主人公で、仕事のトラブルにより休暇を命じられ、幼い頃暮らしていたムドゥウ島に行き、幼馴染みのボクナムに再会する。しかしボクナムは、夫に虐待され、島の人々にも蔑まれる奴隷のような生活を送っていた。ボクナムはソウルに連れてってほしいとへウォンに頼むが、へウォンは関わり合いになることを避ける。ボクナムは幼い娘を連れて島を出ようとするが、それは恐ろしい事件の引き金となる……。
監督はキム・ギドク監督の助監督という経歴であるが、幻想的であったり何かの飛躍があったりということはなく、加害者も被害者もリアリスティックで冷徹な眼差しによって撮られている。
チャン・チョルス監督殺人場面は凄惨であるが、その描写はスプラッター調になる一歩手前で踏み止まっており、ボクナムの内面の屈辱と怒りのとめどもなさが直接伝わってくるようで秀逸である。「凄惨な事件が起きてしまった」、それで終わりではなく、被害者であるボクナムと最初から最後まで傍観者であったへウォンの対比が横軸としてあり、ラストはその2人の対決となる。傍観者であることの罪の告発は、つまり我々観客にも向けられているものであろう。私たち観客は描写が抑制されているからこそ澱のようにたまっていく人間が奥底に持つ暴力性とともに、自らの傍観者性をつきつけられ、居心地の悪いまま会場を後にすることになる。
『冷たい熱帯魚』 園子温監督 特別招待作品
2011年1月29日よりテアトル新宿ほかでロードショー
第9回東京フィルメックスで『愛のむきだし』が見事アニエスベー・アワード(観客賞)を受賞した園子温監督の最新作で、ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映されている。この映画は、埼玉愛犬家殺人事件(その後に続いた阪神淡路大震災とオウム真理教事件に隠れてしまい、事件の規模のわりに知名度が低いが、90年代前半のペットショップを経営する夫婦が起こした複数の猟奇殺人事件)をベースにしている。小さな熱帯魚店を経営する社本は若い後妻と年頃の娘との不和に悩んでいた。娘が万引きで捕まったのがきっかけで、大きな熱帯魚店を経営する村田夫妻と出会い、娘は村田の経営する熱帯魚店で働くこととなる。そして、そこから異常な事態に巻き込まれていく……。
いつの間にか異常な事態に巻き込まれていく受け身の社本を演じる吹越満、一見普通なのに想像を絶する狂気を持っている村田を演じるでんでん、村田の影響なのか目を覆いたくなるような悪女ぶりを披露する村田の妻・愛子を演じる黒沢あすかなど、キャスティングの妙と俳優の演技力が何よりも目を引く映画である。特に今まで好々爺の役が多かったでんでんのマシンガン・トーク、その怪演ぶりに驚かない観客はいないだろう。が、筆者が最も園監督らしさを感じ感銘を受けたのは終盤の吹越満演じる社本の思わぬ反撃であり、家族思いの小市民性が裏目に出て村田の言いなりになるしかなかった社本が、突然噴出させる暴力性には背筋が凍った。根っからの悪人が悪人ぶりを発揮させる終盤までの流れも勿論よく出来ているのだが、やられっぱなしであった社本の思いがけない反撃は、ベースとなっている事件にはない園監督の創作の部分であり、それまでのリアリズムから突如として飛翔するかのような驚きと爽快感をも感じさせる。この終盤の飛躍が存在することによって、この映画は実録ものというよりはむしろダーク・ファンタジーと呼びたい趣の作品に仕上がっている。『愛のむきだし』を観た時の、観たこともないような映像がそこで展開しているという心地よい衝撃を想起させ、紛れもない「園印」の映画だと確信した。
『詩』 イ・チャンドン監督 特別招待作品
2011年秋以降ロードショー
イ・チャンドン監督も『シークレット・サンシャイン』が第8回東京フィルメックスのクロージング作品に選ばれ、またコンペ部門の審査員長も務めるなど、フィルメックスではお馴染みの監督である。最新作である『詩』は5作目に当たり、カンヌ映画祭コンペティション部門で上映され、最優秀脚本賞を受賞している。この作品は『ビー・デビル』で題材となった事件と同じ、複数の男子生徒から性的暴行を受けていた女子高生が加害者にされ、男子生徒たちが釈放されたという事件を題材にしているように見える。しかしリアリスティックに事件とその結果を描く『ビー・デビル』と違い、加害者の一人である少年を育てている祖母のミジャが主人公であり、自殺した被害者への贖罪意識と少年との愛情への板ばさみとなるミジャの内面の変化がきめ細やかに描かれる。
