川口 潤(映画監督)
映画「kocorono」について
2011年2月5日(土)より、シアターN渋谷ほか全国順次ロードショー
結成23年目を迎えるブラッドサースティ・ブッチャーズ(以下ブッチャーズ)が昨年リリースしたアルバムは完璧に美しかったが、彼らはアルバム名を剥ぎ取り『NO ALBUM 無題』(2010)として世に出した。その厳しさの理由は、本作『kocorono』を見たら分かったような気がした。そこに映し出されていたのは、作品を生むこと、バンドをやること、食べていくこと、生きること……の苦しさにあがく4人の姿。ここまでの思いを噛みしめて作る、こんなのアルバムじゃねぇ!の悲鳴。
映画はメンバー間の激しい言葉の応酬を容赦なく曝して衝撃を与えるが、息苦しい2時間の後に訪れるカタルシスも鮮烈だ。絶妙な構成で本作を普遍的な感動をもたらす快作ドキュメンタリーに作り上げたのは、音楽PVなどを数多く手掛け、劇場映画としては『77BOADRUM』(2008)に続いてこれが監督2作目となる川口潤。ブッチャーズとは以前から親交があったそうだが、撮影中はあくまでも被写体として客観的に、好奇心と敬意を持って接した映像作家としてのプロ意識の高さがインタビューからも伝わってきた。(取材:深谷直子)
川口 潤
1973年生まれ。SPACE SHOWER TV/SEP を経て 2000 年に独立。SPACE SHOWER TV時代はブライアン・バートンルイス氏と共に「SUB STREAM」「MEGALOMANIACS」といった人気オルタナティヴ番組を制作。独立後は親交のあるアーティストを中心に映像記録、制作に励み、ミュージックビデオ、セルDVD、ライヴを中心とした音楽番組の演出も多数。映画監督・甲斐田祐輔と共にKATHMANDU TRIO PRODUCTIONを発足、運営にも携わる。07年にニューヨークで行われた世紀のイベント「77BOADRUM」のライヴドキュメンタリー映画を劇場公開作品として2008年7月7日に発表。自主制作、自主配給で日本全国横断、海外上映を果たす。2008年12月に公開された80年代パンクバンド「アナーキー」のドキュメンタリー映画にリミキサーとして参加。その他の主な作品としてeastern youth 「ドッコイ生キテル街ノ中」(2010)、Shing02「歪曲巡礼」(2009)、envy「transfovista」(2007)などのDVD、THA BLUE HERB、Discharming man、TWIGY、HUSKING BEE、HiGE、セカイイチなどのミュージックビデオなどがある。
ブラッドサースティ・ブッチャーズ/bloodthirsty butchers
1987年に札幌で結成されたロック・バンド。吉村秀樹(Vo,G)、射守矢雄(B)、89年に加入した小松正宏(Dr)による3人編成で90年にファースト・アルバム『BLOODTHIRSTY BUTCHERS』を発表。94年、サンフランシスコで録音された『LUKEWARM WIND』でメジャー・デビュー。その後もコンスタントに作品を発表。2003年に元NUMBER GIRLのギタリスト・田渕ひさ子が加入。現在は4人編成で活動を続けている。
――ブッチャーズは私も以前から好きなバンドですが、この映画『kocorono』には予想を超えた姿があって衝撃を受けました。
川口 そうですか。ブッチャーズというバンドをみんなどんなふうに捉えているんでしょうね。
――孤高のバンドのイメージで、自分の音楽を追求していく人たちだとは思っていましたが、こんなにバンドの中で自分の言いたいことを言い合って不満を曝け出すような切迫した状況だとは思っていませんでした。
川口 確かに僕も、「思った以上にみんな溜まっているんだな」と撮り始めてから気付きましたね。個人個人のパーソナリティは昔からの付き合いなのでよく知っていたんです。何年か前からはバンド内の雰囲気があまりよくないなというのも薄々は感じていたんですけど、あんなにみんなカメラに向かって激しいことを言うというのは、僕にとっても意外でしたね。
――この映画を撮るというお話はどこから出たんですか?
川口 キングレコードのプロデューサーの長谷川(英行)さんの発案ですね。そこに日本出版販売の近藤(順也・シアターN渋谷支配人)さんが乗って。長谷川さんがすごくブッチャーズが好きで、ずっと彼らのドキュメンタリーを撮りたいと思っていたらしいです。僕は長谷川さんと何年か前に出会っていて、ある程度仕事を見てもらっていた上で、やってみようと言われました。
――撮影はいつからされていたんですか?
