【ストーリーのネタばれは無いので、安心してお読みください】
冒頭に流れるオケは、ウッドベースの低音から始まる。
ゆったりとしたテンポ。印象的なリフレイン。
まるで木製の家具のように大きな胴から放たれる暖かくふくよかな鳴りとともに、硬く芯のある弦の震えもリアルに捕えた録音だ。
リラクゼーションと微妙な緊張感の入り混じったウッドベースのリフレインが、これから始まる物語に静かな期待を抱かせるに十分。
ほどなくして、ノラ・ジョーンズのヴォーカルが低くスタートする。
2002年にブルーノートより『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』で登場し、“スモーキーなヴォイス”と絶賛された彼女のヴォーカルも、月日の経過とともに確実に進化、いや深化を重ねていることを実感する。成熟度が増した彼女のヴォイスは、妖艶さも微量に加わっているのだ。
意味深なベースとヴォーカルが冒頭に流れるだけでも、まずは映画の導入としては満点。これは制作側のセンスというよりも、ノラの音楽そのものが持つ「力」のお陰というべきかもしれない。
それだけノラ・ジョーンズの音楽が映像に与える影響は大きいのだ。
しかし、この映画でのノラの使われ方は、私の“映像の中のノラ体験”からしてみれば、かなり新鮮な出来事でもある。
従来のノラ・ジョーンズの音楽は、物語の「起承転結」の「転」に効果的に用いられることが多かった。
たとえば『家族のかたち』(2002年/シェーン・メドウス監督/イギリス)。
あるいは、天海祐希が主演のドラマ『離婚弁護士』(2004年/フジテレビ)。
両作品とも、ノラの音楽を用いる演出上の目論見は共通している。先述したとおり、物語の「転」の部分に使われているのだ。
ストーリーの後半。クライマックスへの助走段階になると、人が動き始める。時間が流れ始める。
停滞していた、あるいは行き詰まっていた物語の「現状」にブレイクスルーが訪れる。
ノラの音楽は、動き始めた人物、流れ始めた時間を活写するための潤滑油として使用されると、とてつもない威力を発揮する。
細かい説明は不要。とにもかくにも、ノラの音楽が流れるだけで、ストーリーの局面変化と、物語の進行速度がギアチェンジしたことを鑑賞者は暗黙に了解するのだ。
控えめながらも芯のあるノラ・ジョーンズの声と演奏が、次第に物語のテンポをリードしはじめ、いつしか、物語の進行速度は、ノラの手中にゆだねられ、物語が心地よく滑り始める。
終盤に向けて走り出した物語。
まるで部屋の窓を開け放ち、澱んだ空気が新鮮な外気と入れ替わったようなリフレッシュ感が劇中に流れる。軽やかな局面の変化を告げ、これから始まるであろう新しい展開への暗示。鑑賞者は期待感に胸を躍らせる。
このように、従来は「転」に用いられてこそ、ノラの音楽は演出の上では静かで確実な効果をあげていた。
しかし、今回の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』は冒頭からノラ・ジョーンズの音が低くさりげなく挿入される。
「転」ではなく「起」から。
つまり、のっけから期待感が増幅されるのだ。
反面、「もしこの期待感が裏切られたら?」というかすかな不安もよぎる。
しかし、それは杞憂に終わる。
テンポのよい物語展開。
スタイリッシュな映像。
さくさくと心地よく進んでゆく物語展開は、まるでノラの歌で潤滑油を得たかのように終始心地よく流れてゆく。
監督がウォン・カーウァイ。
主演がノラ・ジョーンズ。
意外な組み合せが生んだスタイリッシュでおしゃれなムーヴィ。
いまひとつ腑に落ちきれないノラ演じる主人公・エリザベスの思考・行動パターンも、「ノラ・マジック」と「カーウァイ・マジック」によって、この映画の世界においては、それはそれで、そういうこともアリねと納得させてしまう説得力があり、彼らによって丁寧に紡ぎだされた世界に心地よく身を委ねることこそが『マイ・ブルーベリー・ナイツ』鑑賞の極意なのだ。
ブルーベリーになぞらえてか、微妙に赤紫がかった粒子の映像も、この映画の世界を心地よく形作っている。
神秘的なベールをまとっていた(と私が勝手に感じていただけかもしれないが)、ラビ・シャンカールの娘、ノラ・ジョーンズ。
しかし、この映画で演じるノラは、等身大なアメリカのいわゆる普通の女の子に限りなく近く、これまでは、常に薄いスモークがかかっていた彼女の存在とちょっとだけ距離感が縮まったように感じた。
よって、ノラ・ジョーンズファンは必見!
ノラ・ジョーンズの歌のみならず、劇中ではライ・クーダーの音楽も絶妙にストーリーを彩っている。ノラのファンのみならず、ライ・クーダーのファンも必見のムーヴィだ。
そして、ノラやライ・クーダー未体験のカップルも、ちょっと大人なデートムーヴィとして活用しちゃいましょう。互いの距離が数センチ縮まること請け合い。
音楽と映像の心地よい共存関係が、終始この映画を貫いているのもこの映画の大きな特徴だ。したがって、音楽好きとしては、当然、サウンドトラックにも期待が高まる。発売が待ち遠しい。
(2008.1.29)
主なキャスト / スタッフ
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