事件の当事者である少年の友人関係や内面が深く描かれることはなく、母親が釜山で働いているため祖母に育てられていることが多少不憫な以外は、少年はいたって普通に見える。しかしだからこそ、少年が加害者の一人であることを知ったミジャの驚きを観客も体感でき、その反動かミジャがカルチャーセンターで習う詩に傾倒していく様がリアリティを持つ。ミジャが世話をしている身体不自由な老人や、被害者の母親、ミジャが詩会で逢った下品な詩を詠む刑事など、脇役の深い人間描写と彼らとの関わり合いも上手い伏線となっていて、この監督特有のものである、直視できないような、人間が持つ生々しさと関わることによって胸が締めつけられるような思いをさせられるシーンがいくつもある。事件を示談で揉み消そうとする他の加害者少年たちの親たちの描写など、韓国社会への風刺も効いている。少女がそのまま老女になったようなミジャが、思わぬところから侵入してきた事件によって、どのような苦痛を与えられ、どのように闘い、結果、どのような落とし前をつけるのか。事件自体は禍々しいものであるのだが、それを直接的に描くのではなく、いわば薄紙を一枚通した状態で描くことによって、人間の業や、しかし業が存在するが故の希望を、文字通り詩的に描くことのできた力強い作品である。ミジャが自らつける結末も、決して直截な描かれ方はしていないのだが、しかしそれ故に観客の胸深くに響き、余韻を残すであろう。
事件の凄惨さと人間の凶暴性をリアリスティックに描いた『ビー・デビル』、それらをさらにヒートアップさせ、小市民の反撃を描き爽快なダークファンタジーとも呼びたいような作風となった『冷たい熱帯魚』、そして事件をあくまで間接的に描き、非力な老女が事件とそれを取り巻く人々の醜さと闘う姿を描くことによって人間の可能性を問うた『詩』。以上の3作品は、アプローチは違えども、実際に起きた事件を題材に、人間の悪の可能性、どれだけ人間が残酷になれるかを描きながら、その事件が起きた背景への考察へ観客を誘ってもいる。閉じられた共同体、家族への思いや負い目など、私たち観客にも決して無関係ではない背景は、非常に問題提議力があると言える。さらに、犯人や犯行のトリガーとなってしまう人間(『ビー・デビル』でいうとへウォン、『冷たい熱帯魚』でいうと社本、『詩』でいうと少年)を、全く凡庸な人間として描くことによって、私たちの傍観者気分をも打ち砕く。私たちの隣人、いや私たち自身だって、いつ巻き込まれて拳をあげないとも限らないのだ。今年のフィルメックスは、筆者自身は残念ながら未見なのだが、ワン・ビン監督の『溝』、キム兄弟の『アンチ・ガス・スキン』など、他にも凄惨シーンの多い重量級の作品が多く集まった様子。世相から言うと昨年よりは明るさが見えているはずなのだが、逆に映画でじっくりと人間のダークな側面に斬り込む余裕が出てきたということであろうか。今年は東京国際映画祭でも韓国映画の巻き返しが印象に残ったが、フィルメックスでは韓国作品におけるダークサイドにおける底力のようなものを十二分に印象付けた。特に凄惨なだけでなく人間の善やモラルの可能性をもポエティックに描いた『詩』で幕を閉じたところが後味もよく、来年度への期待も育んだ。『ビー・デビル』『冷たい熱帯魚』『詩』は来年以降の公開も決まっているので、ぜひ事件を体感してほしい。
涙が溢れた閉会式
『ふゆの獣』加藤めぐみさん&内田伸輝監督まず観客賞から発表があった。観客賞に選ばれたのは想田和弘監督の『Peace』。『選挙』『精神』などのドキュメンタリーでお馴染みの「観察映画」という独自の手法で福祉に関わる夫妻の日常や、高齢者との交流を描いた作品である。想田監督は、「自分は観客賞とは縁がないと思っていたのでとても嬉しい。多分出てきた猫たちのおかげでしょう」と喜びを語った。