川口 2009年の年末に長谷川さんからお話があって、バンドに投げたのが2010年の1月なんですが、即答で「やろう」っていうことになったんですよね。それで1月に映画の打合せをしていたら、だんだんバンドの揉め合いみたいになってきて、それが映画のいちばん最初に音声だけで挿入している言い合いなんです。打合せ中も部屋の片隅にカメラを置いて撮影したり録音したりしていたんですよね。その時点で「あれ、本当にみんな意外と溜まってるぞ?」ということを思っていましたね。『NO ALBUM 無題』のレコーディングがちょうど完成した頃で、僕も聴かせてもらっていたんですが、彼らにとってはこれからというときのはずなのにいろいろ言い合っていて、これは結構おもしろいかもしれないなと思って。そこからですね、撮影を本格的に始めたのは。
撮影の終了時期については、年末か年明けぐらいの公開を予定しているという話だったので、逆算して8月ぐらいまでかなと考えていたんです。でもツアーがスタートするとバンドの意気込みに拍車がかかったようで、公演数が増えていき、結局9月頭まで撮影をしました。やっぱりリリースがあって、バンドとしてはいろいろ広げたいと思っていた時期だったんでしょうね。
――タイトルに『kocorono』と付けたのには何か思いがあるんですか?
川口 アルバムの『kocorono』(1996)はやっぱり彼らの代表作だし、でも逆に言うと『kocorono』にすごく囚われていると言うか縛られているバンドだなあという思いが僕の中にはすごくあったんですよね。もちろん素晴らしい作品だと思うんですけど、それが出る前から僕は好きだし、その後の作品にもすごくいい曲がいっぱいありますからね。あとは、『kocorono』を作っていた頃というのもすごくブッチャーズが溜まっていた時期だったんですね。それは何となく聞いていたから分かっていたんですけど、今のブッチャーズの状況もその時期と方向は違えど同じなんじゃないかと思って。『無題』を聴いたときに僕の中では完全に『kocorono』の呪縛を離れた作品だと思ったので、逆に『kocorono』だったらおもしろいんじゃないかと思って。吉村さんにも相談したんですが、『kocorono』でいいんじゃないの、と軽ーく(苦笑)。まあ分かりやすくていいなと思いますね。
――射守矢さんが故郷である北海道の留萌に行っているのはいつですか?
川口 あれは3月ですね。射守矢さんは毎年その時期に地元に帰るらしいです。「映画やるんだったら留萌へ帰るから一緒に来れば?」って言われて、それはぜひにということで同行しました。それとは別に、どうしても真冬の留萌を見たくて、ちょうどそのひと月ぐらい前にもひとりで行っているんです。映画のところどころで本当に雪と海だけという風景が出てきますが、あれは2月に行ったときのものです。
――北海道のシーンは彼らの原風景という感じで、この映画の重要な部分ですよね。実家にまで誘ってもらえるというのはかなり信頼されていたということだと思いますが。
川口 信頼されているかどうかは僕自身よく分からないですけど、『kocorono』が出た96年頃から面識があるので、時間がそういうノリを作ってくれたんでしょうね。でも僕もまさかお母さんが出てくれるとは思いませんでしたけど(笑)。
――卒業アルバムの吉村さんの写真にも爆笑しましたが、高校の同級生である射守矢さんと吉村さんの間には、盟友ならではの愛憎があるんだなということが生々しく感じられもして、胸が締め付けられました。二人の微妙な関係も以前から感じていたんですか?
川口 撮り始めてから見えてきたっていう感じですね。何となく二人が性格的には真反対だということは分かっていたんですが。ただブッチャーズの音楽は、フロントマンの吉村さんだけではなく、射守矢さんにしても小松さんにしても、後から入ってきたちゃこちゃん(田渕)にしても、基本的には全員が凄いと思っていたんですね。特に射守矢さんのベースに関しては、初期のころから「何だ?これ」というぐらい独特で、もしかしたらそこがいちばんブッチャーズの音楽を独特たらしめるものだったのかなって思うぐらい、彼の重要性というのは僕の中ではあったんです。それと、射守矢さんはすごく表面的にはぶっきらぼうで素っ気ない人なんですけど、打ち解けると実はいちばん人間味のある人で、僕なんかのこともすごく可愛がってくれるんですよ。だからあそこまで言えたのかなというのもありますね。
――そういうメンバーひとりひとりの個性やバンドでの役割のようなものが映画の中でよく捉えられているなと思いました。川口監督はいつからブッチャーズを見ていらしたんですか?
