奥田庸介 (監督)
映画「東京プレイボーイクラブ」について
2012年2月4日(土)、渋谷・ユーロスペース、シネマート新宿他にて全国ロードショー
自主製作作品『青春墓場~明日と一緒に歩くのだ~』が高い評価を受けた奥田庸介監督の商業映画デビュー作『東京プレイボーイクラブ』がいよいよ公開される。撮影時24歳という若さで大森南朋、光石研、臼田あさ美ら個性派俳優が鮮烈に躍動するエンターテインメント活劇を撮り上げた奥田監督は、作風同様豪快さやユーモアたっぷりながら、初めての大仕事での感激や不安も隠さず口にする熱い好青年だった。作品に込めた思いや撮影時のエピソードなどについて語っていただいた。(取材:深谷直子)
奥田庸介 1986年、福島県生まれ。早稲田大学川口芸術学校に入学後、卒業制作『青春墓場』(08)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭2008に入賞。その続編となる『青春墓場~問答無用~』(09)もゆうばり国際ファンタスティック映画祭、ぴあフィルムフェスティバル2009で入賞を果たし、三部作の最終章『青春墓場~明日と一緒に歩くのだ~』では、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2010でグランプリを獲得し、プチョン国際ファンタスティック映画祭、ロッテルダム国際映画祭にも出品される。『東京プレイボーイクラブ』(11)は本格的な商業映画デビュー作である。
――『東京プレイボーイクラブ』は去年の東京フィルメックスで学生審査員賞を受賞した話題作で楽しみに拝見しましたが、期待以上に普遍的な面白さがありました。アンダーグラウンドな世界を描きながらエンターテインメント作品としての底力があって、これが20代の監督のデビュー作とは驚きました。監督の映画体験から伺いたいのですが、小学生の時に(シルベスター・)スタローンの作品を観たのが映画にハマるきっかけということですよね。
奥田 いや、スタローンはもう幼稚園の時から大好きですね。みんながジュウレンジャーとか仮面ライダーRXとか言ってる中で、俺は「ランボー最高!ロッキー最高!」って言ってて(笑)。かなり長いですよ。
――もちろんリアルタイムじゃないですよね。
奥田 『ロッキー』(76)は俺が生まれる前ですもん(笑)。最初はVHSで観たのかな。俺は福島の猪苗代という町の出身なんですけど、レンタルビデオ屋が1軒だけあったんですよ。100本ぐらいしか置いてないんですけどね。そこに決まって毎週土曜に行ってはスタローンの映画を観たり、『星の王子ニューヨークへ行く』(88)や『摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に』(86)を観て、「これがNYか!」って憧れたり。
――私も福島出身なんですよ。同郷からこんな元気な監督が現れたのも嬉しいです。
奥田 あ、どちらですか? 震災は大丈夫でした? 福島いいですよね。俺がよく思うのは、東京に生まれていたら今の俺はないなということで。東京は情報が氾濫していて、電車に乗ればすぐに繁華街に行けるし、原宿なんてお洒落に取り憑かれたやつらで溢れているし、暇つぶしにはちょうどいいんですけど。でも福島っていうのは何もなくて、何もないんだけど山があり川があり、路上では猪が死んでて。そういうところで観たスタローンの映画だったりNYの風景だったり、そういうものが心に深く刻まれるんですよ。
――そうですね、1回1回の体験がすごく鮮烈なものになりますよね。