次に審査員特別賞がハオ・ジェ監督の『独身男』と発表された。中国の山村で、初老の独身男たちが起こすユーモラスで切実な「下半身」問題とそれらが引き起こす騒動を、ドキュメンタリータッチでパワフルに描いた快作である。ハオ・ジェ監督は弱冠29歳、初監督作品であり、自らの出身地を舞台に、登場人物の大半は村の人々であり、本人そのものの役を演じている人も多いとのこと。喜びもひとしおだった様子であり、時折声を詰まらせながら、ともに映画を作り上げた村人たちに感謝を捧げた。実はこの映画の脚本はハオ・ジェ監督と監督の母君と父君の3人で書いたもので、父君は製作の準備中に残念ながら他界されたそう。ハオ・ジェ監督は「しかしきっと父はどこからか見守ってくれています」と語った後、「お父さん、あなたの息子は大丈夫です!一緒に頑張っていきましょう!」と叫び、これには通訳者が声を詰まらせる一幕も。監督の感激が乗り移ったかのように、観客からも惜しみない拍手が送られた。
そしてついに最優秀作品賞が発表となり、内田伸輝監督の『ふゆの獣』が選ばれた。受賞理由は、映画的手法を用いて心理ドラマを類稀なる強烈なレベルに発展させていること、カメラの使い方、俳優の演技の素晴らしさ、さらに110万という限られた予算内で製作されたことなどが挙げられた。内田監督は全く受賞を想像していなかったということで、スタッフTシャツを着ていることを明かし、観客を沸かせた。次にキャストを代表して加藤めぐみさんが壇上に上がり、受賞への礼を述べた後、「この受賞は、私たち4人の演技を信じてくれた監督のおかげだと思っています」とほぼ全編アドリブで構成された映画を纏め上げた監督へ感謝の意を述べ、「監督、私たち4人を信じてくれてありがとう!」と声を詰まらせた。観客からは割れんばかりの拍手が送られた。
左からニン・イン監督、白鳥あかねさん、想田和弘監督、
ウルリッヒ・グレゴール審査員長、ハオ・ジェ監督、内田伸輝監督、
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督、リー・チョクトー氏グレゴール審査員長からは総評として「コンペ作品だけでなく全ての上映作品が、幅がありバラエティ豊かであった。内容やスタイルに違いはあるが、互いに補完し合い、存在価値を高めていた」とのコメントがあった。確かに例年にも増して冒険作も目立つものの、それぞれの作品にフィルメックスらしい鋭い問題意識や新鮮な映画的体験など、共通項が透けて見え、コンペ、特別招待作品問わず次の作品鑑賞が楽しみとなる好循環を作り出していた。さらにグレゴール審査員長は今年の傾向について「いくつかのコンセプトが映画の構造に移し変えられ、その過程で新しい映画的言語が作られていく、という試みが見られた。必ずしも全てが成功していたとは言えないが、試みることが重要」と語った。新しい映画的言語の誕生、それこそフィルメックスを一言で語るのに適した言葉はないだろう。様々なダークな社会の現実があり、様々な厳しい製作状況があり、しかし監督の思いと創意工夫、スタッフたちとのコラボレーション、キャストの熱演が相俟って、そこに新しい映画的言語が立ちあがる。我々観客はそれを目の当たりにし、熱狂し、語り合う。映画の未来、映画の可能性を信じ、実現するために。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督らフィルメックスではお馴染みの審査員たち、想田監督、ハオ・ジェ監督、内田監督いずれもまだ年若い監督たちが並ぶ姿を見て、フィルメックスがこの10年余りで築き上げてきた映画文化がもたらす確かな実りを実感した夜であった。
(2010.12.26)
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第11回東京フィルメックス (2010/11/20~28)
『ビー・デビル』 ( チャン・チョルス監督 / 韓国 / 2010 / 115分 )
『冷たい熱帯魚』 ( 園子温監督 / 日本 / 2010 / 146分 )
『詩』 ( イ・チャンドン監督/ 韓国 / 2010 / 139分 )
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