川口 90年代初頭の、20歳ぐらいのときからファンとして見ていて、東京でのライヴには行っていましたね。僕の世代というのはオルタナティヴの直撃を受けた世代なんですよ。ああいう人たちはまだ全然人気がなくて、でも日本ではまったく知られていないのに外国でライヴをやったりしていて、そういうところに衝撃を受けたんですよね。
――長い活動歴を示すアーカイヴ映像もたくさん使われていますが、何を使おうとかいうことは頭の中にあったんですか?
川口 いや、昔の映像とかを吉村さんがなかなか貸してくれなくて。恥ずかしいからだと思うんですけど(笑)。最終的に出してもらったものはVHSがカビだらけだったりして。でも札幌時代のブッチャーズを撮っていた方がいてお借りできたので、80年代の僕が見ていなかったようなものはそこから使わせてもらっています。90年代後半ぐらいからは僕が絡んでいる映像を使っていますね。
――音にこだわったところはありますか? 爆音上映で見たい気がします。
川口 「プールサイド」という曲が映画の中盤あたりでフル尺で使われているんですけど、それはミックスをある程度できる素材だったので、劇場で見るということを前提としてミックスをがんばってもらいました。ほかはそこまでできる素材がそんなになくて、とりわけこだわったのはそこですね。ドキュメントの部分は普通のデジカメにマイクを付けて録っているので自分の中ではそこまで音はよくないなと。そういうドキュメントの部分もいい音で録れていれば爆音上映とかしたら効果もあるのかなあと思うんですけどね。
――ストーリー性のある、本当に映画的な見応えのある作品に仕上がっていますが、こんな話にしようということは撮り貯めていってから考えたんですか?
川口 編集中もずっと迷いながらで、完成してからも僕の中ではこれでいいのかということがイマイチ分からないんですよ。初めてですからね、こういう映画を作るのは。
――メンバーの方たちは見て気に入ってくれました?
川口 気に入ってくれたんじゃないですかね。完成のちょっと前ぐらいの段階でメンバー用の試写をやったんですよ。先に見せていたマネージャーさんから、これは全員揃って見せたほうがいいし、多分大丈夫じゃないかと言われて。多分、が付いていたんですけど(苦笑)。僕としては、言ってしまえば吉村さんのいいところばかりが映っている映画ではないから、下手したら鉄拳が飛ぶだろうという可能性も覚悟はしていたんですね。気に入らねぇ、って言って出ていっちゃうとか。でもそうじゃなかった。吉村さんからちょっと裸のシーンが多いんじゃないかって訳の分からないことを言われましたけど(笑)、基本的には内容自体に何かっていうのはなくて、ホッと胸を撫で下ろしたという感じでした。どこでジャッジしたのかというのは分からないですけど、そのあとに吉村さんが「ああいうのがあって、逆にバンドが仲良くなったかも」って言っていて、そういうことも彼の中であったのかもしれません。本人としては想像していなかった形なのかもしれないですけど、それが逆におもしろいと思ったんじゃないですかね。だったら嬉しいなあと思いますね。
――川口監督は音楽のDVD作品もたくさん手がけていますよね。2月にはザ・ブルー・ハーブのライヴDVDが出るそうですが。
川口 あくまでも彼らの作品として出るDVDなので、彼らのやりたいことを僕が一緒に作ったという感じです。映画とはまたちょっと違うものだと思うんですけど。
――映画とDVD作品は別のものだと思っていますか?
川口 別と言うか、ケース・バイ・ケースなんでしょうけど。例えば今回の『kocorono』のようにメンバーでも僕でもない人の発案で、しかも僕のほうに話が来たんだったら、こちらにちょっとイニシアティヴがあるわけじゃないですか。僕としてはやっぱりバンドの言いなりでは作りたくない、ってことを最初に言って、それでこういう関係のものが作れたと思うんですよね。そういう作り方のときもあれば、2010年にイースタンユースのDVD作品を作らせてもらったんですけど、それはメンバーから特に細かい注文はなく、僕のほうではライヴDVDということを意識しつつも、何か映画的なものになればいいなと思って作った。今度出るブルー・ハーブのDVDは、アーティスト側の作品に対するイメージがすごく強かったので、僕はそれを受けて、イメージ以上のものをなるべく投げてやり取りするっていう。作り方はいろいろですよ。映画だからとかDVDだからというのは、総尺やカット選び、カット割りなどで自分の中ではどこか線引きはありますけど、それによって極端に作り分けているつもりはないです。
――甲斐田祐輔監督の映画で俳優もされていますが、劇映画にも興味あるんですか?