奥田 やっぱり東京に住んでいたらあれだけ深い印象は受けなかったと思いますよ。そういうのがやっぱり俺の中では大きい。今は周りに映画をやってる人もいっぱいいて、「フェリーニが好き」とか「『真夜中のカーボーイ』(69)最高だね」とか、それはもちろんOKなんだけど、俺は『ゴーストバスターズ』(84)に本気で感動するし、今でも『エクスペンダブルズ2』(12)が楽しみでしょうがないし。そこの違いもあるのかな、他の若い監督の作品との切り口の違いというのは。エンターテインメントが意識できているというのは、やっぱりそういうのがあるのかもしれないですね。
――その後、中高一貫の学校で寮に入っていたということで、映画に関してブランクが空くようなんですが。
奥田 はい、全寮制の学校に行き、もうその6年間は漫画・映画・音楽・雑誌禁止、ケンカ禁止、……まあケンカはちょこちょこしてたけど(笑)。本当にひどい生活をしていました。映画は実家に帰った時にビデオで観ることはありましたが、寮ではもちろん禁止ですから、ひたすら筋トレをしていましたね。格闘技がずっと好きだったのでジムとかにも通っていたんですよ。だから卒業を控えて進路を考えるときに最初は格闘家になろうと思ったんですが、でもよくよく考えると俺には映画かなと。いろんなものから逃げ回っていたら映画に辿り着いたと言うか、映画に導かれた気がしますね。それで映画の学校(早稲田大学川口芸術学校)に入って、南部英夫先生という方がずっと俺の師匠で。あんまり有名な監督ではないんですけどヤクザもののVシネマをたくさん撮ってる方で、「俺は才能はあったんだけど努力しなかったからこんなもんで終ってしまうんだ」って言い切ってしまう男っぷりみたいのに惚れちゃったんです。俺は師匠に恵まれてよかったなと思います。
――『東京プレイボーイクラブ』の舞台は人々がそれぞれの思いを抱えて流れ着いた東京の場末の街で、これを24歳の人が撮るというのが面白いなと思いました。
奥田 こういうことを言うのは湿っぽくてカッコ悪いんですけど、俺は「あの時ああすればよかったなあ」とか「もしこうなったらどうしようかなあ」とかすぐ考える人間で、でもそういうのって本当は生き方としてよくないことだと思うんです。過去を引きずったり、未来を今に引き寄せて悩んだりっていうのは。いかに汚くても今を一生懸命生きている人たちって、甲本ヒロトの言う「ドブネズミ的な美しさ」っていうものがありますよね。それが俺の身体に張り付いているテーマと言うか勝手に出てきちゃうものなんです。
――街の喧騒だとかはすごく混沌としていますが、それと対照的な、勝利(大森南朋)とエリ子(臼田あさ美)が穏やかな時間を過ごす車でのシーンがすごく美しいと感じましたね。
奥田 やっぱり映画を観ていて、愛がない映画はダメだと思うんです。深作(欣二)作品だとか、暴力を描いてあんなに激しいことをやっていても、人間に対する眼差しっていうのが愛情に溢れているじゃないですか。そういうのにすごく憧れますよね。映画作りには愛が大事なんだと思います。南朋さんは最後愛を叫んでいるんですよ。「ラヴ!」って。いや、そんなことは言っていないけど。
――(笑)。ラストの大森さんはすごかったです。あの演技にエレファントカシマシの「パワー・イン・ザ・ワールド」が被さることで、本当に印象的なラスト・シーンになりました。
奥田 まああれは南朋さんのアドリブなんですけどね。
――じゃあもっと淡々と終わる予定だったんですか?
奥田 最初はそうです。でもずっとよくなって、あれに救われた気がしています。今回プロの役者さんたちと組んで、すごく引っ張られましたね。
出演:大森南朋,光石研,臼田あさ美,淵上泰史,赤堀雅秋,三浦貴大,佐藤佐吉
監督・脚本:奥田庸介 エンディングテーマ:「パワー・イン・ザ・ワールド」/エレファントカシマシ
プロデューサー:甲斐真樹 ラインプロデューサー:川原伸一 撮影:今井孝博照明:松本憲人 美術:平井淳郎
録音:高田伸也 編集:小野寺拓也 音楽:石塚徹 助監督:大橋祥正 製作:スタイルジャム、ミッドシップ
配給:スタイルジャム 配給協力:ビターズ・エンド ©2011 東京プレイボーイクラブ