川口 めちゃめちゃありますよ。ドキュメンタリー作家なんていうつもりはさらさらないし。でも監督になりたいというよりは映画が好きで。甲斐田とは19歳ぐらいのとき、同じレコード屋でバイトしてて出会って、彼が映画のおもしろさを教えてくれたんです。ハイエイト(Hi8)という小さいビデオカメラが僕らでも手に入るようになった時期で、一緒に何かやろうよということになって。甲斐田から「俺が撮るから、川口お前出演してよ」と言われて「いいねぇ、役者?」みたいな(笑)。そういうノリで始めて、作ることはそこからだんだん面白いなあと思っていきました。映画的な映画の見方は甲斐田から教わりましたね。それまでは映画と言えば大きいハリウッド映画だったり、まあ僕は昔から日本映画もすごく好きだったんですけど、松田優作とかショーケンとか俳優だけを見ていたのが、監督的な映画の見方を知るようになるのはその頃ですよね。
――映画の学校には行かれたんですか?
川口 行っていないです。スペースシャワーTVの中の番組やプロモーションビデオを作る部署が独立して会社になって、そこに学生を卒業して入り、現場をいろいろ踏んで今に至るという感じです。それとは別で甲斐田たちと映画を一緒にやったりとか。
――甲斐田監督と一緒にカトマンズトリオプロダクションの運営にも関わられていますよね。
川口 それは甲斐田が活動する際に作ったような名前で、彼と一緒に何か作るときはその名義を使っていますが、僕はそこに所属しているという意識もあまりなかったんです。『kocorono』の前にボアダムスの映画『77BOADRUM』をやったんですけど、そのときは自主で全部やっていたので、“配給・川口潤”はないなと思って名義を使ってやったりはしました。
――『77BOADRUM』は自分でカメラを持ってNYに行って、プライヴェートで撮った映像を映画にしたんですよね。
川口 やってること自体(07年7月7日にブルックリン・ブリッジ・パークで行われた77人のドラマーによるフリーライヴ)が映画的ですからね。でも撮ってるときは、これを映画にしようということは考えていませんでした。ボアダムスって自分たちのライヴを映像にするっていう意識がないんです。だけどこの日のライヴをラフ編集したものを彼らに見せたら、「これはおもしろいからDVDにいいかもね」って言われて。で、やろうとしてたんですけど、ボアダムスはどうしても意識がもう次のライヴに行ってしまうので、彼らの作品としてDVDを出す話はちょっと頓挫してたんです。そんなときに日販の近藤さんと、再会になるんですけど出会って、僕も映画に対してだとか自分のやってることについていろいろ考えていたから、ボアダムスのやつは劇場でやったらマジックが起こるなあと思って相談したんです。自分でやれることをベストを尽くしてやっていったらいろんな人が拾ってくれて、九州でまで上映できるとは思ってなかったけどそれが実現してすごくよかったです。
――『kocorono』も音楽のドキュメンタリーという観客の限定される作品なのに、全国で公開が決まっていてすごいですね。
川口 自主では最初からこんなふうにはできないから、プロデューサーの方々がいてやっていただけることだというのはありますね。作品がいいからやっていただけるのかっていうのは分からないけど。
――でも待ち望んでいる人が多い作品だっていうことですよね。
川口 そうですね。全国にブッチャーズのファンは多いですから。あとは、やっぱり20何年もバンドをやっていたら少し離れてしまったファンというのがいっぱいいるから、そういう人にも見てもらって「ああ、ブッチャーズがんばっているなあ」と思ってもらえたらいいですね。
ブッチャーズのファンに関して言うと、メンバーのパーソナリティをあんまり知らない人だとしたら、見て1回ショックを受けてもらった上で、また次にCDを聴いたりライヴを聴いたりしたら違うおもしろさが生まれると思うんですよね。それはそうなったら嬉しいなと。で、ひょっとしたら「うわー最悪だこのバンド」とか感じる人もいるかもしれないけど、好きに思ってもらっていいですね。バンドに限らず表現を仕事にしている人は、俺はこうなっちゃいけないなと反面教師として取ってもいい。基本的にひとりで仕事をしている僕からしたら、仲間がいるってことはいいときもあるし悪いときもあるなあって撮っていて思ってました。ただ最終的に言うと、ひとりでは起こせないマジックが、仲間でやると必ず起こる。そこはすごく羨ましいなあと思いましたね。いろいろ自分なりの視点だったり見どころだったり、もしくはけなしどころを見付けて好きに見てもらえればと思います。
(2011年1月18日 渋谷・日本出版販売で) 取材:深谷直子
- 監督:川口潤
- 出演:THA BLUE HERB
- 発売日:2011-02-16
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完全盤
- bloodthirsty butchers
- 発売日:2010-03-10
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主なキャスト / スタッフ
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